『バックラッシュ!』発売、そのほか(随時追記)


7月1日、初稿アップ
追記は文末
7月14日再追記
7月25日追記

双風舎の『バックラッシュ!』、月曜日には店頭に見あたらなかったが昨日無事入手。梅田紀伊国屋では「新刊 教養」の棚にありました。で、まだほとんど誰も手に入れていない段階でさっそくこういうエントリを書く macska さん(w 「ジェンダーフリー」を推進する一枚岩の秘密組織があると考えているバックラッシャーの裏をかく、見事なパフォーマンスです。

ところで週末には藤原彰の『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店)を買ったので、よく似たタイトルの『天皇の軍隊と南京事件』(吉田裕、青木書店)とあわせて近日中にご紹介する予定。『天皇の軍隊と日中戦争』はいわば藤原氏の追悼論文集で、巻末には数本の追悼文も収められている。この本が現代史コーナーにひっそりと置かれていたのに対して、新刊書コーナーで威張っていたのが『南京大虐殺のまぼろし』(鈴木明、WAC BUNKO)、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(東中野修道、草思社、これに対する青狐さんの批判はこちら)の2冊。なんともいやな気分になる。

『バックラッシュ』については読了したらまたエントリを立てるが、とりあえず…
・「『ジェンダーフリー』論争とフェミニズム運動の失われた一〇年」は重要そう
・山谷えり子が性教育をポルノ化している、という小谷真理の指摘は、アニタ・ヒル事件についてのマッキノンの指摘(についてのバトラーの議論)を思い出させる。
・牧波昆布郎氏、市販刊行物に登場!

14日追記
え〜いろいろと障害があって(まあこの時期はナイター中継とビールなのだが)、一通り読み終わったもののなかなかエントリにまとめられないのだが…まあぼちぼちと。
冒頭の宮台真司インタビュー。彼の書いたこと(語ったこと)をそれなりにフォローしている人間にとってはそれほど目新しいところはなく、ほとんど彼の書いたものを読んだことがないひとにとっては啓発的たりうるのかもしれないが、それにしても70ページちょっとのインタビュー本文に対してポイント落として2段組み16ページ超の註はいかがなものかと思わざるを得ない。宮台真司には自分なりの“戦略”があってのことかも知らんが、編集者には編集者の思惑が別にあってしかるべきで、もちっとなんとかならんかったもんだろうか。

で、ネットで見かけたバックラッシュ関連の話題。まずは『バックラッシュ』じゃなくて macska さんのエントリについてのものだが、kallikles 氏の「macskaさんのアファーマティブアクションの解説」。非常に局所的な反応で申し訳ないのだが、


特にネットとかでの「バックラッシュ」勢力の中心であると思われる大学生〜大学院生 男子の年頃というのは、グループとしての自分たちが同年代の女性たちに比べていろんなことで苦労していると感じ る年頃なんで、「女性」全体を優遇しようとする政策に対して バッシングに走ろうとするのもわからんではない。「オレらがいろんなプレッシャーと戦って生きるのにせいいっぱいなのに、まだ優遇されたいだと!」「会社はいったってすぐやめてしまうんだろうが」とか。

私はまさにその年頃に「ああ、この社会は男社会なんだな」と痛感しましたよ、いろんな場面で。まあ私の経験はあくまで個人的なものだし20年から前のことだからもちろん一般化はできない。しかしkallikles 氏が自分の印象を一般化して「大学生〜大学院生」を「グループとしての自分たちが同年代の女性たちに比べていろんなことで苦労していると感じる年頃」と規定してしまうのもいかがなものだろうか。私が大学に進学したころはさすがに「女は高校を出れば十分」という雰囲気こそ希薄になっていたものの「短大で十分」「(共学の)四大なんて…」「理系学部にいくなんて…」「まして浪人してまで大学いくなんて…」といった雰囲気は十分残っていた。就職活動の時期はといえば、バブル真っ盛りで男女雇用機会均等法の施行間もないという好条件にもかかわらず、成績で男子学生をうわまわる女子学生が軒並み苦戦していたのは前にも書いた通り。もちろん、「総合職」ではなく「一般職」を狙うのであればはなしは別なのだが。で、それからまだ20年しかたっていないのだしこういう空気を吸って育った人間(あるいはさらに年長の世代)が社会を牛耳ってるんだから。平均給与の男女格差とか国会議員や一部上場企業の取締役に占める女性の割合なんかをみれば事態は明白でしょう。性道徳のダブルスタンダードもこの「年頃」になるとはっきり見えてくるわけだけど、みかけ上多少ましになったかもしれないが本質的なところで変化があるとは思えない。私は高校のころから大きな引っ越しをしていないのでいまだに(地元に残っている)同級生と飲みにいくことがちょくちょくあるけど、やはり女性の(既婚で、子持ちになればなおさら)気の使いようは男とはずいぶん違うわけですよ。
にもかかわらず、「大学生〜大学院生男子」が「自分たちが同年代の女性たちに比べていろんなことで苦労していると感じる」のだとすれば、そのあたりの事情を主張しているのが
「深夜のシマネコBlog」のこのエントリということになる。まあすでに macska さんも言及しているので、ごく限定的に。この

