ロッキード事件の「謎」は陰謀説を裏付けるか?



ロッキード事件については未解明の「謎」がいくつかあること、これは陰謀説論者やロッキード裁判批判論者のいう通りです。トライスター売り込みをめぐる贈収賄事件については、全日空がトライスターの採用を決定してから5億円の授受が始まるまでに1年近くが経過していること、が「謎」の代表格です。
もちろん、裁判ではそれなりにもっともらしい答えがこの「謎」には与えられています。まず、ロッキード側はもともと賄賂を贈らずにすませたかったので丸紅から催促されるまでなにもしなかった。丸紅側では3人の被告がみな「ヤバいはなし」であることを自覚していたためだれもイニシアティヴをとろうとはせず、延び延びになっていた。結局田中側からの催促があって初めて支払うことになった…というものです。
これに対して、有力な推測として語られているのは次のようなシナリオです。実際にはトライスター売り込みにまつわる田中への賄賂は全日空ルートで問題となった「ユニット領収証」分の1千万円であり、5億円は実は対潛哨戒機P3Cの売り込みに関するものであった、というのです。この推測は、5億円授受の時期とP3C導入決定の時期とがよく符合すること、5 億円という金額の大きさともよく符合する(ビジネスとしては、トライスターよりP3Cの方がはるかに規模が大きかった)ことなど、単なる噂としては片付けられない説得力を持っています。

次に、ロッキード事件はマクダネル・ダグラス社、ボーイング社などもからむアメリカ航空機産業の国際商戦のなかで発生したスキャンダルであり、トライスター売り込みなどはその一部でしかない、という指摘です。これまたその通り。では、トライスター関連の事件だけが注目を浴びたのはロッキード事件がアメリカの陰謀だったからなのでしょうか? 結論を先に述べれば「陰謀説以外にも合理的な説明は可能であり、逆に陰謀だったとすれば腑に落ちない点がいくつもある」ということになります。

まず第一に、ロッキード絡みの疑惑以外はまったく顧みられなかった、というのは歴史的事実に照らして間違っています。ロ社の疑惑が最初に明るみに出たのは確かですが、アメリカのSEC(連邦証券取引委員会)はその後もダグラス社、ボーイング社の疑惑を引き続き調査していました。田中逮捕後の76年 12月にはボーイング社について、ロッキード裁判一審公判中の78年12月にはダグラス社について、それぞれ航空機売り込みにまつわる不正支払いがSEC から公表されています。後者は特に「ダグラス・グラマン事件」として日商岩井の幹部や国会議員が国会喚問を受ける事態に発展しています。アメリカからの捜査資料の提供を受けた検察の捜査も行なわれましたが、日商岩井関係者が刑事訴追されるにとどまりました。ロッキード事件との違いがアメリカの協力体制の違いにあったのだとするとなるほどアメリカ陰謀説の可能性が出てくるわけですが、他方で時効や職務権限といった法律上の壁、重要な証人の自殺、時の内閣の熱意のなさによって疑惑が十分に解明されなかったのだとすればアメリカの陰謀など関係ない、ということになります。ちなみに、ダグラス・グラマン事件発覚当時の内閣は、「角影」と呼ばれた大平内閣でした。

第二に、ロッキード事件以外の疑惑がアメリカの謀略により葬り去られたのだとすると、田中はトライスターの売り込み以外には関わっていなかったのだ、と仮定せざるを得ません。しかしながら、特に前述したP3Cについていえば、この仮定にはかなりの無理があります。P3C商戦が行なわれた時期から考えても、また小佐野がからんでいたことから考えても、もしP3C売り込みに絡んで不正があったとすれば田中もまた関わっていたと考えるのが自然です。だとすれば、トライスターよりP3Cにまつわる疑惑が暴露された方が田中にとってのダメージは大きかったでしょう。民間航空機、それも性能的にほとんど優劣のない3機種間での選定をめぐる不正より、それまで国産の対潛哨戒機を採用する予定であった方針を覆したP3C採用の方が「不正」としての悪質さははるかに上です。トライスター以外の疑惑には田中(および田中派の政府高官)はまったく関わっていなかったというのでなければ、疑惑の全容解明が達成されなかったことで田中は助かったのだ、と考えることもできるわけです(5億円授受の時期をめぐる「謎」は、P3C疑惑に目をつむる代わりにトライスター疑惑のなかに 5億円も組み込むという取引が検察・弁護側間にあったからだという説などは、この立場をとります)。

第三に、ロッキード事件がアメリカの陰謀だとすると、その中途半端さがなんとも解せません。なかでも田中派の番頭格であった二階堂進が結局刑事訴追を逃れたことは、田中が「闇将軍」として影響力を確保するうえで大きな意味を持ちました。また、田中の対中独自外交がアメリカを怒らせたのだとする説にしたがうなら、1978年の日中平和友好条約締結をアメリカが座視していたというのも解せないはなしです。

Posted: 日 - 10 月 30, 2005 at 12:36 午後          

Comments



©