2005/3/30/wed
少し旅をしました。鳥取と香川へ行きました。京都でレンタカーを借りての車での旅です。鳥取へは高速で3時間で着きました。最近、どこかへ旅に出る理由っていうのは美術館へ行く事が多いです。鳥取は写真家の植田正治さんの美術館に行きました。最近ちょっと写真に興味があり、いろいろと見ていたり調べています。その写真に興味を持ち始めたきっかけが、この方の写真です。写真での表現方法って難しいなって考えていたときに、たまたま雑誌で植田さんの写真が載っていて、僕が見たかったのはこういった写真だと直感で思いました。写真の世界ではめちゃくちゃ有名な方ですが、僕は知りませんでした。どこまでも写真が好きで、何だか難しい事なしで好きなように、好きなものをとり続けていた人です。今回の美術館へ行ったとき、まずびっくりしたというか、やられたなぁと思ったのは美術館の建っている場所です。米子の少し南の山の上の方にあって、周りは畑で目の前には大山の全体が見えるようなところです。なんて素敵な人なんでしょうか。とにかく一度行ってみたらわかります。どこまでもどこまでも素敵な人だというのがわかりました。カメラのファインダーの中に自分の世界があって、そこには自分の好きなものしか写さない。それって結構すごいことですよね。鳥取砂丘で写真を撮っていたのが評価されていたということで、僕も鳥取砂丘に美術館へ行く前に行きました。写真を撮るには最高の場所かもしれません。砂と空だけの空間は真っ白のキャンバスと同じで、そこに何かポツンと物や人がいるだけで、絵になります。僕も写真を撮ったのですが、まだ現像していないからどうなったかは、わかりません。一つ後悔したことがあります。それは砂丘の海側に大量のゴミが落ちていたのです。波で流れて浜に着いたものだと思います。本当にたくさんありました。僕はついついそんなゴミを撮ってしまったのです。なんだろう、結局今の写真の流れってそういう感じだと思うのです。目の入ってきたもの、それを直感でついついシャッターを押してしまう。それでいいと思うのです。でも、植田さんの美術館で作品を見ると、そのことに少し後悔してしまったのです。本当に撮りたかったものか、残したかったものかと言えばそうではないです。本当は目をつぶっていたいものです。でも世の中では、そういったものに目を向けるべきだというのは当然です。でも自分の世界を作る事ができるあのカメラの中には、そういったものをわざわざ入れる事はないのかもしれません。きれいなものだけ、自分がいいと思うものだけ、それだけをカメラに残すこと。それって一見すると、汚いものに蓋しているようだけど、そうではないと思います。植田さんの写真は人物を撮っています。もちろん物や風景も撮っているいますが、その物や風景の写真の中にも人を感じるのです。そこには人間のドロドロした部分は見えませんし、それを残そうとか表そうなんてことは考えないと思います。どちらかというと、そういった部分は写らないようにしているように思います。本当にどこまでも、どこまでも徹底した人です。だからあの場所に美術館に建てたのだと思います。
 二日目は高松へ行きました。猪熊弦一郎美術館です。ここもまた何度か訪れてみたい場所です。その後、以前に永井宏さんに教えてもらった、クエンチカフェに行きました。女性オーナーの方が一人で大きなカフェとギャラリーを一人で運営していました。個人でされているという事を聞いていたので、小さい場所をイメージしていたのですが、すごく大きかったし、しっかりしたお店でした。ギャラリースペースを見せてもらったのですが、なかなか大きくてきれいな場所でした。使い方もいろいろできそうです。まだなかなか起動していないようですが、今後いろんな人が使って生きた場所になれば素敵なものが生まれてくるように思います。なかなか高松には若い人達が集まる文化的な拠点がないようです。一人でカフェとギャラリーをしているので、ギャラリーの方に手が回らないといった状態なので、何か僕もお手伝いできたらと思いました。ぜひ四国に行って際は立ち寄ってみてください。そして、高松の方や四国で展示を考えている方がいれば、ぜひ行ってみてほしいです。クエンチカフェHP

