Winny 開発者逮捕 (4) 

メディアとネットワーク──分散型のコンテンツ流通はあるか 


(3) メディアとネットワーク


音楽業界の話が出たついでに。

CDが不振だ不振だと、よく唱えられるけれども、CDのセールス全体は空前の活況を示している。
宇多田ヒカルや浜崎あゆみのような超ミリオンセラーも、「おどるポンポコリン」や「だんご3兄弟」のような国民的大ヒット曲も、アナログレコード時代よりも頻繁に生まれるようになった。
それでも「不振」と言われるのは、市場が拡大して、売れない曲が相対的に増えたことを指す。
売れる曲は売れ、売れない曲は売れない。二極分化が進行しているのだ。

こうした二極分化は、映像業界のほうが、もっと顕著かもしれない。

テレビの最大の武器は、その途方もないマス・メリットにある。
広告料の減少や地上波デジタルといった、逆風が吹けば吹くほど、その武器を磨かなければならない。
1000万人と2000万人とを天秤にかけるなら、迷わず2000万人を選ぶのがテレビだ。
1000万人のオーダーでも、「ニッチな需要」として切り捨てなければならない場合もある。まして、100万人規模ていどの需要は、テレビスケールでは無価値にひとしい。
一方、マス・メリットにとぼしいアニメ番組が、数だけでいえば史上最高の繁栄を謳歌しているのは、ビデオセールスやマーチャンダイジングという、それ以外のメリットが開発されたからだ。

だが、広告収入にしても副収入にしても、コンテンツ自体の価値とは直結していない。
数千万人が視聴する番組か。あるいは、数万人が確実に DVD を購入する番組かの二極分化。
そのはざまで、たかだか数万〜数十万人が「見たい」と思うだけという、ニッチな番組は切り捨てられてしまう。


ビデオ・オン・デマンドやストリーミング放送のようなペイ・パー・ビューの可能性が、脚光を浴びたりしたのは、ユーザからダイレクトに料金を徴収することで、コンテンツ流通の裾野が広がると思われたからだ。
しかし、一定規模のアクセスが見込めるメジャー作品を配信するなら、既存の流通経路で十分だ。新しいインフラを構築するリスクをおかす必要はない。
インフラが必要なのは、多くて数十万人ていどの需要しか見込めないニッチなコンテンツのほうなのだが、そのために、わざわざ新しいインフラを構築するメリットはない。
堂々めぐりとなる。

しかし、配信システムと集金システムを分離するなら、既存のインフラでも、実用に耐える環境はつくれる。
そのひとつが、たとえば P2P ネットワークを併用する配信システムである。

あとは、どういうフォーマットでコンテンツを配信し、どうやって料金を徴収するかだ。
ライセンスキーやアクティベーションのような認証方式が現実的だろうが、証券システムのようなアイデアも検討に値するだろう。カンパ的な側面だけでなく、事前に制作資金を調達する可能性を探る意味で。


P2P ネットワークを利用する場合、ヘビーユーザに対する、なんらかの報奨制度を設けられないかと思う。

ネットワークが拡大すればするほど、人気ファイルはたちまち拡散するのに、そうでないファイルは入手しにくくなっていく偏りは、ぜひとも解決しなければならない。それではリアルワールドの流通と変わりないので、ネットワークを利用する価値はまったくない。
マイナーなファイルを保持してくれるユーザに報奨を与えることで、そのバランスをとるのがひとつ。

もうひとつは、不正使用者と正規ユーザの差別化のためである。
たとえば、一意の ID を持つ各クライアントが、P2P ソフトを定期的にアプリケーションサーバからダウンロード実行する。このとき、非合法ファイルや捏造ファイルをブロックするコードを埋め込む。通信内容の匿名性を保持しながら、非合法ファイルを排除するのだ。そして、正規ユーザだけが報奨を受け取る権利を有する。

クラッカーや不正ユーザとのイタチごっこはつづくだろう。犯罪者を摘発し、厳罰を与えることにも意義はあるだろう。けれども、大多数の正規ユーザにメリットがある形がとれないものか。
不正ユーザの高笑いがつづき、正直者がバカを見るのは、もうウンザリだ。

これは思いつきの夢想にすぎないかもしれないが、ユーザとコンテンツホルダー双方に相互メリットのある流通手段を確保するには、P2P ネットワーク自体と共同歩調をとっていくことが不可欠だ。


現実問題として違法コピーの温床になっているからといって、P2P ネットワークや、その開発者に罪を着せるのは筋違いどころか、自殺行為にひとしい。
交通事故が多発するのを、道路を切り拓いた人のせいにするようなものだ。
事故を防ぐには、交通法規を設けたり、また、道路自体の設計を見直したり、改修したりすればよい。事故をおそれるあまりに、その道路がもたらす新しい地平の可能性を見過ごしてはならない。

47氏を糾弾している場合ではない。
むしろ彼には、コンテンツの新しい流通の形を、ともに模索する任を担っていただく期待をかけなければならない。
 

日 - 5 月 23, 2004 at 22:30 []