ベルギーのAgfa-Gevaertは5月27日、写真フィルムの世界大手AgfaPhotoが破産申請を行ったと発表した。 フィルム大手のAgfaPhotoが破産 -- ITmedia ニュース 2005.05.28 居住まいを正される。 「デジカメ時代に乗り遅れたか」とかなんとか、他山の石的な目線ではなく。 新しい技術の導入には、基本的に反対だ。 とかいうと、「おまえ新しもの好きじゃん」とツッコミが来るし、それは否定しない。 Casio QV-10 を買ったその日に、銀塩写真カメラを捨てたような不逞の輩ではある。けれども、個人の趣味の範疇であれば、新しもの好きもヒトバシラーで済むが、こと社会ってやつではそうは問屋がおろさない。 新しい技術の導入が、旧来の技術をレガシー化する場合、その地殻変動は、従来の技術を保持する企業や個人に、ダメージを与えずにはおかない。 「新しい技術を導入する」ことは、その新技術を担う人たちにとってはビジネスチャンスであったとしても、そのチャンスは、「古い技術者をクビにする」という代償の上に築かれる。 フィルム作品のビデオ化は、フィルム技術者たちを失業させた。ロボットの合体のCG化は、ミニチュア屋さんを廃業に追い込んだ。 そして「新技術」なるものが、カタログスペックどおりの威力を発揮することはめったにない。 新技術を担う人たちは、往々にしてノウハウの蓄積がない。ノウハウを継承していない。上の例でいえば、初めてロボットをCG化するCG屋さんが、ロボットをカッコよく見せるノウハウを持っているはずもない。新技術の導入が、単なる技術実験に終わりがちなのはそこのところだ。 そしてそのとき、「ロボットをカッコよく見せるノウハウ」を持っていた人たちは、すでに“旧技術”と十把一絡げに排除されている……。 技術は、モノではなく、人なのである。 アグフアカラーの発色について、その技術的側面もふくめて嬉しそうに語れる人のほうが、デジカメを次から次へと買い換えるような新しもの好きよりも、いい写真を撮るように思えるのは偏見だろうか。 たとえ、同じデジカメを手にしたとしても、だ。 あらゆるアートは技術に裏打ちされている。技術がなければアートはありえない。 けれども、アートは技術とイコールではない。絵画は絵の具ではない。音楽は楽器ではない。ピカソは油彩の使い手ではないし、モーツァルトは楽器の効率的な使用法の考案者として評価されたわけではないのだ。 既存の(陳腐化した)技術というツールを、ある人が、どうかして使って何かを表現する——その結実が、アートなのである。 「人」が技術に優先されなければならない。「人」が何かを表現しようとした時点で、自然なツールとしての技術が存在しなければならない。 陳腐化した技術だけが、アートを生み出しうる基盤なのであるから。 「人」が、技術のしもべとして語られることをおそれる。 技術がレガシー化したとたんに、「人」もろともに滅ぼされていく現状を憂える。
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