興味深い「オのつくあれ」戦評
・
maroon_lanceの日記 「GONG格闘技10月号」・constructive
monologue 「虚勢の闘将」先日のエントリで書いたように私はいかなる競技のいかなる試合も観てはいないので、自身の判断として上記2エントリの戦評の当否を言うことができる立場にはないし、特に格闘技とか武術については十人並みの関心と知識しかないので
maroon_lance
さんが紹介しておられる記事の当否は、たとえ試合を観ていたとしても判らないかもしれない。ということを前提したうえでだが、異なる二つの競技において「実態と乖離した自己イメージの呪縛」が見られたのだとすると、なかなか興味深いことだと思う。単にスポーツ界にとどまらない含意をもつのではないだろうか。『GONG格闘技』10月号の当該記事を信じるなら、自己イメージと実態との乖離は「欧米対日本」という構図の下で生まれるステレオタイプ的な日本(人)像に日本柔道関係者自身が縛られているところにその一因があるのではないか。同様なステレオタイプはプロ野球中継の解説を聞いていればいやというほど耳に入る。なにしろロブ・ディアーのような選手とオマリーのような選手(ちょっと古いけど在籍時期が重なっていてあまりに対照的なので)を一括りにして「外国人だから・・・」とする論評(「外国人には初球にストライクを投げたらあかん」云々)が21世紀になってもまかり通っている世界である。昨今珍しくなくなった台湾、韓国人選手も、古くから日本プロ野球を支えてきた在日韓国・朝鮮人選手も「外国人」なのだが。実際のところ、日本が「お家芸」だと思っている「細かい野球」もその起源はアメリカにある。当たり前だけど。巨人が導入した「ドジャース戦法」然り。パ・リーグに細かい野球を伝えたのもドン・ブラッシングゲームやダリル・スペンサーではなかったか? ほとんど人種主義といってもよいのではないかと思えるほどの「体格差」へのこだわりが日本野球の可能性を狭めているような気がしてならない。
Posted: 金 - 8 月 29, 2008 at 10:01 午後
Comments