「ナイーブ」なのは「彼女たち」なのか?(追記あり)
追記部分は末尾に
「ユークリッドのかの美しき第一命題!」亀が夢見心地でつぶやいた。「ユークリッドを敬愛しておいでで?」「熱情的にな! 少なくとも、今後数世紀のあいだ日の目を見ることのない論文を崇拝しうるかぎりにおいてだ」「さて、それでは、その第一命題の論法をほんのちょっぴり取りあげましょう。--ほんの二前提、そしてそこから引き出される結論です。どうぞノートにご記入ください。それから、言及するのに都合のいいように、それぞれを(A)、(B)、(Z)としておきましょう。(A)--同一のものに等しいものはたがいに等しい。(B)--この三角形の二辺は、同一のものに等しい。(Z)--この三角形の二辺はたがいに等しい。 ユークリッドの読者なら解するでしょうが、(Z)は(A)と(B)から論理的に導かれ、それゆえに(A)と(B)を真と認める者なら誰しも(Z)を真と認めなくてはなりませんね?「むろんだ! ハイスクールのどんな幼児(おさなご)だって--ハイスクールが創案されるやいなや、もっともまだ二千年ばかり先のことだが--そんなことは了解するだろう」「そこで、もしある読者がまだ(A)と(B)を真と認めずにいるとして、それでも〈結論〉を正しいと認めることもあるでしょうね?」「むろんそういう読者もいるかもしれん。そういう男ならこういうだろう、『わたしは、もし(A)と(B)が真なら(Z)が真でなければならないという仮言的命題を真と認める、しかしわたしは(A)と(B)を真と認めない』とな。(…)」「それに『私は(A)と(B)とを真と認めるが、仮言的命題は認めない』という読者もいるのではありませんか?」「もちろんいるだろうな。(…)」(…)「そこでですね、このわたしを第二の類いの読者と考えていただき、(Z)を真と認めるよう論理的に強制していただきたいのです」(…)「おまえに(Z)を認めさせるのだな、わしが?」アキレスは思惑ぶかげにいった。「お前の立場は(A)と(B)を認めるが、仮言的命題…」「それを(C)としましょう」亀がいった。「しかしおまえは認めないのだろ、(C)--(A)と(B)が真であるならば、(Z)は真でなければならないという仮言的命題を」「それがわたしの立場です」亀がいった。「するとわしはお前に(C)を認めてもらわねばならん」「認めるつもりです」と亀がいった。「それをあなたのノートに書き入れてくださったらすぐに。ほかに何が書いてあるのです?」(…)「ちょいと覚え書きがしてある--おれが手柄を立てた戦(いくさ)のかずかずのな!」「ずいぶん空白があるじゃありませんか!」亀が陽気にいった。「全部必要になりますよ!」(アキレスが身ぶるいした)。「さて、いうとおり書きとめてください」(A)--同一のものに等しいものはたがいに等しい。(B)--この三角形の二辺は、同一のものに等しいものである。(C)--(A)と(B)が真であるならば、(Z)は真でなければならない(Z)--この三角形の二辺はたがいに等しい。「(…)おまえが(A)と(B)と(C)が真であることを認めるなら、(Z)を認めなくてはならん」「それはまた、どういうわけで?」「論理的にそうなるからだ。(A)と(B)と(C)が真であるならば、(Z)は真でなければならぬ。それには異論がなかろう?」「(A)と(B)と(C)が真であるならば、(Z)は真でなければならない」亀は考え考え繰り返した。「これまた仮言的命題じゃありませんかね? わたしがその真たることを理解できなければ、(A)と(B)と(C)を認めて、しかもなお(Z)を認めなくてもよろしいでしょう?」「いいだろう」気さくな英雄は譲歩した。「もっともそうまで鈍いとなれば呆れ返るほかないが。とはいっても、それはありうることだ。それでわしはおまえにもうひとつ仮言的命題を認めてくれるよう頼まねばならん」「けっこうです。快く認めましょう。書きとめてくださればすぐに。こうしましょう、(D)--(A)と(B)と(C)が真であるならば、(Z)は真でなければならない。ノートに書き込んでくださいましたか?」「書いたぞ!」アキレスは嬉々として声をあげ、鉛筆を筆入れにおさめた。「やっとこの理想の競争路の終点にたどりついたか! おまえが(A)と(B)と(C)と(D)を認めるからには、むろん(Z)を認めるわけだ」「でしょうか?」亀は屈託なくいった。「そこをはっきりさせませんか。わたしは(A)と(B)と(C)と(D)を認めます。それでもなお(Z)を認めないとしたら?」「ならば〈論理〉がおまえの喉元をひっつかんで、いやおうなしにおまえに認めさせるだろうよ!」アキレスが勝ち誇ったように答えた。「〈論理〉がおまえにこういう、『仕方がないんだ。(A)と(B)と(C)と(D)を認めたからには、(Z)は認めねばならんぞ!』だからおまえはどうしようもないわけだ」「いやしくも〈論理〉が親切に教えてくれることなら、書きとめる価値はありますな」亀がいった。「ですから、どうか書き込んでいただけませんか。こうしましょう。(E)--(A)と(B)と(C)と(D)が真であるならば、(Z)は真でなければならない。それを認めるまで、むろんわたしは(Z)を認める必要はないわけです。ですから、それは必要な段階ですよね?」「なるほど」アキレスはいった。その口調はちょっぴり悲しげだった。*関連エントリがさらに増えているようなのだが、読んでばかりいるといつまでたっても書けないので…。