『天皇の軍隊と日中戦争』


藤原彰、『天皇の軍隊と日中戦争』、大月書店

2003年に亡くなった藤原彰の遺稿集。1990年以降に雑誌等に掲載された論文のうち単行本未収録のもの8本に、藤原氏の研究生活の回想、弟子である吉田裕との対談、笠原十九司氏や本多勝一氏ら6名による追悼文が収録されている。
論文のうち「天皇の軍隊の特色」「南京攻略戦の展開」「日中戦争における捕虜虐殺」はこれまでよく知られている仕事の延長線上にあるもの。これに対して「日中戦争と戦後補償」「「三光作戦」と北支那方面軍」「海南島における日本海軍の「三光作戦」」「命令された最後の戦い」はこれから本格的に取り組もうとしていた問題をとりあげた論文、と言える。特に「命令された最後の戦い」は、映画『蟻の兵隊』の主題となる「日本軍山西省残留問題」をとりあげたもので、非常に興味深い。もちろん、旧軍の責任を厳しく追及している。残る一本が「日本軍からみた反戦運動」。

三光作戦(燼滅掃討作戦、が日本側の呼称)についてはかなり前に少し本を読んだ程度で、その後本格的に勉強してはこなかったのだが、実際のところは南京事件どころではない大問題であることを再認識。民間人を殺害の対象とする命令が明示的に出された、ジェノサイドと言って過言でない軍事行動である。何度か書いてきたことだが、日本人は南京事件が日本軍の戦争犯罪の最大のシンボルとなっていることに、むしろ感謝すべきであろう。

回想録は、その種のジャンルに興味のない私にもなかなか興味深く読めた。戦後間もなくの研究会に「三笠宮の紹介で服部卓四郎氏に来てもらった」とさらっと書かれていて、ちょっとびっくり。藤原氏も三笠宮も中国戦線にいたわけだから、なにか接点でもあったのだろうか。ちなみに、藤原氏が「あなたは作戦課長として戦争を始めるのに一番貴重な役割を演じたはずだけれども、勝つつもりがあったのか」と質問したところ、服部は「いや、今になってみれば国を誤った責任がある。実はドイツが勝つと思ったんだ」と答えた、とのことである(吉田裕との対談より)。

南京事件関連以外での藤原彰のもっとも重要な著作は『餓死した英霊たち』ではないかと思っているのだが、この本について次のようなエピソードが。「本を出すと、ずいぶん手紙が来るのですが、こんどの本は「そのとおりだ」「よく書いてくれた」「私もこういう目にあった」という手紙をずいぶんもらいました。それをまとめて資料集にしてもいいくらいです」、と。旧軍の将校でありながら一貫して日本軍の責任を問う仕事をしてきた藤原氏には、旧軍関係者から様々なかたちでの誹謗・妨害があったと想像するが(現に、ある時期までの防衛庁は、「絶対に史料を見せない4人」の1人に藤原氏を指名していたとのこと)、他方で軍の責任を問う声なき声もあったことがわかる。また、東レ経営研究所顧問の森本忠夫氏が『カダルカナル―勝者と敗者の研究』という本を書き、そのなかでガダルカナルのことを「愚劣な戦争指導のもたらした日本人による日本人のホロコースト」と評していることが吉田裕から紹介されている(以上、同じく吉田裕との対談から)。
ちなみに、吉田裕は追悼文の中で、私がかつて『餓死した英霊たち』から引用したのとまったく同じ文章を引用している。( )内のみ、私だけが引用した部分。

戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。(それが本書の目的である。)

「日中戦争と戦後補償」については後日別エントリで改めてとりあげたい問題があるが、あとは断片的に印象的なことを。
アメリカが押収した文書の返還を訴える運動をしているころワシントンの議会図書館を訪れたら、東洋部長から「ここにあるから先生方にお見せできるのだが、日本にお返ししたら、かえってごらんになれないかも知れませんよ」と言われたとのこと。はたしてその通りになった。ただし、最近はまだましになったとのことである。要するに、旧軍関係者が防衛庁から退職し、さらには存命者が数少なくなったことが背景にあるのだろう。富田メモの公表もそういう流れの一環と考えればよく、陰謀論など想定する必要はない。

「最近調べた史料」の中にあったというはなし。

例えば航空軍の司令官が飛行機で山西省の作戦地域を視察すると、至るところに火の手が上がっている。いったいあれは何だと聞いたところ、第一郡参謀長の田中隆吉少将が、部落はみんな焼き払えという命令を出していた。日本軍が討伐作戦で進んでいくと片っぱしから部落に火をつけて焼き払っていくという姿を上から見て、これはおかしいではないかと言って疑問を呈した(…)

そういえば、「大東亜戦争」擁護者でありながら南京事件での虐殺の目撃証言を公表(『私の見た南京事件』)した奥宮政武氏も海軍の航空畑の参謀であった。最終的には個人の資質によるところも大きいだろうが、やはり“飛行機乗り”と陸上部隊の軍人とでは戦争の捉え方が違う、というのは相当程度言えるのだろうか。もちろん、敵との距離が大きい“飛行機乗り”の場合、戦争を抽象的(都市への無差別爆撃を可能にするメンタリティー)、ロマン主義的に捉えがちという欠点もあろう。ただ、泥水をすするような想いをすることが少ない分、敵を過剰に非人間化する必要がなく、戦争犯罪に対して客観的な視点をもちやすいのかもしれない。かのカーティス・ルメイも「負けたら我々は戦争犯罪人だな」とマクナマラに語っていた。まあ戦争犯罪であることをわかっていてやってしまえるのが空軍的、戦争犯罪という認識を持てないのが陸軍的、といったら単純化しすぎだろうか。

Posted: 金 - 7 月 28, 2006 at 09:42 午後          

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