いくつかの論点についての再反論
(a)わたしの論証構造について
(b)Apemanさんから出されていた確認事項について
(c)免責をめぐるジレンマについて
(d)三二六条について
(e)大野判事の補足意見について
(a)私の論証構造について
私の論証構造についての問題提起がありましたので、お答えしたいと思います。私が(1)「AならばBでない」からその命題の裏である(2)「AでないBである」を導いているという指摘がありました。確かに、(1)から直接導けるのはその命題の対偶である(3)「BであるならばAではない」だけです。しかし、あらためて言うまでもありませんが、それは(1)から直接(2)が導けないというだけのことで、(2)が成り立たない、あるいは間違っているということではありません。(2)を論証するには別の証明が必要ということなのです。そして、(2)は特別複雑な証明を必要としないので論証しなかっただけで、私は(1)から直接(2)を導いているわけではありません。そこで次から(2)を論証したいと思います。
まず、論理学に関して確認しておきましょう。用いるのはもちろん「同一律」「矛盾律」「排中律」を根本原則とする形式論理学です。全体集合をU、空集合をφ、合憲の集合をA、合憲でない=違憲である集合をĀとします。ĀとはAでないものの集合ということです。当然以下の(一)(二)を前提にします。
(一)A⋀Ā=φ
(二)A∨Ā=U
(一)の意味するところは、合憲でありなおかつ違憲であるという集合はないということです。(二)の意味するところは、合憲集合と違憲集合からなるのが全体集合であるということです。そこで合憲集合と違憲集合を分けるメルクマールは何か、言い換えれば、合憲集合はどのように定義づけされているのかが問題になります。合憲といっても憲法には様々な規定があります。刑事裁判に関して合憲か違憲かを分ける規定は次の規定です。以下に引用します。
憲法第三一条〔法定手続の保障〕
何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰に科せられない。
ここでいう法定手続とは憲法、刑法、刑訴法といった法律とそれらの法律に関する最高裁の判例によって確定された手続のことです。従って、刑事裁判において法定手続の集合=合憲集合であり、合憲集合の補集合が違憲集合ですから法廷手続でないものの集合=違憲集合になります。この法定手続であることを合憲集合の内包的定義としますと、A={x|法定手続である}であり、Ā={x|法定手続でない}となります。そして、二二八条二項の適用に関して(A)反対尋問があれば証拠とする(B)反対尋問がなくとも三二六条に基く同意があれば証拠とする、という二つの手続が法定手続とされています。三二一条に基く証拠採用はどちらのケースでもありません。従って、二二八条二項の適用に関する法定手続であると認められていない=違憲集合に属するとなります。つまり、三段論法で(い)法定手続でなければ違憲である(ろ)反対尋問なしの二二八条二項の適用は三二六条適用のケースを除いて、法定手続として認められていない(は)従って、三二六条適用のケースを除いて反対尋問なしの二二八条二項の適用は違憲である、と簡単に論証できるのです。もちろん、日本人は他の民族に比較して論理的ではないので、「合憲ではないが違憲とまではいえない」というような排中律に反するような言説を行なう人もいまし、また法律的には「憲法の違反」や「憲法の解釈に誤がある」などを分ける必要がありますが、論理的、形式的には以上の証明で十分です。
ですから、私の議論が間違っているというなら、Apemanさんは「二二八条二項を適用して立会制限した調書を三二一条一項三号でしてもよいということが判例等によって法定手続として認められている」と証明すれば良いわけです。しかし、実際には二二八条二項を適用したら反対尋問させなければならない、という判例がある=法定手続とされています。憲法三一条によって法定手続によらなければ刑罰に科せられないとされているのですから、私としては「二二八条二項を適用しても反対尋問なしでも証拠とすることができる」ということが法定手続として認められていない=合憲集合にないと証明できればそれで充分なのです。言い換えれば、直接「違憲である」と証明しなくても法定手続とされていないと証明できれば充分なのです。
(b)Apemanさんから出されていた確認事項について
