刑訴法282条2項による立会制限と刑訴法321条1項の両立可能性を示す判例について
コメント欄で急報したものを記事として再編集。その他。
刑訴法228条2項に基づき、被告側の立会を認めなかった証人尋問の調書の証拠能力に関して、次のような判例を発見した。ソースは最高裁判所判例調査会刊の『最高裁判所裁判集(刑事)主要裁判例要旨集』の「刑事訴訟法編(一)」、325−326頁である。昭和四八(あ)一七五九、最判五〇・三・二五(第三小法廷)刑訴法二二七条、二二八条に基づき、被告人及び弁護人に立会の機会を与えることなく証人尋問調書が作成されたのち、当該証人が死亡したため、第一審が、検察官の請求により、同法三二一条一項一号により右証人尋問調書を証拠として採用したため、結局、被告人には証人尋問調書について証人を反対尋問する機会を与えられずに終わったとしても、憲法三七条二項、三項に違反するものでないことは、最高裁判所の判例[判例の列挙を省略]の趣旨に照らし明らかである。判決中で援用されている判例の判例集巻号頁はそれぞれ「三・六・七八九」、「四・一〇・一八六六」、「六・四・五八四」。なお、最高裁のホームページで検索できる「最高裁判例集」はすべての判例を収録しているわけではないので、最判五〇・三・二五が検索できなくても「解せない」ということはない。また、『最高裁判所裁判集(刑事)主要裁判例要旨集』の記載は上記の引用の前に「【刑訴法二二七条一項二二八条二項に基づき被告人及び弁護人に立会の機会を与えず作成された証人尋問調書を同証人の死亡を理由に同法三二一条一項一号により証拠として採用することと憲法三七条二項三項】」という見出しがついているだけなので、同書をあたられてもこの判例の存在自体は確認できるが、それ以上の情報は得られない。念のため、申し添えておく。さて、牛犬氏は前回の記事へのコメント欄で、最判五〇・三・二五が援用した3つの判例について検討しておられる。前回、免責の有効性に関して、最高裁の判決を盾に立花隆や一、二審の判事の「議論が間違いであることは証明する必要がありません」とおっしゃった方にしては解せないことである。むろん、最判五〇・三・二五の存在とその内容を自分で確認するまで結論はペンディングしたいとおっしゃるなら、それはもっともなはなしで私にも異存はない。しかしこの判決の存在を前提とするなら、もはや牛犬氏がご自分の説を擁護するには321条1項1号と同3号との違いを論点とするしかない。そして「228条2項に基づき被疑者側の立会を排して作成された証人尋問調書を、刑訴法321条1項3号によって証拠とすることは憲法37条に違反する」という意見ではなく、「228条2項に基づき被疑者側の立会を排して作成された証人尋問調書を、刑訴法321条1項3号によって証拠とすることは憲法37条に違反しない」という意見こそが過去の最高裁判決をふまえた場合に素直に導かれる意見であるということが明らかになれば、それ以上大野判事の補足意見について当ブログで議論する意味はなくなる。牛犬氏が最判五〇・三・二五を批判して大野判事の補足意見を支持されるのはかまわないが、それはロ裁判批判論や立花隆の反論の妥当性という問題からは逸脱した議論になるからである。さて、「相対的不可欠性」と「絶対的不可欠性」の問題についても牛犬氏は再反論を予定しておられるとのことである。それをお待ちしてもよいのだが、せっかくの機会なので論点の整理のため付言させていただく。8月28日付けでHTML化してアップロードさせていただいた牛犬氏の議論における5つの「確認事項」に対して、私はその4番目が間違っているために結論にあたる5番目も間違っているのだと主張した。つまり牛犬氏は「相対的不可欠性」を「構成要件、違法性、有責性のすべてを証明するために不可欠なわけではないが、そのうちのいずれかを証明するには(絶対的に)不可欠なもの」と解釈し、この解釈に基づいて立花隆の議論は矛盾している、と主張されているわけである。うえの解釈が「相対的不可欠性」の可能な一つの解釈であることは確かだが、それは唯一の解釈ではないし、また立花隆が意図した解釈でもない。立花隆は(ロッキード事件の場合違法性と有責性が問題になる余地はないことを前提として)構成要件の証明に対して嘱託尋問調書は「相対的不可欠性」をもつと述べているのである。したがってこの場合の「相対的不可欠性」とは、「それがなければ有罪判決が下せないというほどの不可欠性ではないが、321条1項3号の要件を満たす程度には不可欠」というものでしかあり得ない。「相対的不可欠性」という日本語をパラフレーズするなら、「ある観点からは不可欠であるが、別の観点からは必ずしも不可欠ではない」ような不可欠性、ということになる。立花隆の用法も立派にこの意味での「相対的不可欠性」足りうるのである。したがって、構成要件に加えて違法性、有責性を問題にする議論は立花隆の議論を評価するうえで意味がないことを再確認させていただく(嘱託尋問調書の内容から考えても、違法性や有責性といった論点は無関係である)。さて立花隆のこの点に関する主張にはいかなる「矛盾」も存在しないので、残る問題はこのような解釈が321条1項3号の解釈として正しいのかどうか、あるいは嘱託訊問調書がなくても有罪判決は書けるというのが本当であるかどうか、である。後者については最高裁判決が「本当である」と認めているうえに、牛犬氏の関心はおそらく前者にあると思われる。したがって私が理解する限り、この問題に関して実質的に残っている論点は3号書面の「不可欠性」要件の解釈に関わる、前者の問題だけである。なおこれに関して、私は立花隆が田中弁護団のメンバーの著書を援用して行った反論があることを紹介しておいた。『論駁』(『ロッキード裁判批判を斬る』)の第49章である。
Posted: 金 - 9 月 10, 2004 at 10:30 午前
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