Model Darby BENTLEY 4.25
Corchbuild by Thrupp & Maberly


Year 1937
Exterior BLACK
Interior BURGUNDY LEATHER
price \ ASK
Serial・NO B87KU
Ammenities 本国仕様 右ハンドル 国内96年登録 国内2オーナー
「スラップ&メイバリー」コーチビルド


直6 OHV 4257cc SUツインキャブ
4速フロアMT
馬力:125bhp/4500rpm


全長:478cm(車検上の583cmは間違い)
全幅:173cm
全高:158cm
車両重量:1700kg
乗車定員:5人

内外装機関共にレストア済み、稀に見る超極上車。  
車検:平成23年6月まで


COMENTS
「ダービー・ベントレー4.25」!

1937年 「スラップ&メイバリー」
モーターショー出品車!


1933年から1939年の間に生産させた「ダービー・ベントレー」である。せっかく戦前のモデルなので、ついでに、「WOベントレー」の時代まで歴史をさかのぼって、少々?ご説明を、、。

物語は、1888年9月16日に誕生した 一人の天才「ウォルター・オーエン・ベントレー」から始めたい、、。
大学で物理、化学を専攻、卒業後は、鉄道会社に就職、エンジニアとなる。
第一次世界大戦中は、軍に要請され、飛行機エンジンの開発にも着手(位は大尉)、終戦後は、かねてよりの希望であった自動車メーカーになるべく、、1919年、31歳の時、早くも、「ベントレーモータース」を興す。

試行錯誤の末、最初の1号車(3リッター)を納車できたのは、1921年8月のことであったから、、実際には、この会社のスタートは、この年から・といってもよい。
それから生産された車を通称「ウォルター・オーエン」の名をとり、「WOベントレー」と呼ぶ。
思うに、「ベントレー」氏は、ロールス・ロイス社の「フレデリック・ヘンリー・ロイス」に匹敵するほど、天才にして努力を惜しまない人物であった。
「WOベントレー」モデルの詳細は、当「ダービーベントレー」とは、まったく関係ないので、割愛させていただくが、、
驚愕に値するのは、1924年、1927年、1928年、1929年、1930年と、5回も「ル・マン24時間レース」で優勝を飾っていることだ。
27年からは4連勝・・向かうところ敵無しのスーパー・スポーツカーであった。
ところが、1929年に始まった世界同時恐慌がベントレーの経営にも、重く圧し掛かかり始める。
事態は好転することなく、1931年、「ネイピア」社というリムジン販売を得意としていた自動車メーカーに身売りが決まろうとしていた、、、
そこに突如、仮名の会社から横槍が入り、、「ネイピア」より、遥か高額なオファーを提示、一瞬にして ベントレー社を買収してしまう。
その仮名の会社こそ、「ロールス・ロイス」社であった!
ロールス社は、「ネイピア」社自体は、恐れてはいなかったが、ベントレーと合併すれば、自社の強力なライバルとなる・・のを恐れ、先に息の根を止めたのである。
ベントレー自身、自伝で、契約書にサインした後に、買収先がロールス社と分かった・・と語っている。
更に、この契約書の一文には、「ベントレー」氏もセットで買収・の一文が含まれていた。天才頭脳の流出を恐れてのことだ。
この史実は、ロールス社の唯一の「黒い歴史」とされている。

そうして、天才「ベントレー」氏と共に、栄光の「ベントレー」ブランドを手に入れたロールス社は、1933年、さっそく ベントレーの名を持つスポーツモデル「ベントレー3.5L」を発表する。
このモデルは、当時の工場所在地に因み「ダービー・ベントレー」と呼ばれることになる。

*余談:ベントレー氏は、1935年、なぜか(諸説有る)ロールス社を退社、「ラゴンダ」社の主任設計者に招かれる。
戦後、既に「アストン・マーティン」を買収していた「デビット・ブラウン」氏に「ラゴンダ」も買収され、アストン・マーティンの「DB2」からベントレー氏設計の直6DOHCエンジンを積む。このエンジンが戦後アストン快進撃の原動力となる。
ベントレー自身がアストンで現場まで指揮していたのは、「DB2/4」モデルまでで、その後は、静かに余生を過ごし、1971年8月、82歳で、その波乱の生涯を閉じる。


さて、やっと本題:
「ダービーベントレー3.5L」は、1929年に登場していた小型ロールス・ロイス「20/25hp」モデルのチューンド版と、ほぼ思っていただいてよい。(フレームなどは異なるが、)
SUツインキャブなどで武装、最高速度は、初期モデルで146kmに達したが、これは、ロールス版(20/25)の最高速度を25kmほども上回る数字であった。

1936年:ロールスが排気量を「20/25」の3669ccから4257ccの
「25/30」に進化すると、「ダービー・ベントレー」も後期型と呼ばれる「4.25」モデルとなった。  
それこそが、当モデルである。