先にApemanさんの方から「牛犬氏の再反論について(その2)」と「牛犬氏からのコメントについて」において出されていた二つの確認事項についてお答えします。まず、確認しておきますと、「228条2項の問題を棚上げにするならば、公判で被告側の反対尋問を受けなかった証人が公判期日外に行った供述の記録が証拠として採用される場合があり、その証拠採用にあたって必要な要件を刑訴法321条は規定している。刑訴法321条は憲法37条2項に反しないというのが通説である。」と「牛犬氏の再反論について(その2)」にありました。これに関しては「通説である」という点を除いて(通説ではなく判例です)、異議はありません。それから、「牛犬氏からのコメントについて」において、確認事項として「牛犬氏は、いったいどのような場合であれば刑訴法321条1項3号に基づく証拠採用が可能だと考えておられるのか?」とありました。今までに書いた三つの反論において何度も述べてきたことなので、詳細は三つの反論の該当箇所を見て頂きたいのですが、かいつまんで言いますと、「二二六条に基いて公判前に証人尋問する場合、捜査段階における供述の際に被告人、被疑者、又は弁護人を立会わせていたら、三要件の吟味の後に三二一条一項三号書面は成立します」ということです。
それに関連して言いますと、「牛犬氏からのコメントについて」の最後のほうにありました「321条に基づいて証拠申請される調書は反対尋問的プロセスを欠いているのが普通なのである(だからこそ、伝聞法則への例外として扱われているのである)。」という部分の議論は不十分です。先の「サルでもわかる立花説の誤り」において整理した(あ)捜査段階・嘱託尋問の実施過程における「反対尋問」と(い)公判・嘱託尋問調書の証拠採用過程における「反対尋問」という区分で言いますと、三二一条に基いて申請される調書に(い)の反対尋問プロセスが無いのは当然です。しかし、(あ)の段階における反対尋問プロセスを踏まえていなければならないのです。(い)に関するApemanさんの議論は正しいのですが、(あ)の段階における反対尋問的プロセスを無視されておられます。この(あ)(い)二つの反対尋問プロセスがあることをApemanさんは理解されていないようです。通常の二二八条二項を適用しないケースでは(あ)の段階で被告人、被疑者又は弁護人を立会わせるという反対尋問プロセスを踏まえているので、(い)の段階での反対尋問がなくても三二一条を適用することができるのです。ここで再び先に引用した三つ目の判例を引用します。
『S35.12.16 第二小法廷・判決 昭和33(あ)1439爆発物取締罰則違反、建造物損壊、脅迫、窃盗、銃砲刀剣類等所持取締令違反』
憲法三七条二項の「刑事被告人はすべて証人に対して審問する機会を充分に与へられ」るとは、反面において被告人に審問する機会を十分与えられない証人の証言及びその供述調書によって有罪とされないということを保障したものと解する。そして「審問する機会を充分に与へる」ためには、原則として証人の供述の際に、被告人を立ち会わせ、反対尋問の機会を与えることを要するものと解するのが当然である。しかし、証人尋問の際に被告人に反対尋問の機会を与えなかった場合でも、後の公判期日において、その証人が再び尋問され、その際に曩にした証言部分について、被告人側に反対尋問の機会か十分与えられているならば、結局反対尋問の機会が与えられたことになるから、曩の証人の証言又はその供述調書を証拠とすることは必ずしも違憲であるということはできないと考える。
とあり、反対尋問的プロセス=憲法三七条二項にいう「審問する機会を充分に与へる」とは「証人の供述の際に被告人又は被疑者もしくはその弁護人を立ち会わせる」か、「供述の際に反対尋問の機会を与えないのであれば公判段階においてその証人に被告側から反対尋問する機会が与えられる」という二つのことなのです(例外として三二六条に基く同意がありますが)。前者が先の(あ)に対応し、後者が(い)に対応するわけです。そして、原則として(あ)において立ち会わせるべきなのです。もし捜査に支障をきたすおそれがある場合は二二八条二項に基き立会を制限することはできるが、その場合は(い)の段階での反対尋問を与えなさいという判例なのです。ですから、「(あ)の段階で被告人、被疑者、又は弁護人を立ち会わせていれば、つまり、二二八条二項を適用せずに立会わせていれば(い)の段階で反対尋問のない調書を三二一条に基いて証拠採用できるのです。」逆に言えば、二二八条二項を適用したら公判段階において反対尋問を行わせなければならないので、二二八条二項と三二一条は両立しないと主張しているのです。
一応確認しておきますと、立花さんの議論でも第二二八条二項の説明の際に以下のように説明されています。
公判段階における証人尋問については、被告・弁護側の立会権・尋問権が、この条項で保障されている。しかし、捜査段階においては、この立会権・尋問権を必ずしも与えなくてもよいというのが、二二八条第二項の規定なのである。
(「論駁」第二巻 第26章 P.73 14行目)
