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| Model |
ASTON MARTIN
「LAGONDA」 (ラゴンダ)
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| Year |
1990年
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| Exterior |
GUN/metallic |
| Interior |
GLAY・LEATHER RIGHT・GLAY PIPING |
| price \ |
ASKing |
| Mileage |
72.230km |
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| Ammenities |
ディーラー車 or 新車並行 左ハンドル
V8 DOHC インジェクション 5340cc・E/G
3速フロアAT
馬力 :289ps/5500rpm
最高速:240km
全長:537cm
全幅:180cm
全高:133cm
車重:2040kg
定員:4人
装備:
パワステ、パワーウインド、パワーシート、オートエアコン、チルト・ハンドル、リア・ガラスルーフ、
HDDナビ(エクリプス)ETC車載器、リモコン・ロック、他フル装備
内外装機関共に稀に見る超極上車!
車検:23年10月26日まで
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| COMENTS |
アストン・マーティン「ラゴンダ」
解説:
アストン・マーティン社については、過去 何度も ご紹介してきたが、、、当個体、「ラゴンダ」の名を持つかぎりは、「ラゴンダ」社についても、少しだけ触れておきたい。
当モデルの名の由来、「ラゴンダ」社は、元々「アストン・マーティン」とは別会社で、創業は、1906年。
数々のレースで活躍するほどの高級スポーツ・カー製作を得意とする自動車メーカーであった。
ただ、その社名をビッグ・ネームにしたのは、、
一人の人物の お蔭であろう。
そう ベントレーの始祖「WOベントレー」 その人である。
「WOベントレー」は、1919年に会社創業、彼の作った車は、1931年にロールス社に買収されるまでの間、ル・マン レースで、5度も総合優勝していた。まさに、レース界の天才児。
その「WO」が、1934年に ロールス社から「ラゴンダ」社の 主任設計士として移籍した。
そして、彼の頭脳に すでに構想されていた12気筒エンジンを即座に開発、、
そのエンジンを載せたマシンは、翌、1935年、みごと ル・マンで優勝する。 天才でしょ、
このマシンの名前が「ラゴンダ M45R・ラパイド」である。
余談ながら、1923年から開催された「ル・マン」24時間レースの 1927年からの総合優勝車
1927年 ベントレー
1928年 ベントレー
1929年 ベントレー
1930年 ベントレー
1931年 アルファロメオ (8C)
1932年 アルファロメオ (8C)
1933年 アルファロメオ (8C)
1934年 アルファロメオ (8C)
1935年 ラゴンダ (M45Rラパイド)
1936年 中止
1937年 ブガッティ タイプ57G
1938年 デライエ
1939年 ブガッティ タイプ57C
この後、戦争で49年までレースは中止となる。
驚くべきは、「WOベントレー」設計のエンジンが、5台もあるということ、、。
1930年にベントレーがレースから去り、その後、最強の名をほしいままにしていた「アルファ」の「8C」を 僅か1年の製作期間で いとも容易く 破ってみせた。
しかし、「ラゴンダ」社の経営自体は世界恐慌の影響で窮地にあり、同年、「アラン・グッド」社に買収されてしまう。
その後に、レースで活躍するのが「ブガッティ」というわけだ。
「WO」がレースに参加してれば、どうしても勝つことのできなかった「ブガッティ」が、「WO」の巨大なレース・カーを皮肉って、「速いトラック」と揶揄していたのは有名な お話。
戦後、1948年、「ラゴンダ」社は、「デビット・ブラウン」が すでに買収していた「アストン・マーティン」社に買収される。
これは、ル・マンでの優勝を夢みていた「デビット」が、「WOベントレー」に目を付けてせいだと思われる。
これで、会社名が、「アストン・マーティン・ラゴンダ」社となる。
「デビット」は自身の名「DB」を付けたモデルを すでに販売していたが、「WO」を獲得すると、前・設計士をクビにし、「DB2」から「WO」設計のエンジンを搭載する。
このモデルが、名機でないわけがない。
瞬く間に、一度倒産しかけていた「アストン」は、名門の仲間入りをすることになる。
1959年には、念願の「ル・マン」で総合優勝、、モデル名は、「DBR1」。
ついで、「デビット」は、戦前のル・マン優勝車「ラゴンダ・ラパイド」の名をつけたモデルを開発する。
このモデルは、1961年から64年の間に、僅か「55台」生産しただけであったが、、
それが、2010年から販売されているアストンの4人乗りモデル「ラピード」の始祖である。
その後「ラゴンダ」は、再び開発される。
1969年: 「V8・ラゴンダ」というプロト・タイプ モデルがでた。
このモデルは、「DBS」を単に「4人乗り」4ドアにした車。
1974年: 「ラゴンダ」正式デビュー、、「シリーズ1」
ただ、これも、当時の「V8クーペ」を4人乗りにしただけ、、7台のみの生産
1976年: 「ラゴンダ」 シリーズ2が、10月のロンドン・モーターショーでベールを脱ぐ。
これは、まったくの新型モデル、、いわゆる「ラゴンダ」のカタチをしているのは、このモデ ルが始まり。
デザインは、、「ウイリアム・タウンズ」
先端のとがったシャープなボディにリクトラブル・ヘッドライト、、
メーター類は80年モデルからLEDで点灯、82年からは、「ブラウン管」メーターとなる。
4人乗り・4ドア 高速クルージング・スポーツ
当時も今も 極めて斬新なデザインである。
この「シリーズ2」は、1985年まで生産、、総生産台数:「462台」
1985年:キャブからインジェクション仕様となり、「シリーズ3」に。
デザインは、「シリーズ2」と変わりなく、 87年まで生産、、総生産台数:「75台」。
1987年:
ついに、「ラゴンダ」のデザインが大幅に変更される。
トラブルの多かった「リクトラブル・ヘッド」は廃止され、角目6灯ヘッドとなり、ボディは、ぐんと 厚みを増し、細部にわたって高級感あるデザインに手直しされている。
流石に1976年発売モデル、、デザインには古臭さが目立ってきていたが、、このモデル・チェンジで
現在に通用する怪物に生まれ変わった。
これが、ファイナル・シリーズ「シリーズ4」、、当モデルである。
「シリーズ4」は、1990年まで生産され、、
総生産台数は、「105台」!
