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2004/06/03
スカラとヨープさん・後編 8月になり、いよいよ「1981年スカラ座日本公演」の舞台稽古が始まりました。9月1日が初日です。ベルディ「シモン・ボッカネグラ*」のガラ公演で始まります。この公演の出演者、P.カップチリ、N.ギャウロフ、M.フレーニが揃いました。指揮は C.アバドです。 *この3人の歌手とアバドの指揮で、このオペラには素晴らしい録音がありますネ。 エキストラのヨープさんは大役をもらっていますから、大張り切りです。他の中年エキストラと同様に、本来ならばプロの役者が担うような役を貰ったのですからね〜。おまけに舞台稽古が始まってからは、憧れの歌手や指揮者と一緒に舞台にいられるのですから、夢のような気持ちです。この気持はず〜っと最終公演まで続いたそうです。 オーケストラがピットに入り、アバドの指揮でプロローグが始まります。ヨープさん、これを聴いたとき、もう本当に失神しそうになったそうです。ここではストーリーの説明はしませんが、この「シモン・ボッカネグラ」のプロローグに鳴る音楽は、ベルディのオペラの中でも飛び切りのものですからね〜。これほど美しい音楽を、他のベルディの作品の中に知りません。劇的な音楽はたくさんありますが…。あ、エリザベートさんもこのオペラのエキストラです。彼女もこのアバドとスカラのオーケストラが作りだす音に度肝を抜かれたそうです。彼女はこのオペラが、これほどの作品である認識はその時点までなかったそうです。確かにこのオペラが高い評価を得るようになったのは、60年代終わりから70年代初めに、このアバドとこの3人の歌手によるスカラ座での公演、そしてこのメンバーによるレコードが発売になってからのように思われます。それまでは、どちらかというとマイナーな作品、或は中途半端な未完の作品と扱われていたようですから。 普段、冗談好きのヨープさんですが、この「シモン・ボッカネグラ」の指揮者、歌手、オーケストラ、コーラスの作りだす「生真面目な音楽」の雰囲気に、冗談もいわず、静かにリハーサルに浸り続けたそうです。ヨープさんの口から聞かれた言葉は、アバドを誉めたたえることばかりでした。「生真面目な音楽」と書きましたが、これは指揮者アバドの気質に負うところが大きかったのだと思います。私の印象でも、このアバドは音楽と正面から堂々と取り組み、音楽を建造物のようにカッチリと築き上げてましたね。曖昧さをほとんど感じさせない、強靭なものでした。こんな風に書くと、ゆとりのない音楽を作り上げる指揮者のような印象を持つかもしれませんね。でも、実際にはとてもゆったりした音楽を作り上げる指揮者でした。私の印象です。この時点でアバドはこのスカラの音楽監督、後にウイーン国立歌劇場の音楽監督にもなりましたね。 この「シモン・ボッカネグラ」に関しては、ヨープさんからリハーサル中のこれという(面白いという観点から)エピソードは、ほとんど耳にしませんでしたね。このオペラの「ゲネプロ」を見にいきました。これはオペラのエキストラ出演者にボーナスとして「ゲネプロ」に家族か友人を1人だけ招待出来る特権を与えたそうです。ヨープさんからそのチケットを頂きました。このゲネプロは感動ものでした。まず、M.フレーニ。他の歌手が本公演のために声をセーブしているのに、もうホントにフルの声で歌ってくれました。暗い場面と音楽のプロローグが終わり、第一幕の明るい音楽が始まります。幕が上がると舞台は明るく、彼女が石段のようなところに座っています。いきなり大きなアリアの始まりです。でも彼女は余裕のある方です。幕が上がったとたんに、客席に友人の姿を見つけてニコニコと手を振ってます。 客席は1階だけ解放されていて、半分くらい埋まっていました。