補足しておきますと、「この条項で」とされている条項は二二八条二項に対応している刑訴法第一五七条のことです。このように立花さん自身も先の(あ)の捜査段階で二二八条二項を適用するなら(い)の公判段階での立会権・尋問権が保障されていることを認めているのです。もっとも、公判段階での立会権・尋問権が保障されているから捜査段階での立会権・尋問権は与えられなくてもよいといいながら、自身の公判段階での議論において上の条項で保障されている立会権・尋問権が行使されていないことをすっかり忘れています。ここにゴマカシがあるのです。ですから、立花さんの議論に依拠しているApemanさんが二二八条二項は(三二六条適用のケースを除いて)反対尋問なしではその適用が妥当とされないことが理解できないのも仕方がないことなのかもしれません。
付け加えておきますと、三二六条のケースではこの保障されている尋問権を自分の意思で放棄したと認められるから反対尋問なしでも証拠とすることが認められるのです。そして以前にも確認しましたが田中側弁護団が証拠能力の吟味の段階で反対尋問権を放棄した事実はありません。ですから、二二八条二項を適用した以上公判段階において田中側弁護団には尋問権が保障されていたのです。ところが尋問権を行使しようとしたところ免責をめぐるジレンマによって客観的に供述不可能な状況に追い込まれたわけです。免責をめぐるジレンマがなければ公判段階において反対尋問を行なうことは可能であったわけで、このままでは<供述不能>要件が認められないので、三二一条一項三号を適用するためには免責のジレンマによって供述不可能な状況に追い込むことが検察側の戦略的な要請であったわけです。
ところで、「牛犬氏の再反論について(その2)」において、『さて、わたしはこの「仮定」に際して普通の参考人として検察の任意の取り調べに応じた場合と刑訴法226条に基づき証言した場合の両方を挙げておいたのだが、なぜか牛犬氏は後者だけを念頭に置いているようである。しかし、任意の取り調べに応じたのであれば、228条2項は関係なくなるのである』とありますが、私は別に前者のケースを無視したわけではありません。Apemanさんが私の議論の根拠がサッパリ分からないと述べておられたので二二八条二項が問題であることをハッキリさせるために、後者のケースだけを取り上げ議論が複雑にならないように配慮したのです。二二八条は公判前の証人尋問請求を受けた裁判官の権限に関するものですから、前者のケースには二二八条二項は関係ないのです。
(c)免責をめぐるジレンマについて
Apemanさんはすっかり「免責をめぐるジレンマ」についての事実関係をお忘れのようなので再確認したいと思います。以下に以前の文章から引用します。
実際問題として反対尋問ができないということがあるんです。コーチャン、クラッターは日本に来て法廷に立つのはいやだといっている。そうすると、反対尋問も嘱託でやるほかない。「その際に、先方は免責の再確認を求めてきますがそれでもいいんですか、それをみとめるんですか」と検察官が田中弁護団に聞いたんですよ。すると田中弁護団、グッとつまってしまいましてね、そんなこと認めたら、これまでの免責は日本の法体系の下で絶対に許されるべきでない違法の措置という主張の論拠がくずれてしまいますからね。「いや、それを認めるわけにはいきません」と答えた。「それじゃ反対尋問をやろうにもできないじゃありませんか。どうするんですか」という重ねての質問に、田中側は、いや、こういうジレンマが生まれること自体が免責の違法性の証明であると演説していましたが、こういうわけでこのままでは事実問題として実施不可能という状況があったんです。裁判所の「必要性なし」の判断は、実はこの状況をふまえての判断でもあるわけです。後にも述べますが、客観的に反対尋問を実施できないという状況があるときは、刑訴三二一条の伝聞法則の例外規定の条件が満たされて、三二一条適用の必要性が出てくる。そして反射的に反対尋問の必要性がなくなるんですね。
(「巨悪VS言論」17章 『大反論』P.442 14行目)
この文章は「裁判所の~判断でもあるわけです。」という一行がいつの時期の判断か分かりにくいため、前後の文との関係がやや不明瞭と感じられるかもしれません。しかし、その一行をとばして読めば、事実問題として実施不可能→三二一条適用→証拠採用という流れになりますから証拠採用過程での議論であることが分かります。
(「サルでもわかる立花説の誤り」より)