2005/3/25/fri
一週間ぶりになってしまいました。一週間が長かったように思います。三連休があったからですね。関西サイクルスポーツセンターは楽しめました。へんてこな自転車ばかりでした。あと遊園地にあるような乗り物がいくつかあって2個ぐらい乗りました。3連休ですごい人の多さだったので、並ばないといけませんでした。30分以上は並んだと思います。一つは上空30メートルまであがっていく、サイクルパラシュートだったかな?そんなやつです。僕は高いところが苦手です。というよりも、前も書いたような気がしますが、遊園地の乗り物は苦手です。絶叫マシンや高いところへ行くもの、そして回るもの。全部だめです。だから今回もサイクルパラシュートに乗りたくなかったわけですが、見ているとちょっと優雅に上がっていって、優雅に落ちているので、これはきっといけるかもって思って、乗ってしまったのです。やっぱり駄目でした。景色など全く見られなくて、足下しか見られませんでした。本当なら、上に上がって降りてきたら、もう一回上がってもいいのですが、僕は一回だけ上がってやめました。久しぶりに涙がでました。もう乗りません。高所恐怖症ってほどではないとは思いますが、やはり苦手です。歩道橋などはなるべく歩きたくないです。歩いても真ん中を歩かないと無理なぐらいです。
 最近、ぼーっとしてしまいます。学校が全て終わってしまったからです。いつもならば、明日の授業の事やら何やらを頭の中で常に考えているのですが、それがなくなったのでちょっとぽっかり脳みそに余裕が出てしまいました。他にやることはあります。でもいつも主に考えていたものがなくなってしまうとちょっと、とまどってしまうものですね。唐揚げ定食を食べていたのに、白ご飯を最初に食べてしまって、あとはおかずだけが残ってしまうものですかね。おかずを食べるための、あのワンクッションがないのです。すみません。わけわかりませんね。学校をやめた事を後悔しているわけではないのですが、やっぱりもう授業を当分しないと思うと悲しい気持ちになります。今日も学校で授業をしている夢を見てしまいました。実家のお寺の本堂で1年間に教えていた生徒達に授業をしている夢でした。わけわかりません。
 今日は、永井さんのワークショップでした。ジオデシック・ドームというのを新聞紙で作る内容でした。ジオデシック・ドームというのは、バックミンスターフラーという、発明家もしくは物理学者、もしくは、科学者、建築家、、、、。そんないろんな肩書きを持った天才なんですが、その方が考えたドームです。三角形を基本として作られたドームは、軽量で強度あるそうです。その模型のようなものを新聞紙で作ろう思ったのですが、失敗しました。事前の図案なども書かずに作っていったので途中でわけがわからなくなってしまいました。結局、ドームではなくキューブのようなものを作っておわりました。とにかく、作ったっていう記憶が大切であって、ドームを作るっていうのは目的ではないので、失敗という記憶が刻まれたのでワークショップとしては成功です。それでいいのです。でも失敗に終わった原因というのは、事前に僕が勉強していなかったからです。永井さんに一回勉強しておいてと言われていたのに、本を読んでも全く理解できなかったので、あきらめていたのです。駄目ですね。
 サッカー日本代表負けてしまいました。次、がんばってください。

2005/3/18/fri
