情報の共有 (8) ──著作権はインセンティブ? (3) 

ハングリーな競走馬のニンジン 


勲章と爵位


 彼(※ ナポレオン)はこの年(※ 1808年)の秋に貴族制度を復活して、功臣に爵位を与えた。それは一見彼がレジオン・ドヌールの勲章制度を創設した(※ 1802年)のと同趣旨のようであって、しかもその思想の根本はぜんぜん異なっている。(中略)勲章は一代で、爵位は世襲だ。勲章は功績あるもののみの所有だ。爵位は門地の保障だ。実力と無関係な特権だ。
 (略)貴族制度の根本弊害は無能者が祖先の栄誉を継承して特権を持続するところにある。それは無為を上(かみ)とし、有能を下(しも)とすることだ。それがつのると革命が起こるのだ。
鶴見祐輔 1931『ナポレオン』(潮文庫)1969 (注釈&強調引用者)

著作権をめぐる対立のスタンスを、よくあらわしてる気がする分析です。

勲章」を与えて、ハッスルハッスル! ってのが、著作権保護派(財産権派)。
爵位」なんか取り上げちまえ! 革命だ! ってのが、著作権保護反対派(規制派)。


後者の急先鋒を自認してるらしいレッシグは、自身の Blog の eldred.cc カテゴリを、次の宣言からスタートさせます。

Congress has the power to promote the Progress of Science … by securing for limited Times to Authors … exclusive Right to their Writings.

If you take that seriously, then it is just not like building a house. If the government takes your house, it must pay you. This says if the government gives you a copyright, it must, after a “limited Time” take it away.


(私訳)
「連邦議会は、著者(略)に、著作(略)に対する独占権を一定期間保証することで、科学(略)の進歩を促す権限を持つ」

家を建てたりするのと、ちょうどハンタイってことだ。政府が君の家を取り上げるなら、政府はカネを払わなきゃいけない。つまり政府が君に著作権を与えるなら、政府はそれを、「一定期間」たったら取り上げなきゃいけない。


前半は、合衆国憲法・1条8節8項からの部分引用。
憲法が求めるのは、著作者から著作権を召し上げて、文化の礎とすることであって、私権の保護じゃない、というわけ。
つまり著作物は、国が接収するのが大原則で、保護期間は執行猶予にすぎないという見かた。本を書いたら、ホントは国家の財産なのだけど、それだと本なんかだれも書かなくなるので、しぶしぶ著作権というニンジンをぶら下げるのだと。

著作権の由来をめぐっては、いろいろ議論もあるとこですが、財産権派 VS 規制派の対立は、「ニンジンは大きいほどよい!」「いや、小さいほどよい!」という対立だといえます。
このニンジンをぶら下げることを、経済学の流行語で「インセンティブ」というようです。

アメリカ合衆国憲法


アメリカ著作権法の依拠として、みんな引き合いに出す憲法1条8節は、こんな条文。

Section 8. The Congress shall have power to lay and collect taxes, duties, imposts and excises, to pay the debts and provide for the common defense and general welfare of the United States; but all duties, imposts and excises shall be uniform throughout the United States;
To borrow money on the credit of the United States;
To regulate commerce with foreign nations, and among the several states, and with the Indian tribes;

(私訳)

8節。連邦議会は、次の権限を持つ。(1) 負債を支払って、国防と福祉に備えるため、税金・関税・物品税を制定・徴収する権限。(後略)
(2) 合衆国の信用で、借金をする権限。
(3) 外国貿易・州間通商・インディアン部族との交易を統制する権限。


「インディアン部族」が非アメリカ人扱いってのも、歴史の重みを感じさせますが、それ以前に、あられもなく「to borrow money」と言い放つのはご立派!(^^;
よっぽどカネに困ってたんですね。

で、にわかに注目されてるのは、このリストの8番め。

To establish post offices and post roads;
To promote the progress of science and useful arts, by securing for limited times to authors and inventors the exclusive right to their respective writings and discoveries;
To constitute tribunals inferior to the Supreme Court;

(私訳)

(7) 郵便局と郵便道路を設置する権限。
(8) 作家や発明家に、その著作や発見に対する独占権を一定期間保証して、科学と有用な技芸の進歩を促す権限。
(9) 最高裁判所の下に、各種法廷を組織する権限。

(強調引用者)

郵便局をつくろう・裁判所を置こう! にサンドイッチされて、著作権(と特許権)が出てきます。つまり、当時のアメリカにとって著作権法の制定は、郵便や裁判といった、アメリカを近代国家たらしめる制度整備の一環というわけ。

この憲法の発布は1788年。まもなくヨーロッパに、ナポレオン旋風が吹き荒れようとしている時代です。
で、そのナポレオンが、全欧を巻き込みながら何度も挑戦し、ついに勝てなかったのが、世界最強の大英帝国。

当時、英語の本は、王室の勅許状を持つイギリスの出版ギルドの独占状態。また、他に先駆けて産業革命をなしとげたイギリスが、いよいよ「世界の工場」にのぼりつめんとしています。
アメリカがイギリス傘下から脱し、独立国家として近代化するためには、まず出版と工業を、英本国から切り離さないといけない
1条8節8項は、そのための条項なんじゃ?