もっとも貴重な「ラゴンダ」である。
もっと、売れていても よさそうなものだが、、
この車は、あまりにも高額になりすぎていた。
1988年時のプライスは、
「3900万円」
アストンの主力モデル「V8サルーン」が、「2650万円」
オープン・モデル「ヴォランテ」でさえ、「2900万円」
その他の高額モデルといえば、
カウンタック 「LP500S」でさえ、「2750万円」
フェラーリ「テスタロッサ」:「2420万円」
ベントレー「ターボR」:「3200万円」
ショールームで買える車で、もはや「ラゴンダ」より高額なモデルは、
・フェラーリ「F40」:「4500万円」
・ロールス「コーニッシュ」 :「4300万円」
・ベントレー「コンチネンタル」:「4000万円」
この3モデルをおいて他になかった。
これでは、買える方がいない。
当モデル、おそらく、当時の正規ディーラー「麻布自動車」で販売されたディーラー車と思われるが、
輸入台数の少なさから、「麻布」は、「ラゴンダ」の型式認証を取っていないため、車検証を見ても分からない。
それでいて、「麻布」は、すでに存在していないので、聞くこともできない。
アストン本社で確認する案もあるが、この個体のシリアルナンバーは、それを必要とするとは思えない。
この個体のシリアルは、「90年モデル」を表し、初年度登録も90年7月、、
かなり最後のほうに生産された個体である。
正確には(調べたが)
最後から、「10番目」生産の「ラゴンダ」であった。
日本で登録された「ラゴンダ」の中では、最後から2番目にあたる。
「ラゴンダ」は、トータル「24台」が日本に輸入された。
このうち 何台が、まだ、日本に住んでいるかは不明であるが、
1990年シリアルを持つ個体は、日本には、2台しかないものと思われる。
90年シリアル、、これだけでも、「ファイナル・モデル」としての価値があるが、それ以上に 素晴らしいのは 当個体のコンディションであろう。それはのちほど、、。
「ラゴンダ」は、トータル「645台」ほどを生産し、1991年以降、その名が付いたモデルも消滅する。
「ラゴンダ」という名には、自動車業界に彗星のごとく煌き、消えていったスーパースターたちが、からんである。
「ウォルター・オーエン・ベントレー」、「フレデリック・ヘンリー・ロイス」、「デイビット・ブラウン」、、
「ラゴンダ」、、忘れてはならない名前である。
さて、やっと当個体の お話、
ベントレー「コンチネンタル」の下取りで頂いた。
「ラゴンダ」より高価であった「コンチネンタル」の、、ってとこが分かる、、。
前オーナー様は、フランス人
2002年に当個体を購入。
世界中を飛び回るビジネス・マンで、当個体を国内で購入後、一度、仕事の関係でイギリスに持っていっている。
国内では、「麻布自動車」、他で整備し、イギリスでは、サリー州・白洲次郎も何度も通った「ブルックランズ・サーキット」近くにある有名なアストン・ファクトリー「トリニティー・エンジニアリング」で万全の整備が施されている。
ここのおやじさん、うちも取引のあるアストン整備の名門「RS ウイリアムズ」で修行した信頼できる職人さんである。
前オーナー様、全ての整備明細、記録簿などを残されている。
整備明細(請求書)は、30枚近く
徹底的な整備内容で、その総額が、700万円ほどにも 及んでいる。
当個体の販売価格より、高い。
その整備内容は、恐ろしく細かく 多岐にわたる。もはや、気持ちよいほどであるが、、とても、書き出しきれない。これは、そのまま、次のオーナー様に お渡しするとしよう。
そんなわけで、整備状況は、自慢できるほど、、
ここまで、整備されている「ラゴンダ」も珍しいから、次に オーナーになられる方にとっては、最大の安心材料であろう。
内外装もキレイであったが、外装一部に塗装劣化が見受けられたため、当社入庫後、気になった箇所は全てリペアした。
内装は、手直しを要すまでもなく、キレイ。
「シリーズ4」、、久しぶりに扱ったが、、数年間、以前 扱ったときより新鮮に思えたのには、自分でもビックリ、、よくよく、見ると、、いや、年を重ねるごとに、、この車は、輝きを増すようだ。
詳しくは下記より、写真55枚で↓
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外色は、「ガン・メタリック」。
元色であるが、カラーの正式名称が分からないので、見たとおり「ガンメタ」とした。
前述のとおり、気になる箇所は すでにリペア済みのため、なんの問題もなく、キレイ。
総アルミ・ボディ
かつてのアストン本社「ニューポート・パグネル」の熟練工の匠の技。
アルミは、サビや腐食に滅法強いから、後世に残しやすい。
直線と曲線が微妙に絡む これぞ「ラゴンダ」!という独特のデザイン!