ロールス(ベントレー)社が、自社でボディ製作まで行なうようになるのは、クルー工場移転後、戦後(1946年から)になってからのことであるから、、「ダービー・ベントレー」は、全て「コーチビルド・モデル」・・・コーチビルダーによるハンドメイド製作ということになる。
「4.25」モデルは、第二次世界大戦の勃発により、1936年から1939年までの僅か4年間しか生産されていない。

「4.25」総生産台数は、「1234台」。

コーチビルダー別生産台数内訳は、多い順に

1.Park Ward      530台
2.Vanden Plas    122台
3.Thrupp&Maberly 105台
4.HJ・Mulliner     102台
5.Gurney Nutting   50台
6.Hooper         45台
7.Van Vooren     44台
8.Freestone&Webb  37台
9.James Young      35台
10.barker          24台
他             140台

そうそうたる有名コーチビルダーが、名を連ねるが、この生産台数の順位は、そのまま、人気投票と同じである。
当個体は、第3位、「スラップ&メイバリー」105台中の一台である。
戦後では4天皇となるコーチビルダー中の3社「HJマリナー」、「フーパー」、「ジェームスヤング」を抑えての3位であるから、「スラップ&メイバリー」が如何に凄いコーチビルダーであったか、ご理解いただけよう・・。
*「ダービーベントレー3.5L」モデルの生産では、総生産台数1177台中111台を生産し、[パークウォード」に次ぎ、第2位の順位であった。


当個体は、1996年に国内登録、ロンドンの名門販売店「フランクデール&ステップソンズ」で完全にレストアされた状態で購入している。
国内1オーナー時に当社で購入、販売させていただいた「シーザー認定中古車」で、
実用のために、施した改良も多数・・・
この車の真骨頂は、その「走り」にある。
今回は、オーナーさまの「置き場」のご事情により再入庫、、

では、下記より、詳しく↓

外装色は、「ブラック」。

ソリットのブラックである。
フルレストア車ながら、入庫時、そろそろ塗装の数箇所に劣化に見られたので、気に入らない箇所は、再ペイントした・・結果、ほとんどオールペントとなってしまったが、仕上がりには満足・・・当時の深みの有る、しっとり・とした「ブラック」の輝きを取り戻した。
シャーシのコンディションも世界に自慢できるほど、素晴らしく、とても戦前の車とは思えない。

全長:483cm
全幅:173cm
全高:158cm
車重:1700kg
定員:5名


後のベントレーから比べれば、大変小柄なボディである。
車重:1700kgしかない。これは、総アルミボディであるから・であるが、この軽量ボディが「走り」に大いに貢献している。
この車以上に巨大で重いリムジンボディを載せたロールス・ロイスでさえ、軽々と走らせる「直6・4.25」のチューンド版エンジンであるから、当然ながら・・「ダービーベントレー」は
「速い」!
今だに、クラシックカーレースで活躍できるレベルで、例えば、国内最高峰のクラシックカーラリー「ラフェスタ・ミレ・ミリア」に08年2台、07年4台の「ダービーベントレー」が出走した。
ダービーベントレーは非常に乗りやすく(操作性が良く)、マニュアル車を運転できる方であれば、どなたにでも運転できる。
重ステであるから、パワステのように取り回しも片手でラクラクというわけにはいかないが、、良く整備された個体であれば、古さなど、まったく気にならないほど普通に運転できる・・・
そこがダービーのスゴイとこ。

さて、このボディデザインを見ていただきたい。
素晴らしくセクシーで複雑な曲面を持つ・・・ハンドメイドの総アルミボディ・・・眺めているだけでも飽きない。
かくあるべし・・・の お手本のようなヘッドライト廻りの造作・・・ルーカスの巨大なヘッドライトのほか、センターにはフォグランプ、左右にあるヘッドライトは、オリジナルのままでは夜間走行時に暗いので、弊社で跡付けしたクラシックタイプのハロゲンランプ・・実用車仕様。


当個体のコーチビルダーである「スラップ&メイバリー」社を、もう少し解説しておこう、、。

創業は1760年という老舗である。
スラップ氏とメイバリー氏・・創業者2名の名を社名としている。
自動車のコーチビルドに乗り出すのも早く、一番最初の仕事は、1896年、ビクトリアという車をコーチビルド・・・この車は、スペイン女王に納車されている。
後、数々の名車のコーチビルドを重ね、1925年のモーターショーでは、ついにロールス・ロイス・コーチビルドモデルを発表するに至る。

「スラップ&メイバリー」は、1933年の「ダービーベントレー」誕生から1938年までの6年間、毎年、モーターショーで1台づつ「ダービーベントレー」の新作ボディを発表(出品・展示)していた。
1937年のモーターショーに「ツーリング・サルーン」として出品された作品こそ、正に当個体そのものである。
興味深いのは、、1933年出品の2ドアDHC以外、1934年から38年の5年間、全て4ドア・サルーンを出品している点で、このコーチビルダーの得意分野は、4ドア・サルーンであることが伺える。

