なんともずさんな陰謀論
本山美彦、『民営化される戦争』、ナカニシヤ出版
イラクで死傷しているアメリカの“民間人”の多くが元軍人で、PMCと呼ばれる民間の軍事企業の社員であることが報道されている…ということで買ってみた本なのだが、第3章の註(75-6頁)に次のような記述がある。
かつて日本列島改造政策を推進した田中角栄は、米国でロッキード汚職の証拠書類を暴露され、闇将軍の座から墜落した。このような機密書類を入手し、暴露しうるものは、米国のトップ、もしくは秘密情報機関のメンバー以外にはあり得ない。(後略)
この後はお定まりの陰謀論である。せっかくいいテーマの本だと思ったのに、こんな記述があると著者の知性を疑って読む気が失せてしまう。周到に状況証拠を固めたうえで表に出ている事実と丹念に照らし合わせて展開される陰謀論ならまだしも、上で引用した著者の認識はひどすぎる。繰り返しになるが、念のため指摘しておこう。
まずなにより、ロッキード事件が発覚した時点で田中はすでに首相を辞任していた。その直接のきっかけはもちろんロッキード事件などではなく、立花隆らが『文藝春秋』において暴露したいわゆる「金脈問題」である。田中の退陣をうけて三木内閣が成立するのが74年12月、そしてアメリカ上院のチャーチ委員会でロッキード事件が発覚するのは76年の2月なのである。首相辞任をもって田中の「失脚」というのであれば、田中はロッキード事件以前にすでに失脚していた。他方、田中が「闇将軍」として裏の支配力を発揮するのはむしろロッキード事件発覚以降である。田中の逮捕は76年7月、初公判は77年1月、一審判決が83年1月である。この間、田中は衆議院議員であり続けたのはもちろん、80年には「直角」と呼ばれた第二次大平内閣を成立させ、田中派議員も100名を越えたし、82年には「田中曽根内閣」と呼ばれた第一次中曽根内閣を成立させている。田中が「闇将軍」の地位から転落するのは控訴審の直前、85年の2月に田中が脳卒中で倒れたことが直接のきっかけであり、その背景にあったのは竹下登の“裏切り”であった。ロッキード事件とは(残念ながら)なんの関係もない。むしろ、ロッキード事件は田中にとって「闇将軍」として政界に居残るためのモチベーションとなったと言った方がはるかに正確だろう。
次に、上の引用で「このような機密書類」と呼ばれているものは、ロッキード社の海外での営業活動に関する証言録や各種文書の類いであって、ホワイトハウスやCIAが保持している「機密書類」ではない。ロッキード事件を明らかにしたチャーチ委員会とは正式名を「上院外交委員会 多国籍企業小委員会」といい、アメリカ企業の海外での活動を監視するためのものであって、ロッキード社の情報がここに集まったのは不思議でもなんでもないし、委員会の趣旨からして不正があればそれが暴露されるのもしごく当然のことである。議会なり司法当局なりが本気でことに当たれば贈収賄の証拠・証言が集まるのは不思議なことでもなんでもなく(常に可能というわけではないが)、だからこそ汚職事件が(ごく一部だけとはいえ)裁かれうるのである。ロッキード事件の暴露に関してホワイトハウスが関与しているとすれば、それはせいぜい「徹底して田中をかばうための手を打たなかった」という消極的なかたちにおいてでしかない。また、陰謀論者がしばしば無視していることだが、このスキャンダルに関与したのは田中だけでもなく日本の政府高官だけでもない。すでにスキャンダルで退陣している田中を“失脚”させるためにイタリアの元首相、オランダ女王の夫、西ドイツの元国防相などを巻き添えにするというのは、バカげているにもほどがあろう。
結論:註のなかでの記述ゆえにコンパクトにまとめる必要があったという事情を斟酌したとしても、上で引用したような「陰謀説」は私が目にしたなかでももっともずさんなものの一つである。
Posted: 木 - 2 月 24, 2005 at 12:49 午前
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