「自虐」と「憂国」?
【正論】「8月15日」 東洋学園大学准教授 櫻田淳MSN産経ニュース 2008.8.15
(・・・) ただし、進歩主義思潮の後退の後に浮上したのは、別種の観念論ではなかったろうか。筆者は、「あるべき日本」を頭の中だけで思い描き、それに向けて社会を導くというスタンスの言論を好まない。(・・・) けれども、戦後の歳月に生まれ育った人々が、三島や福田の言説を真似(まね)しつつ、戦後の歩みに冷ややかな眼差(まなざ)しを向け、自らの体験とは無縁の「古き良き日本」の風景を恋慕するならば、それは、観念論の趣を濃厚に帯びることになる。 「輝かしき共産主義社会」を夢想した往時の人々と「古き良き日本」に想(おも)いを寄せる現在の人々には、性格の差異はないのである。(・・・) この肯定の感情こそが、「自信」と「心の安らぎ」の基盤である。そして、筆者が左翼層の「自虐」論にも右翼層の「憂国」論にも距離を置いているのは、こうした「自信」と「心の安らぎ」が双方の議論に感じられないからである。(・・・)「あるべき姿」を未来に投影して現在を否定するのが「自虐」で過去に投影して現在を否定するのが「憂国」だ、なんてのは別に日本語として定着したよう方じゃないですよね? 逆でもいいんじゃないの、逆でも?あと、「しかし、日本は、過去の様々な困難を踏み越えながら、少なくとも千数百年の時間を刻んできた」なんてのも「観念論」の臭いがぷんぷんするんですが。
Posted: 金 - 8 月 15, 2008 at 10:17 午後
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