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2004/01/21 
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ヨルダーン地区
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 きょうはアムステルダムセンター西、ヨルダーン地区のことを書きます。私にはとてもチャーミングなところです。

 市のセンターから少し西へ行ったあたりに西教会という大きな教会があります。市電に乗っていると、その西教会の前にある停留場で降車する人が多いのに気がつきます。観光客です。西教会はアムステルダムでも最大級の大きさの教会です。由緒ある教会でして、その地下にはレンブラントが埋葬されているとか、いろいろ歴史を感じさせてくれます。

 よく考えてみたら、そこで降車する観光客のほとんどが西教会を訪ねる目的ではありません。その西教会の裏手に「アンネの日記」の「アンネ・フランクの家」がありました。ほとんどの観光客はそこを目指しているのでした。ホームページを開設以来、手記にいずれコラムとして書けそうな材料をメモしておくことにしてます。その手記は「Brugの手記」として公開しております。その手記に使っておりますのが日記形式の CloverDiary で、この Diary から「アンネの日記」を思い出しました。私は典型的な灯台もと暗しの生活を送っておりまして、この手の博物館をけっこう見逃してます。いつでも行けるから、というやつです。私の姪っ子が訪ねて来た時、どこへ行きたいと尋ねたところ、一番最初に挙げたのがこの「アンネの家」でした。私の反応は「あ、あそこは簡単に行けるから一人でいらっしゃい」でした。何しろ混んでいて入場制限かなんかやっているところなんです。一時間くらい待たないと入れないとか。

 実は一度この「アンネの家」へ行こうとしたことはあるんです。行ってみたら長蛇の列で、やはり一時間くらい待たないと入れてくれないとのことでした。日本の女子大生もいっぱいいらっしゃった。80年代後半、日本の経済の頂点の時期でした。クリスマスのオランダが見たくて短期の休暇を取って来ましたから、寒い時期でした。そんな寒い時に屋外で一時間待つのは「嫌!」と中止。こんな決定は速い私です。で、進路を変更、まず西教会をたずね、そのあと西教会裏手のごみごみした地域を歩き回りました。今はその辺りのことに詳しくなっていますが、ヨルダーンと呼ばれる旧ユダヤ人地区です。「アンネ・フランク」もユダヤ人でしたね。戦後ユダヤ人は離れて行ったようです。

 気の利いた外観の小さな Café が何軒も目に付きました。中・小の運河が縦横に流れていて、なかなかのムードなのです。ゴミゴミが実によく似合います。最高にアムステルダムらしい風景です。典型的とは言いません。典型的なアムステルダムの風景はもう少しセンター寄りのリッチなキャナル・ハウスが目立つ運河沿いです。この辺りの運河は、流れがほとんどありませんからその水は清いからは縁遠い、正しくは澱んだものです。それがいいのです、また。人によってはこの種の景色を嫌うでしょうね。でも私の好みです。この地区のこんな景色を見た時「あ〜、俺はこんな所に住みたい!」と思いました。これだけは今でも強烈に印象として残っております。住宅難のアムステルダムのこと、その地区に住むことは叶いませんでした。アムステルダムに住み始めてから、この地区を何度も訪れ歩き回りました。いつでも暖かく迎えてくれるところです。自転車でも何度か走り回りましたね。トニーを連れて歩き回りました。ただ、トニーを鎖から放すことは出来ませんでした。ここは交通量の多い細い路地が多いですから。

 亡くなった友人のヨープさんも好きでしたね、この街。ここで見つけたイタリアンレストランへ毎週のように行った時期がありました。背の低い小太りの初老のイタリア人がオーナーでした。いつもニコニコ穏やかなおじさんでした。紳士とはいいませんよ。あっは。ウェイターのチーフとしてコマネズミのようによく動きまわり働いていました。よくあるイタリアのおしゃべりなおじさんタイプではありません。こちらが話しかけなければあまり喋らないタイプです。客へのサービスをしながらレストランの入り口の近くに置いてあるオーブンのドアを引っ切りなしに開いては閉じます。オーブンでのピッツァや他の焼き物が彼の仕事でもあります。キッチンから出て来たのを実に手際よく入れては出していきます。

