『中国戦線従軍記』


藤原彰、『中国戦線従軍記』、大月書店

結果的に藤原彰の絶筆となった従軍記。終戦時わずか23歳だった藤原氏は最終的に本土決戦用に編成された師団の大隊長(大尉)にまで出世している。しかし従軍記の大部分は小隊長、中隊長として過ごした中国戦線のはなしである。藤原大尉は若いがなかなか成績優秀な、そして運のよい士官だったようである。上官たちにも比較的素直に指揮能力や成績を評価され、年下の部下たちにいびられたこともなく、所属師団が大きな損害を出したときには中隊を率いて別行動をとっていたことが多く、自分の部下に多くの死傷者を出す戦闘を経験したのは一度きり、であったようだ。また、そうした経歴を語る筆致には誇らしい、懐かしいという感情がにじみ出ている。まあなにも日本軍に対して批判的な研究を行ってきた歴史家だから従軍記が呪詛に満ちていなければならない、ということはないが、軍隊というホモソーシャルな集団がもつある種の“魅力”をうかがわせることではある。

大陸打通作戦に参加するまでは共産党支配地域での作戦行動に従事していた藤原隊長だが、本書の記述を信じるかぎり民間人や捕虜の殺害といった場面にはほとんど遭遇していない(ただし、連隊長が「燼滅!」と命令してとある部落を焼き払ったのは一度目撃している)。それでも、略奪に関しては一通りの経験をしているようである。日本軍(および国民東軍)に繰り返し略奪されなにも残っていない部落を避け、まだどの軍隊も通っていないルートで行軍した経験などが語られている。酒造りが盛んな町で「徴発」(といっても、法的な規定を満たしていない)を行なったときには「酒風呂」に入ったこともあるとのこと。
それでも、戦場となった地域の中国人の窮状は目に入り、それが日中戦争について疑問を持つ決定的な契機となった、という。

(…)私たちが紅槍会の武装解除をおこなっていると、部落民の一団が川の堤防上に避難しているのに遭遇した。そのなかの一人のガリガリに痩せ細った母親が、これも骨と皮ばかりの赤ん坊に母乳の代わりに草の茎をしゃぶらせていた。私はこの光景に強い衝撃を受けた。(…)

またろくに補給もない状態で、前線を知らない参謀が安全地帯で机上の作戦を立てていたことへの批判も繰り返し述べられている。南方戦線に比べればまだしも食料事情がよかったと思われている中国戦線でさえ、栄養失調に直接・間接に起因する戦病死者が出ていたとのこと。特に、徴発のできる前線より野戦病院の食料事情が悲惨だったそうだ。

Posted: 火 - 8 月 1, 2006 at 10:42 午後          

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