ここ数日は天気が不安定でしたが、3連休は天気がよさそうです。実は3連休の最後の日、21日の月曜日にギャラリースタッフで遠足に行きます。こうやってみんなでどこかへ行くのも初めてです。今までどこか行きたいねと言っていたのですが、それぞれの仕事があるためになかなか休みが合わなくて行けませんでした。今度の月曜日は、ギャラリーも休みだし、しかも祝日なのでついに決行です。いい大人の遠足ですが、なんとも関西らしいところに行きます。関西サイクルスポーツセンターです。僕は行った事ありませんが、いろんな種類の自転車あったり、ちょっとした乗り物があるみたいです。僕は自称、チャリバカです。自転車に乗っているだけでウキウキしてしまいます。中学生の頃、毎日一人で自転車に乗ってました。自分が住んでいた町の知らない道は知らないってぐらい、いろんなところを探索しました。それはふつうの道じゃなくて、農道だったり、海岸だったり。当時はマウンテンバイクを乗っていたので、舗装された道よりも、道なき道の方がウキウキしました。友達と遊ぶより、勉強するよりも、こうやって一人で自転車に乗っている時間が長くて、好きだったので、今のようなちょっと内向的な人間になってしまったのだと思います。後悔。とにかく、自転車に乗ると一人の世界に入ってしまいます。何も考えずに、ボケーっと流れる地面か空、景色を見ながらこぎます。京都では折りたたみ自転車ですから、舗装された道ばかり走っています。都会での自転車もこれはこれで楽しいです。実家は畑や海ばかりで人があまりいませんでしたが、都会は人がいます。しかも同じように自転車に乗っている人がたくさんいて、その人達を抜かしていくのが好きです。まるでガキですが、自転車に乗っていて自分より速い自転車に抜かれると、どうしても抜きかえしたくなります。これぞチャリバカなんです。実家にいたときは、僕より速い自転車なんていませんでした。しかし、今は折りたたみ自転車ということもあり、ふつうに女子高生のママチャリに抜かされる事があります。そうなると少しプライドを傷つけられた気になって、ついつい熱くなることがあります。くやしいじゃないですが、抜かされるのって。折りたたみ自転車は家に収納できるので、非常に便利ですが、やっぱり遅いのが欠点です。しかし、折りたたみでも一生懸命こげば結構なスピードはでます。こいでいる姿はきっと滑稽ですね。ただ最近はi-podで音楽を聴きながら、たらたらと走っている事も多いです。これもまた気持ちが良いです。これだと抜かされてもさほど気なりません。「はい、どうぞー」って感じです。特に気に入っているのは、くるりの「ハイウェイ」を聴きながら鴨川沿いを走ることです。あの独特のちょっとダルいリズムとさわやかなメロディーが、なんとも自分を妻夫木聡にしてくれます。気分だけでも、、、。

2005/3/16/wed
今日は誕生日です。25歳になりました。最近、歳を人に言うとそんな歳には見えないと言われる事が多いです。20代後半か30代前半に見えるみたいです。落ち着いていると言われるのですが、ただしゃべらないだけなんです。まだまだ25年です。地球の歴史は46億年と言われていますが、比ではないです。気が付けばこの日記を書き始めて1年がたちました。のんびり書いているので続いたのだと思います。そして何よりも見てくれている人がいるというのが続けられた理由です。こういうのは、すぐにへこたれます。しかし、ギャラリーで番などをしていると、来てくれた方にコラム見てますって言われる事があると、「書かねば」と思うのです。やればできる子です。1年前のコラムを読み返してみると、今とあまり雰囲気が変わっていないように思います。いいことなのか、悪いことなのか。
今日、兄と妹が京都から実家に引っ越しをします。6人家族のうち3人が京都にいたのに、ついに僕だけになりました。しぶとく関西にいます。いつのまにか根をはってしまいました。

2005/3/11/fri
学校の授業もあと1クラス3時間ずつぐらいです。テストも終わり、あと一校の成績付けが残っています。この時期の授業というのは生徒がダラダラしています。まぁ仕方ないのです。そう思っています。それでいて、今教えている内容というのが天気の事です。前にも書いたように思いますが、天気は苦手です。実験がなく、説明ばかりです。とにかく語句を覚えるところばかりです。実験も計算問題もないので、僕がしゃべりっぱなしです。化学や生物の授業なら、実験をたまにしてり、前で演示実験をするので生徒の心を少しは引きつけられるのですが、天気の場合はとにかく僕の口から出る言葉が頼りです。