上野の東京文化会館です。このホールのアコースティックは少しドライですね。これがわりとスカラ座と共通するようで、アバドはこのホールを気に入っていたようです。 フレーニという歌手は、発声法が余程自然で正しかったらしく、歌うことで疲れるということがなかったようです。特別に強い声を持った歌手ではなかったようですが、何処までも伸びる美しい声の持ち主でした。強い声の歌手ではなかったと書きましたが、これは歴代の強い声を持った歌手に比べてのことで、蝶々さんを歌えるほどですから、声が弱いということではありません。それと、不要なビブラートをかけずに歌ってくれる歌手でした。だから美しい。私はビブラートをかけすぎる歌手が苦手です。嫌いです。あっは。それと立ち姿の美しい歌手でしたね〜。 この第一幕でも本当に美しく歌っていました。姿も声も。幕が開いた時の友人に手を振りながら見せたニコニコ顔は一瞬だけでした。すぐに顔を引き締め、歌い始めました。最初は明るく、伸びのある美声です。それが速い劇的なものに変わっていきます。ホントに自在です。実は本番の公演のチケットも買ってありましたので、このオペラを2度見ました。本番の彼女も素晴らしかったけれど、このゲネプロのフレーニは特別でした。ガラ〜ンとした文化会館の空間を、あの伸びのある美声で満たしてました。 次が P.カプチッリ。タイトル・ロールのシモン・ボッカネグラ役です。強い声のバリトン。彼の歌唱法は、美しさより性格描写に優れていると書いておきますね。背の低い方です。顔は大きい。そう、日本の古いタイプの歌舞伎役者みたいです。メーキャップが生える。で、いつでも底の厚い、かかともヒールの高い靴を履いて舞台に立っていたようです。衣装はその靴を隠すようなロングドレスをまとう役ね〜。この方、とてもスカラのスタッフに人気のある方で、ことにコーラスのメンバー達から愛されていたようです。この「シモン・ボッカネグラ」のリハーサルは指揮者のアバドの生真面目さからか、笑いもあまりなく静かにリハーサルが進んだようです。ただ、このカプチッリだけは、笑いをスタッフや出演者に振りまいていたそうです。アバドもカプチッリのジョークには、けっこう笑っていたとのことです。 で、これは私の見なかったガラ公演でのお話です。ヨープさんの舞台経験の最初の日ですね。この公演でヨープさんが目にしたことです。第一幕の会議室のシーンで、カプチッリが歌いながら観客に背を向けます。カプチッリはそのまま歌い終わります。次が始まるまで観客に背をむけたままです。そのとき、カプチッリの前には何人ものコーラスのメンバーがいます。ヨープさんもその位置にいます。そのコーラスのメンバーの何人かが、「ピエロ、今日は調子いいね、最高だよ!」「ファンタスチック!」とか囁くように話しかけるのだそうです。それにカプチッリは嬉しそうに「ウインク」で答ていたそうです。そのシーンではシモンは怒りの形相を示す必要があります。音楽が進み、カプチッリが怒りを含んだ形相にもどり、客席に向き直り歌い始めます。その瞬間の笑顔から「怒りの演技」への転換を見たとき、ヨープさんは「すげ〜!」と背筋が寒くなるほどの驚愕=感動を覚えたそうです。さもありなんですよね、こういうこと。世の中にはホントに特別な人達がいらっしゃる。 N.ギャウロフには触れません。この世紀を代表するバス歌手についてはいくらでも話が拾えそうですから。M.フレーニのご主人でしたね、このとき。とてもいいお人柄の、腰の低い方だったそうです。この「シモン・ボッカネグラ」についてはここまでね〜。 さて、本公演の超目玉、ベルディの「オテロ」です。実は、この部分を書きたいので、このコラムを書き始めました。 ヨープさんが電話をしてきて、饒舌になるのはこの「オテロ」のリハーサルの後です。