ロッキード裁判、論点は何か(17時40分付記)


なぜ当方の論点整理には応じないのかを考える

Angelix氏にしてもmayson氏にしても当方が行った論点の整理にはご不満のようである(Angelix氏については単にお疲れなだけかもしれないが)。さて、よく考えてみると彼らは
(1)暗黒裁判は許されるかどうか?
が本来の争点だと思っている節がある。だからこそロ裁判批判に反論すると「リーガル・マインドを全く欠いた斉東野人」といったレッテルを貼りたがる。まるでこちらがお白州裁判を肯定する前近代主義者であるかのようにである。たしかにお白州裁判を望むメンタリティが日本社会に根強いのは確かである。オウム裁判や和歌山毒物カレー裁判で被告人が沈黙を守ると「けしからん」と騒ぐ人間が存在することからも明らかなように。しかし立花隆にせよ私にせよ、そして2ちゃんねるの過去ログでロ裁判批判に反論していた人々にしても、「暗黒裁判おおいにけっこう」などとは主張していない。一貫して問題にしているのは
(2)そもそもロッキード裁判は暗黒裁判だったのかどうか?
なのである。ところが批判派は(2)については渡部昇一他の粗雑な議論を引き写すだけでまともに議論しようとせず、お前は暗黒裁判を肯定している、と非難するのである。おそらく(2)よりも(1)の方がより原理的、基本的な問題であり、それゆえ(1)を問題にする自分たちの方が上等な人間だと思っているのではないだろうか。刑事裁判一般を問題にするのならそれでも結構だ。しかし個別の裁判を題材にして(1)を論じるならば、まずは(2)をしっかり片付けておく必要があることは言うまでもない。そもそも(1)については議論の余地など本来ないのである。小室信者、渡部信者に問いたい。あなたはデタラメな事実認識に基づいて裁判を批判することが、近代法の原理を擁護することに資すると思いますか? 弁護人の戦略としては、とにかく被告のために使える手は何でも使う、というのもありだろう。しかし当事者でない立場から裁判を評価するなら、実際の裁判の経過を踏まえて議論しなければ無意味ではないだろうか。
厄介なのは、小室信者のロ裁判批判者は被告人の権利を擁護するために努力していると考えており、おそらく主観的にはたしかにそうなのであろう、という点である。この自負があまりに強烈であるために、裁判に関する事実誤認と相まって「近代法の原則を充分踏まえたうえで、なおロ裁判を肯定する人間」さらには「近代法の原則を守ろうとするためにこそ、ロ裁判を擁護しようとする人間」の存在が理解できないのである。裁判批判に反論するやつはみんな検察のイヌに見えるのである。
裁判批判派が好んで口にする「角を縛る法は丸も三角も縛る」という論法について考えてみよう。だれもそんなことは否定していないのである。この表現は渡部昇一が使ったものだったと記憶しているが、身障者抹殺論者にそんなことを教えてもらわなくてもとっくに承知なのである。問題なのは、じゃあ「丸や三角」もが縛られることになると困るような法運用が「角」に対してあったかどうかなのである。こちらはそれがなかったと主張しているのであり、角についてだけ法を曲げて有罪にせよなどと言っているのではない。さらに、裁判批判派は「丸や三角を縛る法が角を滅多に縛らない」という現実の方にはほおかむりをしている。どこの国でも金と権力を持っている人間が法の裁きを免れることはしょっちゅうある。この観点から考えるなら、ロッキード裁判は「丸や三角を縛る法がちゃんと角も縛るか」どうかの瀬戸際だったのである。つまりデタラメな裁判批判論に反論するのは「丸や三角を縛らない法で角だけ縛る」ことを目指すためでも、「角を縛った法で自分のクビを縛る」ためでもなく、「丸や三角を縛る法がちゃんと角も縛る」ことを願えばこそ、なのである。このような、議論の動機の部分でとんでもなくバイアスのかかった認識を持っているが故に、「裁判批判」批判の言説をすべて「検察の論理の代弁」としてしか理解できないのであろう。「丸や三角を縛る法が角を滅多に縛らない」という事態は国民の権利への侵害が放置されているということであり、国民の権利を護るためにこそ「丸や三角を縛る法がちゃんと角も縛る」ことを求めているのである。抽象的原理に溺れて現実をみない、小室信者らしい顛末ではある。法の下の平等という理念が踏みにじられているという現実に目をつむって抽象的な理念を議論するから、この理念を実現するためにこそロッキード裁判を擁護するというロジックが理解できないのであろう。
付記:しかも抽象的な議論としては筋が通っているというのならともかく、「後件肯定の虚偽」に代表される誤謬が散見されることはすでに示したし、渡部昇一については今後も明らかにしてゆく予定である。

全くの余談。「神保・宮台 丸激トーク・オン・デマンド」のフリーコンテンツで立花隆の講演(演題は「日本の運命 小泉の運命」)を以前に観たのだが、やたらと「ええっと〜」がはいる、到底弁舌さわやかとは言えない喋り方だった。きっちり原稿をつくっての講演ではなかったのだろうか。

Posted: 土 - 7 月 31, 2004 at 02:07 午後          

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