先生なんだから当然といえば当然です。でも、僕はしゃべりが下手くそです。そういったネタがなくて、しゃべりっぱなしの授業は緊張します。生徒の反応を気にしすぎてしまうのです。そう思うと、社会の先生ってすごいです。歴史とか、とにかくその人がしゃべって物語を話していくわけです。僕には真似できません。先生業っていうのは、生身の人間の勝負です。それはつくづく思います。当たり前なのですが、自分が口を開かなければ授業が始まりません。先生を初めて一年目の時は、これが不思議でした。今までは聞いている側だったので、授業は勝手に始まりました。でも今は僕が口を開かなければ何も始まりません。変な事言っているようですが、僕はこれが不思議でした。そして、僕の授業は生徒しか見ていません。他の先生が見ていることはありません。なので、他の先生に授業の事に関して何か注意を受けたり、アドバイスをもらうことはないです。とにかく、生徒の反応とか生徒の声、そして自分を客観的に見て、改善していきます。時には他の先生の授業をのぞいてみることもあります。授業は先生が進めますが主役はあくまで生徒です。僕は脇役。ここら辺が難しい、いくら準備万全の授業をしても生徒を引きつけられなかったら失敗です。逆に特に自分ががんばったわけではないのに、生徒が授業に対してノリノリの時もあります。そうやって生徒に振り回されつつも、その変化に対応した授業をしていきます。先生っていうのはおもしろいです。いろんな学校をめぐっているといろんな先生がいておもしろいです。先生も人間です。僕みたいに生徒との壁を作りたくない人もいれば、先生と生徒というしっかりとした関係を作ろうとがんばっている人もいます。どちらがいいというわけではありません。たぶん壁は必要です。僕はちょっとなさすぎです。これは僕の改善点。で、何でこんな事を書いているかと言えば、さっきテレビで乙武くんが世界の学校を巡っている番組がやっていたからです。世界にもいろんな学校があって、いろんな先生がいるなぁって思ったからです。でも、この番組をもう一回するならしてもらいたいのは、日本の学校をいろいろと巡ってみて欲しいということです。僕の短い講師生活の中で5校ほど学校を行っています。日本の学校も結構すごいですよ。ふざけた先生もいれば、素晴らしい先生もいるし、どうしようもない生徒もいるし、がんばっている生徒もいる。日本の最先端の授業とかNHKでやったりしてますが、もっともっとリアルな学校を取材して欲しいです。
この3年の講師生活の中で感じるのは、世の中がおかしくなっているということです。生徒を見ていて思います。子供社会は、大人社会の鏡みたいなものです。やっぱり大人がよくない。いつからおかしいのか知りません。僕が生まれる前からおかしいのかもしれません。しかし、おかしくない世の中ってあったのでしょうか。そう考えると疑問なんです。例えば江戸時代なら今では考えられないような差別が存在していただろうし、昭和初期なら戦争で国のために命をかけて戦った。おかしな世の中です。今は目に見えた差別はないし(もちろんまだ残っています)、戦争も日本ではありません。いい世の中です。とっても過ごしやすいです。でもまた新しい問題が発生していきます。結局、そういうものなんでしょうね。だから、大切なのはその時代時代で、生きている人間がいつも世の中に疑問を持つことだと思います。そうすることで、今の時点の問題もまた次の世代ではスッキリとしているかもしれません。まぁそのときはまた新しい問題がでてくるのでしょうね。今のこの世の中に必要なものって何でしょう。ちょっと僕は宗教か、もしくは芸術なんじゃないかと思っています。あっ別にうちのお寺とsewingg galleryの宣伝をしているわけではないですよ。芸術と宗教って結構隣り合わせのように思ったりすることがあります。根拠はないので、聞かないで下さい。ただそう思ったのです。結局宗教ってそういう世の中に疑問を持ったり、人間の道を迷った時に頼っていくものだと思います。時代時代で結局は、同じような問題を抱えていたりするわけですから。