戦前、ロールス、ベントレー、ダイムラー、タルボットなどの高級車で名作を残した「スラップ&メイバリー」であるが、戦後は、「ルーツ」グループに飲み込まれ、残念ながら、歴史残るような大作は製作できないまま、1967年、会社は閉鎖される。


で、当個体、、確かに、デザインバランスもよく、造作の精度は現在の車以上・と言ってもよい。
ドアが「カチャリ」と閉まる音を聞いただけでも、ただものではないことが分かる。
「4.25」生産シュア第3位の実力は、イギリス中で3位と同じこと、悪いわけがない。

芸術品の域!

内装は、「バーガンディ」レザー。

内装も完全にレストア済みで、レザー類も、全て張りかえられている。
ウッド類も抜かりなく、リペアされており、どこを見てもキレイ。
室内空間も前後ともに十分に広く、窮屈さは無い。
メーター類は、スピードメーターにタコメーター、電圧計、水温計、燃料計、油圧計、、現在の車と変わりはない。
ETCも取り付けている。

フロントウインドは、写真のとおり、開けることもできる、、開けた状態で走らせてみたが、なんとも心地よかった。
その折、当時オプション設定であった巨大なスライディングルーフも開けておいたのだが、その爽快感といったらない。
この巨大スライディングルーフを開けた状態であえば、セダンカ・のようである。このオプションは有益で運転の楽しみが増す。

右ハンドルの右シフト、運転席への乗り降りには、左ドアから入ったほうがスムーズだ。
右シフトは、ピン・とこない方も多かろうが、右利きの方なら、逆に乗りやすい。利き腕で操作するのだから、、。
H型に溝の入った4速であるから、ギアを入れるのも分けない。ダブルクラッチを踏む必要もない。

ステアリングにパワーアシストはないが、車重が軽く、タイヤも細いので、走り出してしまえば、重い・とは誰も感じないはず、。

ま、百聞は一見にしかず、、
ご興味のある方は、ぜひ、ご試乗ください。

6気筒 OHV 4257cc  歴史に残るエンジンである。

この必要以上に頑丈で美しいエンジン、、
現在でも、当時のスペックどうりの性能がだせるところがエライ。
エンジンルームの景観も必見!・・・アルミの作り込みが見るものを圧倒する。傑作だ。
とても車のエンジンのようには見えない・・・精密機械だと思うと理解できるが、、。

オルタネーターも弊社で交換済み。
近代車のような「余計なお世話」な装備は皆無であるから、故障の心配も、心配するレベルにない。
エンジン本体が壊れることも、あと数十年は考えずらいが、パーツ供給の良さも手伝って、修理で困ることもない。
耐久性、操縦性、整備性の良さ、三拍子揃ったクラシック・カーてのは、なかなか無い。


余談:
前述で、当「ダービー・ベントレー4.25」がロールスの「25/30」モデルの高性能版的な ご説明をしたが、、当個体、
1937年式モデル・・・歴史的に興味深いのは、、戦前に輸入された2台の「25/30」の内の1台、吉田茂・元総理大臣が、所有されていた有名なロールス・ロイスも1937年式(フーパーボディ)「25/30」であった。
吉田総理は、このロールスに乗って大磯の○○宅へ行くため、横浜バイパスを通した(作った)・と、されているが、、田中角栄・総理の新潟新幹線以上に、なんとも痛快な話である。
このロールスは現在も当時と同じまま現存し、もちろん、当時と同じ性能のまま走行することもできる。
さらに、もう1台の「25/30」は、やはり1937年式、当個体と同じく「スラップ&メイバリー」のリムジンであったが、この車が空襲を逃れ、生き延びたかどうかは、残念ながら知らない、、。

また、戦前に正規輸入(当時のディーラー:野沢組)された「WO・ベントレー」は7台あるが、、「ダービー・ベントレー」の台数は不明、、。
小林彰太郎先生によると、戦後まで生き延びたダービーは1台しかない。
三井家の当主「三井八郎右衛門」さん所有の1936年式
「3.25」パークウォード・コーチビルドの当個体と良く似た4ドア・サルーンで、戦争中は、長野の三井炭鉱のトンネルの中に隠し、疎開させていたという。
このダービーは、1960年代半ばまで、なんと30年ほども、八郎右衛門さんの愛車として活躍していたが、、
おそらく現在も三井家にあるのではなかろうか?



「スラップ&メイバリー」の傑作は、やはり戦前モデルでしかみることができない。
このコーチビルダーがもっとも得意とした4ドア・サルーン、、しかも当個体は、1937年のモーターショーに出品された、そのものの力作!
それでいて、4ドア・サルーンは今となっては、2ドア・モデルに比べ、格安で購入できるのも、お勧めポイントである。