「強者男性」>「強者女性」>「弱者女性」>「弱者男性」

不等式の問題点は、男女間、世代間、同世代男性間、同世代女性間の「強弱」を一元的に扱ってしまっているというところ。いくらフェミニズムへのバックラッシュに励んでみても

「強者男性」>「弱者男性」

という関係に変化はないわけで、

 しかし、90年度になって一気にバブル経済が膨らみ、そのまま破綻する。
 右肩上がりだった社員のキャパシティーは著しく制限され、また既存の社員を守るために、新卒社員を極力採用しないようになった。

という憤懣をフェミニズムにぶつけたってしかたなかろう、と。kmizusawa さんが語っているように、

「自分(たち)は社会の中で不当な目にあっている」と感じるのなら、自分たちで団結(がダサいのなら「連帯」でも「協力」でもなんでもいいけど)して運動を起こすべきなのでは?

ということだ。世代間の不平等とか、同世代(の男子)間での「新卒時にうまく正規雇用にありつけた者とそうでない者」の格差を問題にしたいのならまずは自分たちで運動すべきなんで、「フェミニズムは弱者男性に配慮していない」というのはそれこそ「順番が違う」。でもって、例えば非正雇用男性の運動を立ち上げたとして、このエントリの主張を一貫させるなら、その運動は絶えず「われわれは女性に配慮しているか」と問い続けねばならないわけだ。
「私を養ってくれるお嫁さん」募集宣言にもおかしなところがあって、

1、「仕事を辞めろ」とか絶対に言わない。

という条件ではダメでしょ。「私を養ってくれるお嫁さん」なんだからそんなのあたりまえであって。「家の外では働かないでずっと家にいろ、お前の小遣いは私の稼ぎからお前がやりくりしろ、と言われるならその条件を呑みます。家計を助けるために家事に加えてパートにも行けと言われるなら行きます。」でなきゃ。他人の稼ぎに全面的に依存する覚悟が足りないのでは? もうひとつ、

3、「子供も特にいらない」

も不十分。相手が子どもを欲しがったらどうするわけ? つくるつくらないはまあ相談して決めるとして、「つくった場合は子育ての主たる責任を負います」って条件も付けとかなきゃ。

関連エントリ:「非モテ」のミソジニーについて

7月25日追記
なんかこの問題、すごい勢いで後回しにしてしまってますが…。bewaadさんが『バックラッシュ』に言及。具体的にとりあげられているのがもっぱら宮台真司のインタビューであるのに「いかに中間層を包摂するかという点において、フェミニズムの側の考察が足りなかったという事実が本書で示された」とするのは「ちょっと待って」という反応を呼びそうだけど、少なくとも宮台インタビューでの語り口への批判としてはあってしかるべきものだと思う。というのも、

さらに慎重であるべきなのは、本書は質・量ともにジェンダーフリー推進派のネタ本として機能するであろう、という本書の位置づけにまつわる問題があります。本書が直接の説得・呼びかけの書であるなら、読者の段階でことは終わります。しかし、ネタ本として機能するなら、本書をネタにして今後行われる多くの主張が、本書のこうしたスタイルを再生産してしまうおそれがあります。

という指摘は重要だと思うので。しかしあれですな、論争的なトピックについて本を書く人間は、自分のワンフレーズが2chにコピペされたときのことまである程度想定して書かないといけませんな。

Posted: 火 - 7 月 25, 2006 at 07:01 午前          

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