ときどき食事を一緒にしたり、飲みにも行きましたが、出来るだけエピソードが新鮮な中に話したかったようで、ときには夜中の0時をまわってから電話がかかることがありました。私は自宅で夜中に仕事をこなしていましたから、べつに気にもしません。でも、彼は昼間の勤め人ですから、延々と説明してくれるエピソードに、時間が遅いけど大丈夫かしら?と心配になりましてね〜。「……、続きは次回にしたら〜?」と言いますと、「いや、最後まで話しておかないと、眼が冴えて寝られそうもないから…」とか言ってやめませんでした。 オテロ役はプラシッド・ドミンゴ。指揮はカルロス・クライバーです。マリオ・デル・モナコ以来、久しく途絶えていたオテロを歌えるスーパースターとカリスマの権化ともいうべきクライバーの指揮です。舞台稽古が始まっても、売れっ子のドミンゴです。世界中のオペラハウスで歌っていますから、公演前の舞台稽古に簡単には参加出来ません。ドミンゴ抜きで舞台稽古が進みます。オテロ役は前編で挙げました"ソーニャさん"です。このオテロの演出家F.ゼッフィレッリの助手です。女性です。ゼッフィレッリは今回の公演には来日してませんから、彼女が全権を握ってやってます。デズデモーナ役は A.トモワ=シントウです。美しい声の持ち主で、カラヤンのお気に入りの歌手でしたね。このカラヤンとのリヒャルト・シュトラウスやモーツアルトのオペラの録音がいくつかありますね。姿も美しい方でした。 舞台稽古ではこのソーニャさんが、ドミンゴのパートを演じます。それに合わせ他の歌手が歌い、演じます。ソーニャさん、オテロを演じながら、他の歌手達に注文をつけたり、ダメを出したりします。あ、ソーニャさんは歌いません。オテロのパートを歌っていたのは誰? あっは、クライバーです! ホントにかっこよく指揮しながら、気持ちよさそうに歌ってました。若い頃の小沢征爾さんの指揮姿はかっこよかった。円熟味が加わってからは、静かな指揮者の印象に変わりましたが。この小沢さん以上にクライバーの指揮する姿はかっこよかった。リハーサルはいつでも、黒いTシャツを着て指揮してました。 この「オテロ」も「シモン・ボッカネグラ」同様にヨープさんからゲネプロの切符をいただきました。それでリハーサルを見れました。もちろん本番のチケットも購入してましたが。で、クライバーの歌声でしたね。ハッキリ言っちゃいますが、「汚いだみ声」でした。高音部と低音部は聴こえませんでした。あっはは。このゲネプロの翌日に「オテロ」の初日が控えているのに、ドミンゴはまだ来日してませんでした。ドミンゴはこのゼッフィレッリの演出で何度も歌っています。同じ演出の動きなら、日本公演がぶっつけ本番になろうが、ドミンゴは戸惑うことがありません。つまり、他の出演者がリハーサルで、舞台上でいかにドミンゴの動きに合わせるかを学んでいるようなものです。 このクライバーとゼッフィレッリは親しい仲で、彼の演出でスカラ座で「オテロ」を何度も振っているのです。ですから、演出にも当然詳しい訳です。ソーニャさんの保護者みたいなものです。オペラの演出では、一流どころのオペラ歌手を馴らすのは不可欠の仕事です。「自尊心の塊」みたいな歌手も多いと思います。ソーニャさんはゼッフィレッリから全権を預かっていますが、ゼッフィレッリではありません。で、歌手が彼女を嘗めたり、自分の都合の良いように演出してくれることを強要し始めます。闘いが始まりますね。で、ソーニャさんは段々こわ〜い、ヒステリックな演出家になって行きます。これはエキストラにも向けられ、ときにはひどい罵声を浴びせるようになったそうです。で、つけたられた渾名が「オテラ」です。 ご存知のようにヨーロッパの人名では、「オ=O」で終わると大抵その名前の持ち主は男性です。あ、ラテン系と言った方がいいかもしれませんが。