勝戦記念日


今日の西オーストラリアの新聞「ザ・ウェスト・オーストラリアン」は、戦後60周年特集だった。
日本では敗戦記念日だが、こちらでは勝戦記念日なのである。

今日付の新聞をはさみこむような格好で、全12ページがその特集に当てられていた。特に一面は、1945年8月15日付け新聞の復刻版となっていて、「その日」がパースではどうだったかという記事が前面に出ている。見出しをいくつか上げてみよう。

「日本、降伏す」
「パースの反応:市民と軍人らがともに神への感謝に集う」
「トルーマン、日本に命令を発する:降伏条件の履行を」
「マッカーサー将軍、最高司令官に指名される」
「凱旋パレード」
「戦争から平和へ」というタイトルでの論説には「ねじれてゆがんだ世界」というサブタイトルも。

全体として、戦争終結の喜びとともに、長く続いた世界戦争で疲弊した自国と世界に対する、冷静な分析が感じられる。平和への希求は、日本のような敗戦国だけでなく、連合軍の一部であったオーストラリアにも強かったのだ。戦争はどんな形にせよ、それに関わる国々に大きなダメージを与えるものなのだ。
それにしても思い切った構成の今日の新聞に、ぼくはつくづく感心した。

でも一つ残念なことがある。
広島長崎への原爆投下のことに、ほとんど触れられていないことだ。もちろんその当時は、原爆のなんなのかなんて一般の市民が知るところではなかったのだろうが、当時の復刻版記事だけでなく、今日付の編集記事にすらそのことが触れられたいないのは、やっぱり残念なことだ。
日本に落とされた二発の原爆は、単に戦争を終わらせる手段にしか思われていないのだろうか。アメリカだけでなく、もしかしてその発想は世界の人々の共通した理解なんだろうか。

それは違う。
その発想は、これから先の世界を考える上でも、誤っていると思う。

Posted: 月 - 8月 15, 2005 at 10:33 午後            


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