2003年2月

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バナニアのおはなし

翻  訳: 飯田 伸二

図1(1912)

図2(1915)

 今月は,一世紀来フランス人なら誰もが知っているココア入り飲料「バナニア」の歴史をたどってみたい。先月,私たちは歴史と広告との関係についての考察を行った。今回はさらにそれを押し進めたいと,考えている。
バナニアとは,粉末バナナとカカオ,砂糖,シリアルを原料に,南アメリカ伝来の加工法から作られた飲み物で,1912年に始めて商品化された。

図1(1912)
 「アンティル人娘」(西インド諸島)がバナニアの最初のイメージであった。パッケージによって彼女は混血であったり,ヨーロッパ風の顔立ちだったりする。図の女性は,アフリカよりもむしろ“エキゾチシズム”を駆り立てる。
 ニカラグア産の新しい飲み物が含む栄養価,高カロリーは,「suralimentation intensive(集中的高カロリー療法)」,「vigueur, énergie, santé, force(生気,活力,健康,体力)」といった言葉で強調されている。
すでに,2つの基本色が見て取れる。
黄色は,後にバナニアの箱を飾るシンボル・カラーになるが,この段階ではまだとても写実的で,バナナの房を表している。
この図柄の基調色である青は,後にはロゴだけに使用されることになる。

図2(1915),狙撃兵の写真1-2-3
第一次世界大戦の最中である1915年に,有名な“セネガル狙撃兵”とキャッチ・コピーの“オイチー”(Y’abon) が登場する。
戦争では60万人におよぶ植民地出身の兵がフランス人兵士と共に闘った(多少とも自発的に)。セネガル狙撃兵たちもその一員であった。ここでは,兵士は軍服姿で休息をとっている。戦争の悲惨さはもちろん図柄には表されていない。だが,彼の座っている木箱は軍事用補給物資か何かを連想させる(愛国心昂揚を意図した大キャンペーン活動の一環として,会社は貨物列車14台分のバナニアを前線の兵士に送った。)
円筒形の帽子(シェシア)の赤はブランドにとっては第3の色となる。また子供っぽいキャッチ・コピー“オイチー”は長年にわたって使用され,フランス人の集団的記憶に刻み込まれることになる。

狙撃兵の写真1-2-3

図3(1930)

図4(1959)

図5(1959)

図3(1930)と図4(1959)
1930年にセポ(Sepo)が制作したポスターでは,戦争に対する暗示と,リアリティのある現実的背景がすべて消えている。
広告ポスターでは,各人が容易に解釈できる“色彩による言語”が駆使されている。
−黄色はバナナを象徴する。
−青色はロゴに結びついている。
−赤色の帽子は,我らが友だち“オイチー君”は,植民地からの兵隊であることを想起する。
−黒い顔はココアを,白い歯は健康と上機嫌を連想させる。

きわめて現代的なグラフィックを通じ,この広告ポスターは西欧諸国は曝植民地帝国に対してまったく良心に恥じるところがないことを明確に示している。だが,まさにその当時,植民主義を告発する作家がいたことも指摘しておこう(ex,アンドレ・ジイド『コンゴ紀行』,1928年)
とはいえ,“人のいい黒人”のイメージは,ナチスが使用を禁止した第二次世界大戦中を除き,1959年まで使用される。
私自身,1950年代のフランスで大きくなった。家にはいつもバナニアの箱があったし,箱が空になった時にする切り抜きが大好きだった。また,キャッチ・コピーの“Y’abon Banania”「オイチー,バナニア」と,誰かがアフリカ訛りで言う度に笑い転げていた。

フランス植民地帝国という考え自体が時代遅れのものとなり,バナニアが利用する“人のいい黒人”のイメージに秘められた人種差別がはっきりと浮き彫りになるには,アフリカにおける植民地解放と,インドシナ,アルジェリア戦争を待たねばならなかった。
1959年,会社は新しいイラストレーターを起用する。

図5(1959)
イラストレー ター,モルヴァンがもたらした変化は画期的だった。そこには,すでに数十年の歴史をもつ広告の伝統を守ろうとする会社側の意地と,黒人に対するもっとも“目につきやすい”偏見をあきらめなければならない必要性が読み取れる。
かつてのポスターは“黒人は大きな子供である”と,まざまざと表現していた。大人になっても,セネガル狙撃兵は3〜4才の子供のようなフランス語を話す……これまで“可笑しかった”ものがいまや“面倒なこと”になってしまった……ブランドにとっては真の宝であるキャッチ・コピーを削除するのではなく,子供を起用しよう。そうすればコピーをなんとか使い続けることができる(少なくともしばらくの間は)。これがイラストレーターの選択であった。
ここでは,黒人に対するもう一つの偏見も訂正されている。それは,黒人とはまったく“洗練”とは程遠い輩で,精神ではなく感覚を通して“身体で”反応するという偏見である。
1930年,イラストの黒人はスプーンを片手に味見し,ただ単に自分の感じたことを言っていた。“オイチー”(日本のCMで小錦が同じように使われていたことを,私はどうしても思い出してしまう)。
1959年の図柄では,黒人はティーカップを手にしている。しかも両手は彼への評価が高まるように配置されている。カップを持つ手の小指は宙に浮いている。これは,彼がちゃんとした礼儀作法を体得していることを,皮肉混じりに示している(フランス人にとって,これは女王陛下のお茶の飲み方である)。右手の人さし指からは,この黒人は,飲み物が美味であることを適切に説明し,人に推薦できる人物であることがうかがえる。
さらに,イラストの様式化によりバナニアは現実や歴史からさらに距離をとることができた。こうしてブランドはもっとも重要なもの,つまり色の暗号(黄,青,赤)とキャッチ・コピーを保持できたのである。
    