「ア=A」で終わると女性の名前です。この「ア=A」で終わる名前が女性であることはゲルマン系にも当て嵌まりますね。ですから、「オテロ」が女性になると「オテラ」になりますね。^^。この舞台稽古が始まってから、エキストラは皆、彼女に恐怖を抱いてしまい、辞めようとした人が沢山でたそうです。で、ストライキをやろうという意見が皆から出ました。ヨープさんとカナダ大使館の方が纏め役になって、ソーニャさんに直接交渉です。「能無しのバカ」扱いされることに慣れていない人種ですからね〜、ここにエキストラで集まった外国人達。違った言い方をすると〜、この人達は自分を「エリート」の方に属してると思っている人が多いみたいですから。あっはは。 ストライキの話が纏まった次のリハーサル終了後、代表2人はソーニャさんに時間をとってもらい談判です。交渉ではな〜い。でも、ソーニャさんは2人の話を聞いて「ポカ〜ン」とした顔をしたそうです。ご自分では、そんな酷いことを言ってる覚えがないのだそうです。普段、ミラノでやってきた通りのことをやって、言ってるに過ぎないのだそうです。イタリアの方ですからね〜、あっはっは。罵倒し合うのが「一種のスポーツ」になってるお国柄ですから。で、皆が待っているところへ来て、直ぐに謝ってくれたそうです。悪気はまったくない、今回のエキストラはミラノで集まるエキストラより遥かに質が高く、どんな公演をしてくれるかとても楽しみにしている、とのこと。これで、エキストラは一遍に気をよくしましてね〜。 この話はクライバーの耳にも入りました。いい契機だったようで、クライバーがリハーサル中にソーニャさんと歌手の争いに口を挟むようになったそうです。これ以上ないようなカリスマ性をみせるマエストロのクライバーです。歌手はクライバーを怖いというより、憧れの眼でみてます。こんなのは舞台を見てればわかります。こんなクライバーに仲裁されるのが逆に嬉しいことになるみたいです。一つ面白いエピソードです。 デズデモーナ役の A.トモワ=シントウがオテロのあまりの仕打ちに床に「おヨヨ」と泣き伏せるシーンがあります。そのときこのソプラノ歌手、自前の白地に美しい花柄のワンピースをお召しになっていらしゃった。そのリハーサルのとき、NHKホールの舞台が掃除してなくて汚かったらしいです。舞台装置を設置したり、大工さんが仕事した直後らしいです。で、アンナさんは泣き崩れるとき、ワンピースの裾をたくし上げて、床に膝をつきながら泣き崩れる演技をしました、ワンピースが汚れるのが嫌だから。あっはは。とたんにソーニャさんが癇癪を起こし「ふざけた演技するな〜!」と、なりました。で、やりなおしね。 アンナさん、近くに置いてあったハンド・バッグからハンカチを取り出し、自分が泣き崩れるあたりに広げました。ソーニャさんの顔が一段と厳しくなります。その瞬間、マエストロの声が飛びました。「アンナ、これは オテロ だよ。ハンカチ一枚でとんでもない誤解が生じる悲劇だよ。そのヒロインがハンカチをもう一枚追加すると、物語がさらに複雑になって問題が出やしないかい?」とやりました。舞台にいたメンバーもオーケストラも皆さんもう、大笑いになったそうです。アンナさんもソーニャさんも一緒にね。アンナさん、それ以降ワンピースの汚れを気にしない演技に切り替えてくれ、一回でそのシーンはOKだったとのこと。まあ、こんな小さなエピソードが数限りなくあったそうです。 ヨープさん達エキストラでさえ感じたことらしいのですが、出演する歌手、コーラス、オーケストラ、舞台装置等々舞台にに関わる全員が、このマエストロのいうことなら疑いを持たず、即、実行してしまうそうです。こういうものなのですかね、カリスマ性とは。 このクライバーのカリスマ性というのは妙なものです。