重要なことは「事実問題として実施不可能→三二一条適用→証拠採用」という流れです。三二一条一項三号の三要件の一つ<供述不能>要件は免責をめぐるジレンマによって反対尋問不可能に追い込まれたからこそ成立したのであって、先に引用したとおり、もし弁護側が検察側の意見を取り入れて免責を許していたら反対尋問できたのです。ですから、Apemanさんが「9月1日付けの牛犬氏のコメントを編集、また当方の反論もアップ」において「321条1項は反対尋問を経ていない調書の証拠採用を規定した条項なのであるから、321条1項に基づいて証拠申請された調書の証拠能力を反対尋問によってチェックするというのは本末転倒なのである。」と述べられていましたが、先に引用したように立花さんも検察側も「調書の証拠能力を反対尋問によってチェックするというのは本末転倒」などとは言っていません。それどころか「免責を認めれば反対尋問可能ですよ」と暗に含んだ言い回しをしています。事実に基かない議論をされては困ります。通常の法廷における証言なら、(当然反対尋問できるので)反対尋問できるかどうかは問題になりません。三二一条一項三号に基く調書であるからこそ、証拠採用できるかを決める三要件を吟味する上で<供述不能>要件が成立するかは当然議論の対象になるのです。このような反対尋問を行なうことができるかどうかの議論を経て、<供述不能>要件を満たすかどうかが確定されるのです。言い換えれば、調書が伝聞証拠であるといえるかどうかは三要件が成立するかの吟味を経て確定するのです。そして、事実として先に引用したように弁護側が免責を認めれば反対尋問可能であったのです。その可能であった反対尋問を不可能に追い込んだのが免責の妥当性をめぐるジレンマなのです。免責の妥当性が否定されれば検察側嘱託尋問調書は否定されます。逆に免責の妥当性が肯定されれば弁護側嘱託尋問調書による反対尋問が可能であったのです。
それから、田中側弁護団が嘱託尋問調書の証拠採用決定がなされた後、その証拠採用決定に異議を申し立てて最高裁に特別抗告しています。立花さんの「ロッキード裁判とその時代」(朝日文庫)からそのあたりの事情を引用します。
特別抗告をしてみたところで、弁護側にあまり勝ち目はない。というのは、「終局判決に影響があるような証拠決定に関しては、その判決に対していずれ上訴して争うという別の救済手段があるのだから、特別抗告によって決着をつけるまでもない」とする最高裁判例(昭二九・一〇・八)がるから、それを持ち出されて門前払いをくわされて終わる公算が大である。
(「ロッキード裁判とその時代」2巻 23章 P.163 16行目)
同調書の証拠採用が決定されたのは、昨年暮れだったが、その後弁護側はそれに異議を申し立て、それが棄却されると最高裁に特別抗告までして争ってきた。前に書いたように、この件に関して特別抗告しても棄却されて終わることは判例によって明らかだったが、弁護側はあえて徹底抗戦したのである。二月九日、最高裁から予想通り棄却の決定がくだされた。
(「ロッキード裁判とその時代」2巻 24章 P.205 8行目)
とあり、最終的な救済手段であり、法律的に疑義のある問題に関する解釈の最終的な判断決定権のある最高裁から免責の妥当性を否定し調書の証拠能力を認めない旨の判例が出た以上、「9月1日付けの牛犬氏のコメントを編集、また当方の反論もアップ」において述べられていた「調書の証拠能力が問題になっていた段階において、弁護側に証人尋問を申請できない(免責という論点のために)事情があったとしてもこれは調書の証拠能力を損なうものではなく(伝聞証拠であるというもともとの瑕は別とすれば)」というような、免責など証拠能力に影響を与えないとする見解は成り立ちません。免責という法定手続にない手段の妥当性は最高裁で否定されました。したがいまして、免責をめぐるジレンマによって反対尋問する機会が奪われたことも不当なのであります。
また、Apemanさんは『証拠採用が決定した後、調書の証明力を争う段階であれば「免責は有効」という裁判所の決定を盾にとって自らの主張を留保しつつ証拠申請することができる』と述べておられましたが、これはあくまで証明力の問題であり、証拠能力の吟味とは無関係です。証明力の吟味をもって証拠能力の吟味の代わりにすることはできません。確認しておきましょう。
証拠能力とは、証拠が厳格な証明の資料として用いられうる効力である。あるいはこれを許容性(略)といってもよい。それは、証拠の実質的価値である証明力と区別されなくてはならない。証明力については裁判官の自由な判断にゆだねられるが、証拠能力は形式的に法定され、裁判官の自由な判断を許さないのである(ある程度の例外として、三二六条一項)。たとい実質的に価値のある証拠でも、形式的に証拠能力のないものは事実認定の基礎とすることはできない。証明力は実体面の問題であるが、証拠能力は、まず、かような意味で、手続面の問題である。証拠能力のない証拠は、ひとり事実認定の基礎として採用することができないだけでなく、公判挺に証拠として出すことも許されない。けだし、公判挺に出せば、事実上それによって裁判官の心証を形成することになるからである。
(「新刑事訴訟法綱要」 団藤重光 P.246 14行目)