そうした歴史観・憲法観が当たってるかどうかは、どーでもいいのです。
ただ、憲法学者レッシグの憲法談義を、その文脈から切り離して、いきなり日本に直輸入したって仕方がないってこと。

アメリカの憲法は、制定以来200年以上、一字一句手を加えられていません。必然的に時代遅れになっていく憲法に処するには、レッシグいわく、「原文主義」(起草者の意図重視)と、「翻訳」(現代的に読み替える)の2つの道がある。(レッシグ 1999、山形浩生&柏木亮二・訳『CODE』(翔泳社)2001)
で、後者の道をとるレッシグが、1条8節8項を読み替えるために、財産権派の主張から借りてみせたのが、インセンティブ論というわけ。

プルタルコスのインセンティブ


米憲法は、大英帝国やナポレオンが活躍した時代のしろものじゃん! ってことで、先に、鶴見祐輔の『ナポレオン』を引用させてもらいました。
鶴見つながりで、もういっちょ。
伝記作家の巨人・プルタルコスが生まれた背景について、鶴見はこう分析します。

 彼の生きていた時代は、ローマ帝国の全盛期で、(中略)生民その業に安んじていた秋(とき)であるから、人間としては比較的幸福な生活の送れたときであったのである。
 かかる文化隆興の時代に、文筆に長じ、思索に秀づる人々の輩出したことは、あえて怪しむにたりない。偉大なる人物は、突如として野蛮豪昧の地に出るものではない。かならずやその豊かなる環境の恩恵のなかから生いたってくるのである。
 (中略)彼は一定の恒産を有し、一生暮らしには困っていなかった。
鶴見祐輔「プルターク伝」1934——『プルターク英雄伝』(潮文学ライブラリー)2000 所収

ここにインセンティブ論を当てはめると、こうなります。

財産権派「プルタルコスに儲けさせて、もっと書かせろ!
規制派 「プルタルコスの権利を、彼が書きつづける最低限度にしぼりこめ!

両派とも、「文化隆興の時代」をもたらすというふれこみのはずなのに、なんだか「野蛮豪昧」に聞こえるのは、気のせいでしょうか。

インセンティブ論では、著者が本を書くのは、儲けめあて。
けど、誇り高いプルタルコスは、「書いて儲けろよ」といわれても動かない。「ならば権利を寄こせ」とか侮辱されたら、ますます動かない。そんな気がしてなりません。

結局、インセンティブ論って、著作者のやる気を忖度するように見せかけて、そのじつ著作者の気持ちなんか、ぜんぜん相手にしてないんじゃないかと。
両派とも、人はカネやニンジンがないと、動かないと決めつける。
それに、カネカネいうわりには、じっさいには《権利の保護期間》なんて、絵に描いたモチでしかない。

著作権保護で知的財産立国だ! とかいうなら、まず、権利侵害が親告罪だという問題を何とかしてくださいな。だれかが権利侵害をしても、権利者当人にバレなきゃ OK・当人が訴えなきゃ OK……というんじゃ、だれがどう見たって「保護」なんていえません。

もしくは、著作物は文化だ、共有財産だ! というなら、その共有財産をつくる製作費や興行費は、公的資金でまかなってくださいな。
公園を税金でつくるのと同じこと。

そんな基本も整えず、インセンティブを云々するなんて、空理空論にすぎるのでは?

文化は使い捨ての馬?


インセンティブ論は、早い話が、「毎日馬草をもらって幸せな馬より、ハングリーな馬の前にニンジンをぶら下げたほうが、必死に走る」という仮説モデル。

財産権派も規制派も、どっちの派にも共通することが、2つあります。

まず1つは、勝つ競走馬しか、馬と認めないこと。
インセンティブ論は、かならず「競争」というタームと一対です。
競争に勝つ馬をつくるためだけに、ニンジンを用意しようというのだから、どんな馬でも、走らない馬・走れなくなった馬は、飢えて死ね! ということ。

そしてもう1つは、突き詰めていくと、ゴールは《一発屋》の育成でしかないこと。
ニンジンの大きさにつられようが、小さくても飢えに耐えかねて走ろうが、とにかく一発、スゴい走りを見せて、万馬券をつくってくれれば、それでよし。
マラトンの伝令のごとく、それで馬がつぶれようがかまわない。


必死で走らされる馬は、けっして、走ることが楽しくないでしょう。
蜘蛛の糸が細くても太くても、カンダタが、楽しくてのぼるわけじゃないように。
これって、ホントに《文化》をめぐる議論なのでしょうか。その成果を、《産業》や《財産》としての視点からしか見ない議論が? ランキングだけで馬の価値をはかり、馬とともに走ることの喜びを忘れ去った議論が?

ニンジンより前に、もう一度かみ締めたいのは、鶴見の言葉です。

偉大なる人物は、突如として野蛮豪昧の地に出るものではない。かならずやその豊かなる環境の恩恵のなかから生いたってくるのである。
 

火 - 7 月 27, 2004 at 01:46 []