よく言われていましたが、クライバーの作りだす音楽は、演奏しているオーケストラも観客も激情の渦にまきこみ、彼の音楽の虜にしてしまう。こんな言い方でいいと思います…。その場にいないとわかりにくいものかもしれませんが。こういうカリスマ性というものは。このスカラの公演後、ある雑誌にこのときクライバーの通訳をつとめた方の談話が出ていました。愉快な女性です。「クライバーの作りだす音楽は彼そのものを現している。実生活でのクライバーもそれと同じくらい危険な男性です!」とありました。あっはは。 そのあと、「私は結婚してますし、子供もいます。音楽もやってます。それなりに人として成熟した大人であると自負していました。でも、このクライバーの秘書のような立場の通訳をしている中に、これはヤバイ仕事を引き受けたと思うようになりました。彼は言語の天才でもあり、アジアやアフリカの言葉以外なら大抵できます。7ー8カ国のヨーロッパの言語をネイティブに近い状態で話せるそうです。私も英語、ドイツ語、イタリア語が出来ますから、使い分けることが出来ました。周りに人がたくさんいて、あまり聞かれたくない話題の時はドイツ語にするとかです。そんな日常のなかで、気のきいた冗談をポンポン連発し、お腹が痛くなるほど笑いころげました!」 「言ってしまった以上、彼が危険な男性であるという話に戻さなくてはいけませんね。決して期待していたということではありませんが、仕事で付き合う中に、もし彼から誘惑されるようなことがあったら、断ることは不可能だろうな〜、と感じるようになりました。これが危険な男性という意味です。彼みたいなセクシーな男性に会ったのは私の人生で最初で最後です。結局なにも起こりませんでしたけどね。(笑) 彼が家族、ことに息子さんに水泳を教えたり、サッカーの相手をするというような話をしている最中に、そのセクシーさを感じてしまうのですから、困りました。このことは主人にも話しました。主人は笑ってました。これが私の話せることのすべてです…」 たしか、こんな風な談話でした。なるほどな〜、と私は思いました。まあ、そこまではいかないまでも、人に魅力を見た時の自分の反応がどんなものになるかは、正直わかりませんね。歳は関係ないかもしれません。クライバーはあのとき、たしか50歳くらいだった。 スカラにもどしましょう。ストライキの話から、対話がスムーズに行くようになり楽しさがましました。ゲネプロは主演のドミンゴが居ませんから、なんとも気の抜けたものでしたが、それなりに楽しめました。終演時のカーテンの閉め方が速すぎるとクライバーが文句をつけ、その部分だけ3回やってました。正式にカーテンを全幕で使ったのはゲネプロが初めてだそうです。いろいろ細かいことに気がつくマエストロで、本番ではいい速度でした。 ゲネプロ終了後ゆっくりしてから、NHKホールを後にしました。午後の10時を過ぎてました。ヨープさんは終演後いそいで帰りました。約束があったそうです。渋谷駅まで歩き地下鉄に乗りました。銀座線。当時、私は丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅から2分くらいのところに住んでいました。ですから、赤坂見附で乗り換えです。渋谷駅からイタリア語で賑やかに話すグループが乗ってます。大半が中年の女性です。スカラの裏方さん達です。私のすぐ横ですから、ちょっと話しかけました。英語が通じません。スカラだけはわかるみたいですが、それ以上は進展しません。そのうちに英語のわかる三十代後半くらいの、太った身体にデニムのつなぎを着た男性を引っ張ってきました。英語が出来ると。完璧な英語を話します。衣服から大工さんかな〜、と思いましたが、舞台の大工さんは身が軽くないと勤まらない筈だけど、と疑問も湧きました。 その人にドミンゴが今日のゲネプロに来てなかったけど、明日が初日で大丈夫なのだろうか?