図6(1967)

図7(1977)

図8(1987)

青のモルヴァン

図6(1967)
様式化はさらに進む。黒人の子供は幾何学模様になる(顔は三角形,帽子は赤の正方形,房は青の長方形)。コピーは相変わらず印刷されている。当時,コピーは人気ラジオ番組で取り上げられ,そこでは“オイチィ?”という問いかけに“バナニア”と答えなければならなかった。
当時,私は高校生だったが(68年5月のちょうど一年前),コピーが卑劣きわまりなく,あからさまに人種差別的に響いていたのを覚えている。

図7(1977)

コピーは(やっと)消えた。その代わりに舌なめずりをする“人種的特徴のない”顔が描かれている。“美味しい”という視覚的メッセージは,1930年の顔と同様にダイレクトに伝わってくる。だが,この顔にはもはやいかなる論争の余地もない。
もはやセネガル狙撃兵は,商品名の上を飾るロゴマークでしかない。

図8(1987)
1915年に始まったセネガル狙撃兵の広告からは残っているものといえば,巧みに利用され続けている色の暗号だけである。
バックはお決まりの黄色である……活字の配置は軽やかになったものの,商標「バナニア」は相変わらず青である…… 上ぶたと,開封箇所を示す赤い部分だけがかつての帽子を思い出させる。
アングロサクソンの影響により,食習慣も変わった。今やバナニアのパッケージは,1912年同様,原料に加わったあらたな食材(たとえば蜂蜜,シリアル)を強調する必要に迫られている。

*

80年代にバナニアの箱がたどった変化は,フランシス・フクヤマの分析を裏づける。わたしたちは“歴史の終焉”に立ち会っていたのだ。20世紀の大きな歴史の展開−−戦争,植民地帝国,人種差別−−への言及は,“パッケージ”から徐々に消え去った。最後まで残ったのは色の暗号だけである。イデオロギー色の強かった,ブランドのアイデンティティは唯一デザインだけになった。この事例は,一般的に認められているのとは反対に,広告が社会風俗の一歩先を行っている訳ではまったくないことを示している。バナニアが自社イメージを変え,しぶしぶキャッチ・コピーを取り下げたのは,進歩する社会の圧力に屈したからにすぎない。(同様に,石油会社が環境問題を取り上げるのも,汚染スキャンダルの後でしかない。自動車メーカーが安全を語るのも,交通事故が社会的災害として受取らるようになってからのことだ。タバコ会社が話し方が変わったのも,法律の制約を受けたからにすぎない。)
“ブランドのアイデンティティー”という観点からみれば,バナニアの歴史は,コミュニケーションにおける“シニフィエ(signifié)”に対する“シニフィアン(signifiant)”の優位を裏付けている。メーカーがアイデンティティーを守ることができたのは,長年に渡って獲得されたデザイン上の規則=シニフィアンを保持したからである。ところが,歴史的現実についての言及=シニフィエは,すべて消え去ってしまった。また,変革の必要性が意識されはじめた60年代後半,色の規則を破ったパッケージも試みられたが,試みは完全な失敗に終わった(図8,青のモルヴァン)。

*

“歴史の終焉”は,もちろん歴史が止まったことを意味するのではない。きわめて“ポスト・モダン”的な方法で,かわいい“セネガル狙撃兵”は1997年のCMに“カムバック”を果たし,注目を集めた。
図10-17(1998)
“ポスト・モダン”の特徴の一つは,メタフィクション,引用,シンボルの流用を頻繁に駆使することである。このCMではまさしくそれが行われている。“セネガル狙撃兵は”は,私たちが幼年時代に見たバナニアの“懐かしき”宣伝のシンボルとして復活している。この1998年のテレビ・コマーシャルでは,1959年のイラストが使われている(モルヴァン)。また,テーマはかつてのバナニアの伝統的な作り方である。もちろん当時のキャッチ・コピーは現われない。
“昔の味”へのこだわりをうたいながら(今日の商品のように直接お湯に溶かすのではなく,“温めて作る”),テレビCMは,90年代に出現した新しい飲み方を取りあげている。商品は“朝食”のお供としてではなく,友だち同士でいつでも飲める“スナッキング”や“コクーニング”のお供として紹介されているのだ。

図10

図11

図12

図13

図14

図15

図16 図17        

歴代のキャッチ・コピー
1912:集中的高カロリー療法 (suralimentation intensive)
1930:最高の甘い朝食 (exquis déjeuner sucré)
1950,1959:家族の朝食 (un petit déjeuner familial)
1967:元気な朝食 (le petit déjeuner dynamique)
1977:朝の食事 (un repas le matin)
1987:バランスのとれた朝食 (un bon petit déjeuner équilibré)
1998:伝統的な温める作り方 (recette traditionnelle à cuire)
    

翻訳: 飯田 伸二
略歴: 1964年、山口県宇部市生まれ。
宇部高校卒業後、大学(九州大学文学部)でフランス語を始める。はじめてフランス語を教えてくれたフランス人のお一人がBouvier先生。
1990年から1995年までフランス政府給費留学生としてパリ第III大学に留学。その間、ボルドー第III大学で講師、研究員を勤める。
1995年パリ第III大学文学博士号取得。
その後、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は鹿児島国際大学助教授。

BANANIA STORY

Jean-Christian BOUVIER

figure 1(1912)

figure 2(1915)

photos tirailleurs 1-2-3

figure 3(1930)

figure 4(1959)

figure 5(1959)

 

figure 6(1967)

figure 7(1977)

figure 8(1987)

Morvan bleu

figure 10

figure 11

figure 12

figure 13

figure 14

figure 15

figure 16 figure 17      

Jean-Christian BOUVIER

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