先人から培ってきたこの宗教っていうのは結構バカにできないように思います。もちろんバカにしているわけではないですよね。もうちょっと注目してみてもいいように思います。ただ宗教は戦争を生みます。それならばやっぱり日本を救うのは芸術ですかね。さてさて芸術とは何でしょうか?sewing gallery代表としての永遠のテーマです。今のところ全然わかっていません。ただ芸術とは?何て考えているとちょっと宗教っぽい事になっていくのです。なので、芸術の前に宗教を勉強すべきですかね。すみません長く書きすぎました。

2005/3/10/thu
昨日は夜に枚方で今度の4月の上旬から行われるfantastic something展の内容等々の打ち合わせをしました。fantastic somethingというのは、大阪北堀江のシャムアさんで数年前から行っている永井宏さんの文章のワークショップ参加者によって作られている冊子の名前です。毎月一冊出しているのですが、もう43号まで出ています。単純計算で3年と7ヶ月続いているわけです。ギャラリーでも250円で販売中です。今度このfantastic somethingの展覧会を行います。日常の生活の中で生まれてくる言葉をまとめている冊子なので、今回の展覧会のテーマは「言葉」です。内容はお楽しみといった感じですが、なかなかおもしろいことになりそうです。僕もfantastic somethingに何度か文章を載せてもらったのですが、きっと3回か4回ぐらいなんです。でも展覧会準備の主要メンバーに入っています。主要メンバーは5人いて、全員ギャラリースタッフです。僕以外の4人は毎月しっかり文章を書いています。僕は冊子作りにも特に関わっていません。このメンバーの中にいてもいいのかとも思うのですが、一応企画展なのでギャラリー代表としてメンバー入りしています。期間中の4月10日にイベントを行います。詩の朗読がメインなのですが、、その中で主要メンバーが一人10分ぐらいの持ち時間でパフォーマンスみたいな事をすることになりました。それで僕もやることになってしまいました。僕は人前でそんな事したことありません。「マジでー」と思ったのですが、まぁいい機会だと思って何か考えます。

2005/3/8/tue
ちょっと風邪気味です。学校でも風邪が流行っていて今日は生徒が8名ほど休みでした。8名も休みだと授業中も静かでやりにくいです。最近の僕はどうも中途半端にしか風邪をひきません。今回は喉が痛いのと、少し頭がクラクラしています。でも仕事を休むってほどでもなくて、元気なんです。なので、結局は授業もテンションが低い状態でしなくてはいけなくて、中途半端な教え方になってしまって生徒に申し訳ないです。生徒に4月からもこの学校にいるのかということをよく聞かれます。いないかもしれないし、いるかもしれない。って曖昧な返答をしています。本当のところを言えば、もう決まっています。4月からは先生業を一時休止します。あくまで休止です。復帰予定はありませんが。もうだいぶ前から決めていたことです。それなのに、生徒にはそんな曖昧な事を言っています。さすがに教えている時に、4月からもういないことを言ったら、勉強する気をなくすかと思って言っていません。4月からも僕に教えたもらいたいという生徒もいれば、他の先生が良いという生徒もいます。人間関係ですから、仕方がないです。いろいろです。僕に教えてもらいたいと言っている生徒にウソをついているのは少しだけ心が痛みます。でもまぁきっと4月から新しい先生になったら、僕の事などコロっと忘れているのだろうなぁと思います。とにかく、僕がどうとかではなくて、この一年でどれだけの生徒が理科を好きになったのか、もしくは10年後にも記憶に残る授業が一つでもできたかっていうのが重要です。僕が世間でよく言われる「理科離れ」の生徒を生む、原因になっていないか、それだけが心配です。