 かなり大きなオーブンです。そこではパンも焼いてます。名前を失念しましたが、表面のカリカリの丸めのサツマイモくらいの大きさのパンを焼いてます。これはあちこちのイタリアン・レストランへ卸すために一日中焼いているそうです。ピッツァや他の焼き物はそのパンを焼いているオーブンの隅の方に入れて焼いてくれます。本当はパンを焼いている最中にオーブンは開けてはいけないような気もしますが、お構いなしです。で、そのドアを開ける度にパンを焼くあの香ばしい匂いが漂います。このレストランでは、客が座るとすぐにこのパンをつまみとして出してくれます。本物のガーリック・バターをそえて。これが実にうまい。これをつまみながらゆっくり飲み物を選び、その日のメニューを決めていきます。彼は忙しくしてますが、客をせかせる気分には決してさせません。

 私はなにしろ話し好き、何度も行っているうちにご主人と仲良くなりましてね、店が混んでいないときはよく話をしました。ヨープさんは気が向けば、私に輪をかけたほどのチャット好きです。ヨープさんもそのご主人をたいそう気に入ってました。家族だけでやっているレストランでしたね。キッチンでは息子さんがチーフコックとして腕を振るっていましたが、メニューそのものは割と限られたものでした。でも、そのメニューのどれをとっても美味かった〜。ただ、魚のメニューはありませんでした。これは残念でした。アンチョビのピッツァが唯一の魚でした。(微笑)

 何人かの友人をその店へ招待しました。もちろんそんなレストランですから、値段が高い訳はありません。やがて、その友人達も常連客になりました。ワインも大変安価で美味しいものをだしてくれました。つまり、イタリアの片田舎にある素朴なレストランと思ってください。洗練からは程遠いです。私はヨーロッパの食い物の中でイタリアンが一番好きです。それも出来るだけ純度の高い素朴なもの。簡単に飽きががこない。それと、イタリアには美味しいチーズがありますね〜。フランスやオランダのチーズと比較するのはナンセンスですからしませんが、モッツァレッラなんて天国の味がしますね。このチーズ入りのピッツァを初めて食べたのはここです。イタリアでも食べたことがありませんでした。この塩味も何もない豆腐の味わいに通じるチーズは、味を理解するにはちょっと時間がかかりますね。私も最初食べた時はあまりいい印象を持てませんでした。

 あ、このコラムは食い物のコラムを書こうと始めたのではありませんでした〜。ついつい。すいません。

 で、通い始めてから2年ほど経った頃、突然経営者が変わりました。レストランのなにもかもが無惨な変容を見せ、お気に入りを一つ失うことになりました。あのおじさん、賭け事が好きだったそうです。それで財産を失って、店も人手に渡ったそうです。新しい経営者はイスラムの国からの人でした。味にも出し方にもあの面影は残っていませんでした。全ての機材はそのまま残ってましたが。あのオーブンも。考えてみるとオランダにはイタリアからの移民の方は少ないですね。英国とかドイツの方が遥かに多いみたいです。従ってオランダでおいしいイタリアンレストランを見つけるのは至難のことです。ですから余計にあのレストランを失ったことが残念なのです。このことはヨープさんや他の常連になった人達とも話したことですが。

 最初にこのヨルダーン地区を訪れたのはクリスマス直前です。寒い時期で緑もなく随分と殺風景なことになりかねませんが、ここは四季を通じて魅力を失いません。いまは多くの芸術家が住んでいる地域となっているようです。彼等は地元で自身を宣伝するような種類の芸術家ではないようです。街の外観はけっこう変わってきてますが、ひっそりとした昔の面影を保ち続けています。いわゆる昔のシャンソンなどに描かれている何種類もの小さな風景を感じさせる街です。清潔じゃないですよ。(笑)

 住む前に訪れた頃のオランダを思い出してます。考えてみたら、住む前と住んでからの印象がほとんど変わってない国ですね。本当は国という言い方よりアムステルダムと言うべきなのでしょうが。。。 時々このヨルダーン地区へ出かけます。ここを舞台とした歌もたくさんあるようです。残念ながら私は詳しくないのであまり書けませんが、ヘルマン・ファン・フェーンという歌手の歌う「ヨルダーンの女性達」をとても気に入ってます。現役の歌手ですが、この歌は恐らく戦後すぐくらいが舞台になっているみたいです。娼婦達を歌ってます。戦後ユダヤの人たちがここを離れていった後に入り込んだ人達は種々雑多だったようです。いまここには飾り窓はありませんが、いかにもそんな風情は残っています。その風情が私を落ち着かせるのですかね〜。昨日アップした「アムステルダムの歓楽街」と同じところへ来てしまいましたね。(微笑)


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