『麺の文化史』
石毛直道、『麺の文化史』、講談社学術文庫
米=粒食/(小)麦=粉食という対比を初めて知ったのは、子どもの頃に吉川英治の『三国志』を読んでいて、諸葛亮が人身御供の代わりに饅頭を供えた、というエピソードに付された吉川の解説によってである。もちろん、米の粉からつくられる麺も存在している一方、大麦などは粒食もされるわけだが、たしかに米以外の穀物は粉食するのが一般的である。思想なんぞはないならないですませることができても毎日欠かせないのが食事。というわけで食文化というのは文化史・文明史についての重要な手がかりになりうるのであるが、そのことをよりアカデミックなかたちで教えてくれたのが、この石毛氏の『魚醤とナレズシの研究
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モンスーン・アジアの食事文化
—』(共著、岩波書店、品切重版未定)である。もっとも、私はこの本を読んだことはなくて、その紹介を読んだことがあるだけなのだが…。ちなみに、日本の家庭では大抵箸と飯茶碗、湯のみ茶碗は各人専用のものを用意しているはずであるが、このような「誰それのもの」と決まっている食器(属人器)が世界的にみれば希であることに気づかされたのも石毛氏の本によってであった。
さて、本書は「麺」の様々なヴァリエーションとその起源、伝播に関する研究である。しかしながら、中国と日本を除けば麺に関する古い文献記録は乏しい(仮にあったところで著者にとっては利用可能ではない)そうで、決定的な証拠のない推論に頼らざるを得ない部分があることは著者も認めている。とりわけ大胆だが逆に文献的、実証的な裏づけに乏しいのが中国の麺とイタリアのパスタの間の「ミッシング・リンク」についての議論だ。
とはいえ、例によって著者はアジア各地、イタリア各地で麺を食いまくっており、その紹介を読むだけでも楽しい。もちろん、いかにもうまそうなものもあればあまり食欲をそそらないものもあるが…。麺というのは食べるには手軽である一方、作るには手間のかかるものなので、現在は盛んに麺食が行なわれているところでもその起源は以外に新しいことがある、というのも興味深い。例えば、イタリア全土で乾燥麺のスパゲッティが食べられるようになったのは約40年前(原著執筆当時、か)のことだ、というのである。つまり第二次大戦後に食品産業と流通業が発達してから、ということであろう。そういえば、日本人のほとんどが毎日のように米を食べるようになったのだってそう遠い昔ではない。
というわけで、この本を読んでいる数日間、いろんな麺を食いました。明日の朝も麺の予定。
Posted: 土 - 8 月 19, 2006 at 09:37 午後
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