「実質的な価値のある証拠」とは証明力を有すると考えられる証拠のことで、形式的に証拠能力のないものは公判廷に証拠として出すことも許されないのです。
(d)三二六条について
まず、三二六条適用に関する判例を紹介します。
『判例S28.05.12 第三小法廷・判決 昭和26(あ)4248食糧管理法違反、経済関係罰則の整備に関する法律違反(第7巻5号1023頁)』
判示事項:
証人の伝聞事項の供述を証拠とすることに同意があったと見られる一事例。
要旨:
証人が、共同被告人から伝聞した事項を供述したときに被告人および弁護人が、何ら異議を述べず、かえって証人に対し尋ねることはないと述べたときは、その供述を証拠とすることに同意があったものと認めるのを相当とする。
以上のような判例があります。そして参照・法条に三二六条とあります。この共同被告人の供述(及びそれに対する同意)は公判廷においてなされたものですから、三二六条の適用をもって公判期日外ということはできません。ですから、嘱託による反対尋問は問題なく可能であったわけです。
(e)大野判事の補足意見について
まず、Apemanさんのコメントの引用から始めます。
私の主張は大野判事の補足意見が荒唐無稽だということではなく(当初の見解を訂正した)、「異論の余地のない通説ではなく、たぶん賛否両論が拮抗するケースの一意見でもなく、おそらく少数意見であろう」というものであった。これに対して牛犬氏は、大野判事の意見が当然ふまえるべき最高裁判例をふまえていればあたりまえに導かれるはずの結論である、と主張しておられる。とすれば、牛犬氏の主張は単に立花隆だけでなく、ロッキード裁判一、二審の判決を下した判事(そしてもちろん検事も)、さらには私がランダムサンプリングで調べた結果嘱託尋問調書の証拠採用を支持する記述をしている法律家がそろって「サルでもわかる」間違いをしているということを含意することになる。私は「立花隆のみならず嘱託尋問調書の証拠採用を支持している法律家は間違っている」という議論が成り立たないと主張しているのではなく、そう主張する立場もあり得るだろうが、それが異論の余地のない通説ではないし、そこそこ蓋然性のある多数説でもないだろうと主張しているのである。他の論点はともかく、この論点に関する限り牛犬氏の側の論証の方が高いハードルを越えねばならないことをご理解いただきたい。
とあります。まず、確認しますと『牛犬氏の主張は単に立花隆だけでなく、ロッキード裁判一、二審の判決を下した判事(そしてもちろん検事も)、さらには私がランダムサンプリングで調べた結果嘱託尋問調書の証拠採用を支持する記述をしている法律家がそろって「サルでもわかる」間違いをしているということを含意することになる。』これはその通りです。そもそも免責に関して法律的に疑義のある問題に関する解釈の最終的な判断決定権のある最高裁において証拠採用が認められなかったわけですから、彼らの議論が間違いであることは証明する必要がありません。最高裁によって否定されているのに嘱託尋問調書の証拠採用が妥当と主張するのはナンセンスです。ですから、そのようなナンセンスな議論を展開している法律家がサルでも分かる間違いをしたとしても何の不思議もありません。また、今回の嘱託尋問調書で一番の争点になったのは免責の問題ですから、最高裁の判例やApemanさんがランダムサンプリングした刑訴法関連の15冊の本に大野判事の補足意見と同じ立場で批判している本がなくても何の不思議もありません。
二二八条二項の問題に関して推測しますと、それら15冊の本において二二八条二項を適用し立会を制限した調書を(三二六条のケースを除いて)反対尋問なしでも証拠採用できると主張する本は一冊もないでしょう(もちろん、証拠採用を支持するような無能な法律家の本を除いて)。できましたら、お手数ですが、Apemanさんには二二八条二項に関連するページを調べていただきたいと思います。
そして、肝心なことは判決に影響を与えるのは判例であって通説ではありません。判例の方が通説より判決に対して影響力のある意見なのです。言い換えれば、判例の方が通説より上位の法的規範なのです。ましてや、法律的に疑義のある問題に関する解釈の最終的な判断決定権を持つ最高裁の判例が出ている以上、法律的に重要なのはその判例の方なのです。ですから、判例を引用している私が「二二八条二項を適用し立会を制限した調書を(三二六条のケースを除いて)反対尋問なしに証拠採用することはできない」ということが多数意見であるかどうかを論証する必要はないのです。したがって、判例が出ている以上、「二二八条二項を適用し立会を制限した調書を(三二六条のケースを除いて)公判において反対尋問させなければならない=反対尋問権が保障されている」とする説が通説となっているのが当然です。