このモデルは、「アストン」の独創性をアピールするのに大いに貢献した。
「シリーズ4」のデザインは、「シリーズ2」、「3」のイメージを壊してはいないが、なかりの部分で変更されていて、一見、
大型エアロ・パーツが取り付けられたモデルのように見える。
「ラゴンダ」のコンセプトを象徴してるのは、
ガラス・ルーフが、リアに有るってところ。
つまり、オーナー様が後部シートに座る場合も想定させている。
ハンドルを握るも好し、スポーツ・リムジンとして、後ろに座るも好し、、ってわけ。
分刻みに忙しい企業の会長さんクラスが、後部シートに座り、高速移動に利用する 場合も 多かったようだ。
しかし、今となっては、ハンドルを握ったほうが面白い。
当モデルに搭載されている アストンの軽合金製「V・585」エンジンは、名機であるから、堪能したほうが好ましい。
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内装は、「グレー」レザーに「ライト・グレー」パイピング。
シート・パイピングが、いかにもイギリス車。
内装レザーの状態も極めて よろしい。
よほど、大切に お乗りになってきたことが伺える。
使われるレザーは、「コノリー」社製、
ウッドは、「バーウォールナット」
カーペットは、100%ウール
ロールス・ベントレーのようだ。
天井がバックスキンで張られているところが、ロールスとの違いか、、。
シート・ポジションも悪くない。
ロング・ノーズが気にならず、思いのほか 乗りやすい。
当時は最先端であったデジタル?メーターは、今となっては、アナログ・メーターの方が、それらしくて好いと思うが、
まあ、これも、「ラゴンダ」が他社に先駆けて採用した独創的 試み・と歴史的背景を思ってみれば、、がんばりが伝わってくる。
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水冷 V型8気筒 DOHC 5340cc
総アルミ・90度V8エンジン、
このエンジンの元となったのは、「ディビット・ブラウン」が、まだ経営権を持っていた時代(1972年秋まで)、ル・マン24時間レースに勝利するため開発された1967’ワークスカー「ローラ・T70」に積まれていたV8エンジンである。
「マレック・タディック」設計、アストン初のV8エンジンで、総アルミ・5064cc、、馬力は推定500馬力、このエンジンを積んだ「ローラ・T70」は結局、レースに勝利することはなかったが、、
1969年、基本設計を変えることなく、量産用に5340ccにボアUPしたV8エンジンをDBSに積み販売する。*このDBSが「デイビット・ブラウン」の頭文字DBの名を持つ最後もモデルとなる。
このエンジンは、度重なる改良が施されたものの基本設計を ほとんど変えることなく、当モデルに引き継がれている。
前オーナーの献身的ともいえる万全の整備で、現在も絶好調!
音は、重低音、いかにもアストンの「それ」であるが、うるさい・ものではない。
それでいて、インジェクション仕様、、乗り手を選ぶほど、むちゃな車じゃない。
しっかり、整備されている個体は至って扱いやすく、たやすく、究極のアストン・マーティンの世界を堪能できる。
「ラゴンダ」、、思ったより速い、、
速いだけの車なら沢山あるが、「ニュポートパグネル物のアストン」ともなると、それだけではない、、、いや、むしろ「速い」のは、おまけだ。
イギリス貴族はもとより、世界中のVIPをも唸らせる室内空間と音、、極めつけは、職人の技が香る「たたずまい」、、伝統工芸品なのだ。
90年シリアルを持つ国内 2台の「ラゴンダ」、、
もう1台の個体の行方を 私は知らない。
「ラゴンダ」のある生活、、、悪くないと思う。
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