ギャラリーでは今日から遊牧展が始まりました。毛マニアのお二人が作ってきたフェルトの作品がギャラリーの中を異国にしています。毛マニアがいる時は、遊牧民のおもてなしサービスもあるとのことです。フェルトで作られたテントが立っているのですが、これが手作りかぁって思ってしまうぐらいしっかりした作りをしていました。遊牧民が本当に羊の毛でテントを作るのかは知りませんが、とっても温かそうな家です。フェルトっていろんな可能性があるのだなぁと感心しました。そして、学園の中山先生は、この作品を見て「やっぱり羊飼おうかな」って結構本気に言っていました。学園の草原に羊がいる風景を想像してみてください。いいじゃないですか。先生が毛を刈っている姿も想像してみてください。きっとお似合いです。

2005/3/4/sat
今日はギャラリー番です。パソコンを持ってきたので、番をしながら書いています。ここのところ、ギャラリーはゆっくりとした日が多いです。前回の梅田君の展示は、生徒さんがたくさん来てくれたので、にぎやかでした。今回は落ち着いています。パソコンで今度の企画展の要項等を作ったりしています。今日の夜にはホームページやメール等で告知ができると思います。企画者の濱からもらった文章を読んで、書き直して、そしてまた濱ちゃんに見てもらってという事をしてやっと要項の文章ができました。濱ちゃんの文章っていうのは結構難しく、10回ぐらい読んでなんとなくわかってくるのです。濱はこの前僕の事を「濱の通訳者みたい」と言っていましたが、まさにそんな感じです。しかし、僕も僕なりの解釈で文章を書き直しているので、それが本当に濱の伝えたいことなのかが不安で、もう一回見てもらいます。それでも、いいのか悪いのかあまりハッキリ言わないので、どうしたものかと思ったのですが、そのまま強行してしまいました。ぜひ一度読んでみてください。こちらで読めます。たぶん見てもらったら、何を作ったらいいの?って思います。僕も濱から文章をもらった時に思いました。とにかく、吊しているものなら何でもいいのです。ここまで、カッチリとしたコンセプトがあるのに、どうしたらいいのかわからないといった感じです。なので、こう思ったら作りやすいのではないかと思います。これはグループ展ではなくて、個展です。コンセプトはもうあるので、それをどういう風に伝えればいいのかと考えたらどうでしょうか?本当に自由です。でも一つの規定は吊すっていうことだけです。特に今回の企画は見る人と作る人の視線が一緒ではないし、どちらが正しいとかというわけではないっていうことを中心に考えているように思います。作り手の気持ち=見る人の気持ちではないっていうのがポイントなのです。なので本当に自由に勝手に好きなように作ってもらったらいいのです。それで、もう一個のポイントとしては、見た人たちの視線をカードに書いてもらって、それが作家さんの元へ返されるというところです。そのカード一つ一つがその作品を見た人のその作品に対する視線です。たぶんそれは思いもしなかったものが返ってくるように思うのです。今回の展覧会でおもしろいところはここです。そうして、作り手も新たな視線に気がつくのです。言ってしまえば、今回の展覧会の主役は作品と見る人の視線の間にあるのです。

2005/3/4/fri
今日もテスト日だったので、午前中で学校は終了です。帰り道に五条のmizucaさんへ行きました。着いたのは12時すぎ、ちょうどお店を開ける時間だったようです。自転車でお店に近づいていくと、窓から荒井さんが見えて目が合いました。手を振ってのお出迎えです。今日、mizucaに行ったのはいつか個展をできないかと思っているので、いろいろとギャラリーの事を聞くためです。だいたいコンセプトみたいなのは頭にあるのですが、それを表に出す方法を考えています。まだまだ2回目で何かを作り続けているわけではないので、決まった形というものがありません。だから、何でもありなんです。その会場にあったというか、その場所を自分のものにしたいという気持ちがあって、何度も足を運んで自分の頭の中で空間を作られるようにしたいのです。最初はmizucaさんのギャラリーでは自分のイメージとピッタリはまらなかったのですが、今年も一回は個展をしたいと思ってから、頭の中でイメージを作っているのですが、どうしてもあの空間での風景を考えてしまいます。どうなるのかわかりませんが、うまくイメージができるようになったら、今年中にはやりたいことです。