と質問しました。今日の夕方にカナダを出発している筈であるとの説明でした。昨夜トロントでオテロを歌った筈である、ですって。すごいスケジュールですね〜。一通りいろいろ話しました。賑やかなおばさん達は、衣装担当の方々でした。スカラのメンバー全員が赤坂見附のニューオータニに滞在してました。 本番のオテロは凄かった。ドミンゴのキャリアのなかでも最高の時にあたると思います。人気と知名度で絶頂期を迎えるのはこの何年か先なのかも知れませんが、絶頂期になった時の声質や精神的(意欲)なものは下降に向かっていましたから。驚いたことに、この日のカーテンコールでのスターはドミンゴではなくクライバーでした。観客からの反応も一番でした。もちろんドミンゴに最大限をこえるほどの歓声と拍手を送りました。でも、ドミンゴの後に登場したクライバーに観客が示したのは、まったく質の違う気違いじみたものでした。そう、まるでロック歌手に送るような歓声と拍手でした。大半の観客が40代以上ですよ〜。わっはは。その日は、私なんか若い観客の一人だった。なにしろチケットが高かったからね〜。たしか私は2万3千円払ったと思います。それを3枚買いました。初日のチケットはもっとした。欲しくても買えませんでしたけどね、すべて売り切れでした。 あ、この公演で舞台の人達に拍手を送るために、オーケストラピットの前まで行って拍手をしました。その時に気がつきましたが、先日の地下鉄の中でつなぎを着ていた太った大工さんタイプ、バイオリニストでした。キレイにタキシードを着てバイオリンを持って、私の目の前に座ってました〜。ちょっとその人に向かって怒鳴るように話し掛けたら、気がついてにっこりしてました。ありがとうのお礼を言っときました。いい演奏に対してね。 この2つのベルディのオペラが「スカラ座日本公演」の前半でした。後半はロッシーニ「セビリアの理髪師」とプッチーニ「ラ・ボエーム」です。「セビリアの理髪師」はアバドの指揮。「ラ・ボエーム」はクライバーです。ヨープさんの仕事は前半の2作品で終わりました。最後のオテロの公演のあと、エキストラ達はソーニャさんやクライバーからお褒めの言葉を頂いたそうです。スカラの歴史上最高のエキストラであったと。^^。アバドからも同様な賛辞をもらったが、なにかいま一つ熱がこもってなかったとか、言ってました。贅沢いってる〜。あっはは。 エリザベートさんは「ラボエーム」にも出演です。これがまた素晴らしかった。実のところ、プッチーニは苦手な作曲家でした。「マダム・バタフライ」のせいです。というより、興味がなかったと言った方が正しいです。でも、クライバーの指揮を見たかったのと、M.フレーニが「ミミ」です。これをきき逃す手はない、と思いましたから見ました。素晴らしい公演でした。それと困ったことに、プッチーニの音楽がそれ以降大好きになっちゃいました。^^。前言を撤回するのは恥ずかしいものです。友人達に黙ってそれ以降プッチーニを見に行って、劇場で会い皮肉を言われたこともありました。喜んでくれた人が殆どでしたけどね。 「セビリアの理髪師」はテレビで我慢しました。とてもいい公演でしたが。 最後にもう一つ、9月末までつづいたスカラの公演が終わり、10月も半ばになったころヨープさんの口座に思わぬ金額が振り込まれてきました。「スカラの出演料」です。すべてオペラのレコード購入にその金額を当てたそうです。考えてみたら、まだCDが世にでてない時代でした。 ヨープさんには生涯を通じて最高の経験の一つだったようです。亡くなるまで、その時の写真を集めた大きなアルバムを大事にしておりました。そのアルバムは現在私の手許にあります。ヨーブさんの死後、そのアルバムと犬のトニーをヨープさんの遺産として頂きました。 ヨープさんとスカラ座のおはなしでした。 Brug43 |