新資料を読んでの雑感 その1
立花隆の『諸君』掲載インタビューと論文、および2ちゃんねるの過去ログについて
立花隆は『ロッキード裁判批判を斬る』の中で『諸君』に掲載された自身のインタビューおよび反論記事を何度か引用しているので、断片的にはこれまでも目にしていたわけであるが、今回初めて全文を読むことができた。
もちろん基本的な論旨は同じなのであるが、いくつか新しい発見もある。その一つは、裁判批判派にいわゆる人権派の法律家が加わっていることについての立花隆の分析である。石島泰氏については『ロッキード裁判批判を斬る』においても、次のような批判がある。石島氏は自由法曹団が全共闘系過激派学生の弁護を拒否して「暴力学生に人権はないのか」という批判を浴びた際、自由法曹団を代表して反論を書いている。そこで石島氏は過激派学生の政治的評価を切り離して抽象的な「人権」論を振りかざすな、という趣旨のことを書いているのだが、にもかかわらず田中角栄については「角栄にとどまらない、人権の問題」として裁判批判を行うのは「偽善欺瞞の人権論」ではないか、というものである。
他方、「立花隆の大反論」ではひとくちに法律家といっても立場によって議論が分かれる問題についての論じ方が違ってくる、という分析を行っている(28頁以降)。専門家の間でも見解が分かれる問題に関して、例えば学者であれば自説の優位を訴えるために少々強調を行ってもかまわない。まして弁護士の場合、被告人の利益と公益とを秤にかけるのではなくもっぱら被告人の利益を追求する立場であるから、「自分に有利なことばかり主張して不利なことには目をつぶる」といった過度な強調をしてあたりまえである(そのこと自体を非難しているわけではない)。他方、裁判官や検察官の場合はそうはいかない。と、おおよそこういう趣旨である。つまり、「この問題に対してはAという説とBという説がある。しかしわたしはBをとる」という主張を「Bが正しいんです」というかたちで語ることによって、読者をミスリードしている部分があるというのである。
実はこれに近いことを9月号のアンケート特集で猪木正道(イデオロギー的には立花隆より渡部昇一に近い人であろう)も述べている。『諸君』誌上で裁判批判を行っている弁護士は「被告の人権を守るためには、そして無罪をかちとるためには、何でもするという一部悪徳弁護士」のようなものであるとし、立花隆の「大反論」は「一番説得力に富んでいる」、「角栄裁判の裁判官は実に立派な訴訟指揮を行い、極めて妥当な判決を下した」としている。ただ、立花隆は「無罪を勝ちとるためには何でもする」のが弁護士としての良心のありか、と(少々揶揄まじりではあるが)も述べており、猪木の主張は「三軍の最高指揮官」に求められる倫理、という観点からもっぱら構築されている。
渡部昇一氏は法律家からの応援の手紙をいただいたといったことを書いているが、そもそも日本にどれほどの法律家がいてそのうちのどれほどが氏を支持しているのか。支持しているとしてそれは嘱託尋問調書に関する結論についてのみなのか、それとも論証方法も含めてなのか、また氏を支持している人の立場(弁護士、学者、裁判官…)やイデオロギーの分布はどうなっているのか…。こうしたことが明らかにならない限り、このエピソードは渡部氏の議論が日本の法曹会、法学会における通説であるということの証明にはならないのである。
また、田中が被告人としての権利を侵害されているどころか、並の被告より遥かに優遇されているとする根拠として、「一審判決の下った後、通常の被告人だったら即収監です」(ところが田中はそうではなかった)、という例を挙げている。
Posted: 木 - 7 月 29, 2004 at 06:00 午後
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