昨日は結局映画など見ずに、昼ご飯を食べた後にホットカーペットの魔力によって、そのまま就寝してしまいました。起きた後に少し後悔したのですが、まぁいいかと再びダラダラしてしまいました。起きた時にショックな事があったのですが、食卓に目をやると、昼ご飯の食べた後の皿などがそのままにしてあって、その中の大根の煮物の汁の中にi-podのイヤホンの片側がぽちゃりとつかっていたのです。一人で「ア゛ー」と大きな声を出しながら救出しました。昼寝している間、ずっと浸かっていたのです。すぐにブンブン振って、水気を飛ばしてからドライヤーの熱風で乾かしました。しかし、音はかすかになるのですが、音が悪くなってしまいました。悲しいです。昔からそうなのですが、こういうところがダメです。すぐにモノを壊します。今まで壊れていったモノ達はいくつあるだろうか。使い方が雑です。雑と言えば、僕の性格そのものです。丁寧な作業がどうもできません。ここ数年で気がついた自分の嫌いなところの1つです。機械に対して優しくありません。他に最近気が付いた嫌いなところは、手加減を知らないところ。前に学園でギャラリースタッフや、学園の関係者で椅子取りゲームをしたときがあったのですが、周りがほとんど女性にも関わらず本気で押しとばして、一等を頂きました。一等の賞品はロールケーキ一本でした。おいしかったです。あとは、食べ物をポロポロとこぼすところです。これは本当にここ数年でやっと気がつきました。食事をしていると、どうしても机の上が汚くなります。口がゆるいのでしょうか。紳士ではないです。

2005/3/3/thu
今日で、テストが終わりました。まだ採点と成績付けは残っているのですが、とりあえず一段落です。学校も午前中で終わったので、これからDVDでも借りて映画を見たり、ゆっくりしようかと思います。学校の事ばかりではなくて、いろいろと今は頭がパンパンになっているので、一端リフレッシュです。
京都でもついに「人体の不思議展」があるようです。4月から、場所は京都文化博物館です。以前、実家に帰った時に高校の友達に誘われて東京国際フォーラムで見ました。見ている間も、見た後もなんとも言えない感覚に陥ります。全てが本物の人体標本です。それが、頭から5cm おきに輪切りにされていたり、縦切りにされていたり、内臓、神経系、血管、脳みそなどなど、全て本物です。献体なので、本人の了解を得ているとはいえ、すごい見せ方です。医学的にも、道徳的にもすごい得るものがあることだとは思います。僕は見ていてその標本になっている人々の、人生を考えていました。この人はいくつぐらいで亡くなったのだろうかとか、どういった仕事をして、家族は何人いて、幸せに過ごしていたのか、悪いことをしていたのか、そんなことばかりを考えてしまいます。献体とはいえ、こんなことになるなんて思っても見なかったかもしれません。デパートの初売りのように人であふれていた会場に、腹をさかれて、頭を割られて、皮を剥がされ、展示されるなんて僕はちょっと嫌です。これを見ると単純ですが、人間って何なんだ?生きるって何だ?と考えさせらます。僕はいつも財布の中には、臓器提供のカード(黄色いやつ)を入れています。死んでからぐらいは人の役に立ちたいなぁと思って大学生の時から持ち続けています。提供する臓器を全てに○をしています。死んだらただの抜け殻だし、心臓や眼球なんて必要ないとカードを持った当時は思っていたからです。でも、この展示を見ると、やっぱり死んだ後は体が全部ある状態で灰にしてもらいたいなと思ってしまいます。まだカードを持ち続けますが、内心は眼球は×にしたいなと思っています。でも男らしくないので、全部に○です。

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