情報の共有 (6) ──著作権はインセンティブ? (1) 

池田信夫のインセンティブ 

行きがかり上、まずは池田信夫のいう「インセンティブ」について検討してみましょう。
もう一度、同じコラムから引用。

中国で売られているCDやビデオの90%以上は海賊版だが、アジアでブロードバンドが急速に成長している一つの要因として、このように著作権の保護が弱いことがあげられている。著作権法は利用者の権利を制限する法律であり、保護が強ければ強いほどよいというものではないのである。

京都在住だったらタイホ!(笑)
と低レベルな茶々はさておき、池田の論法はこう。

「ブロードバンド」を振興させる海賊版 → ◎
海賊版を制限することで、「ブロードバンド」の振興を阻害する著作権法 → ×

「ブロードバンド」の成長をゴールにしたインセンティブ論の一種といえます。
どうして池田は、「ブロードバンド」をそこまでヨイショするのでしょう?



彼の代表的なコラム「ドット・コミュニズム」では、

近代の市民的所有権は、階級対立にもとづく、すなわち一方による他方の搾取にもとづく生産物の生産ならびに取得の、最後のもっとも完全な表現である。この意味において共産主義者は、その理論を私的所有権の廃止という一つの言葉に要約することができる。
ーーー マルクス・エンゲルス『共産党宣言』

(中略)いま搾取を訴えているのは、プログラマーや音楽家のような知的生産者である。所有権は、ほんらい彼らの労働の成果を守るものだったはずなのに、著作権や「ビジネスモデル特許」は彼らの創造活動を妨害するものとなりつつある。それは、人間の労働が財産として「疎外」されるとき、労働者に対立するものとなる、というマルクスの洞察を裏づけているようにも見える。


という主張がかかげられています。
このあと宗教まで持ち出してくるのは勇み足としても、どうやら池田の思想とは、

  1. とにかく私有財産はダメ。
  2. 共産主義は、現実社会では頓挫したけど、ネットワークでこそ花開く。
  3. だからネットワークにおける「情報」は、私的所有から自由な「共有財産」でなければ!

というもののよう。
著作権問題を論じるにも、「ブロードバンド」を振興させるかどうか、ネットワーク上の共有財産としての「情報」の範囲を拡大できるかどうかが、何より優先される。
池田の主張する「インセンティブ」の根っこは、そこにあるようです。



著作権にとどまらず、プライバシーにも異を唱える池田。
たとえばここここですが、池田・山形論争の発端にもなった前者を見てみましょう。

プライバシーは、著作権とよく似た疑わしい権利だ。しかも著作権は情報生産のインセンティブになるが、個人情報にはインセンティブも必要ない。だれでも知られたくないことを隠す権利はあるが、すでに存在する情報を他人が知るのを妨害する権利というのは、安易に認められてはならない。

このコラムだけ読んでも、論拠がさっぱり腑に落ちません。
「インセンティブ」が必要ない(放っておいても個人情報は勝手に生産される)から、プライバシー保護はイカンらしいのですが、なんで個人情報の「生産」が争点になっちゃうのか。

どうやら池田にとっては、

  1. ネットワークという情報の共有地においては、あらゆる情報は共有「財産」であるべき。
  2. 私権が認められるのは、新しい情報を生産するインセンティブたりうる権利に限られるべき。

って指標が、人権にも何にもまさる、普遍の真理になってるみたい…。
このコラムの中で、個人情報=財産という例証を述べてるらしいのがここ(↓)。

プライバシーは、不可侵の「人格権」ではなく、譲渡可能な財産権に近いものと考えたほうがよい。たとえば、あなたがヤフーにアクセスしたという個人情報は、彼らの広告収入として「換金」されている。

こ、これは!
Yahoo! が「アクセスしたという個人情報」を換金してるなんていえるなら、あらゆる商品は、あなたがそれを買ったという個人情報を換金してることになる。
こんな詭弁で事足れりとしてしまうのは、それだけ池田にとって、「情報=財産」が自明の理だということなのでしょう。



もしかするとこれまでには想像もつかなかった方法で、情報を共有することによってだれもが利益を得るしくみを作ることが可能なのかもしれない」と述べる池田(同コラム第1回)。

でも、「かもしれない」だけでビジョンはない(想像もつかない)ので、池田の主張するインセンティブ論は、とどのつまり、《ネットワークをコミュニズムの実験場とするためのインセンティブ》に尽きることになります。
流行り言葉を使ってるだけで、一般にいうインセンティブ論とは、まるっきり別物。

これって、レッシグが早々に警戒を発令してた思想に近くないですか?(↓)

(前略)サイバー空間がリバータリアンたちのユートピア主義の新しい標的となっていった。(略)モスクワやトビリシがだめでも、このサイバー空間でこそ、理想的なリバータリアン社会が見つかるだろう。
ローレンス・レッシグ 1999、山形浩生&柏木亮二・訳『CODE』(翔泳社)2001

だからって、池田の論全体を「なんだ、ポスト共産主義か」で片づけていいとは思いません。
本人も、連載の最終回で「イデオロギーを基準にして言論を分類する発想は冷戦時代の遺物だが、その呪縛は根強い」と、批判を揶揄しています。たしかにそのとおりですが、なんらかのレッテルでも貼らないことにはスジの通らない論を述べているのも、池田自身。

レッテル貼りを嫌うなら、彼が持ち出すべきはマルクスではなく、もしかしてユリウス・カエサルではなかったかと思ったり。
というわけでインセンティブ論を追って、次回は古代ローマの時代へ!(へっ?) 

土 - 7 月 10, 2004 at 19:58 []