というわけで論点とか被っていたら済みません。http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080523/p1http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080522http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080523/p1あたり経由で、http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127について、です。仮に私がリソースの「合目的的な最適配分」とか「トリアージ」について講義をしたとしてですね、「それを「戦略性」とでもいうのでしょうか?」といってくる「男子学生」がいたら、確かに「はなしをちゃんと聞いていたな」とは思いますが、必ずしも「自分の頭で考えたな」と評価するとは限りませんね。だって、はなしをちゃんと聞いていれば言えることでしかないですからね(さしあたり、ことばになっている部分だけから判断する限り)。他方、「かわいそうだ」と反応したとされる「女子学生のかなりの部分」**
は、例えば「医療資源の配分を間違えると、助かる人も助からなくなることがある」ってことが理解できない「バカ」なんですかね? そりゃ当の学生さんと直接はなしをしていない人間があれこれいうのもなにかもしれませんが、そんなに難しい理屈じゃないですよね? しかし(A)--より多くの人を救うには、医療資源を適切に配分しなければならない(B)--医療資源の適切な配分のためには、目の前の患者pを放置しなければならない(Z)--私は(あるいは、あなたは)目の前の患者pを放置しなければならない(A)と(B)を真と認めるなら(Z)を真と認めねばならない、という思考はもう一つの「仮言的命題」を前提しているわけです。それこそがまさに「経営学」の暗黙の前提です。もちろん、学部の授業なんて各ディシプリンの「仮言的命題」をまずは飲み込んだうえで受けるべきだ、という考え方はあるかもしれません。しかし教師の側、ないし研究者の側はどうなんでしょう? 例えば、次の一節。「そんな重傷者をもう助けないなんてレッテルを貼るなんて、人権侵害じゃないですか?」と書いてきたお嬢さんもいた。そりゃあ、この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。浅学非才故に誤解していたら申し訳ないのですが、経営学が大いに依拠しているところの「市場原理」というのは、個人が「全体や組織から見た最適」なんてものを正しく表象し得ないこと、また表象する必要もないことを前提としているんじゃありませんでしたっけ? 百貨店がビジネスモデルを変えるとすればそれは別に市場全体から見た最適を目指すからじゃないですよね?さて、例えば進化心理学的な観点(例えばこれのような)から、「かわいそう」という反応を「ホモ・サピエンスが(あるいはホモ属が、等々)進化させた道徳感情システムと、近代社会という生息環境との齟齬」に由来するもの、なんて分析してみることができるのかもしれません。個人的には、こういう進化論的な分析の試み自体は大好きなのですが、他方進化心理学(ないしその通俗版)がしばしば「人間の本性に逆らうような制度をつくったってダメなんだってば」という結論によって保守のモラルを正当化するのに利用されていることを苦々しく思ってもいるので、これはちょっとした皮肉にもなります。進化心理学を制度設計におおいに活用すべし、という立場の人が今回のような事例をどのように扱うのか、興味あるところです。*
ルイス・キャロル(柳瀬尚紀編訳)、『不思議の国の論理学』、河出文庫(現在はちくま学芸文庫より刊行されている)、17-22ページ。ルビ、丸囲みアルファベットなどの表記を改め数字表記を統一したほか、文意が明確になるよう訳文を一部修正した。**
私だったら、学生の見解に性差があるという主張を含意するような表現は、複数の(いわゆる偏差値ランクの異なる)大学、異なる学部で一貫した経験をしたうえでなければ、ちょっと使おうとは思いませんが。むろん、その場合でも、一見すると「性差」に見えるものが実は別のパラメーターで決まっているという可能性があるからです。追記:ご本人はコメント欄でこんなことおっしゃってます。正直、知識・知恵からそれなりに考察を深めることではなく、「無難な感想」を言っていれば咎められはしない、そういう環境に適応してしまったのではないかと思っています。学生たち自身にとって、非常に不幸なことですね。私には「それを「戦略性」とでもいうのでしょうか?」というコメントこそ「無難な感想」にしか思えないのですが。実際、すげー無難じゃん。再追記:関連エントリのブクマコメントより2008年05月25日
superfrill
多くの人間が長い時間をかけて積み上げてきたものよりも、自分の感情が絶対的に正しいと思える無邪気さ。http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toled/20080523/p1ブクマコメでもちょっと書いたんだけど。「トリアージ」って発想はたかだか200年の歴史しかないわけですよ。他方、「かわいそう」という「感情」について言えば、それを進化の産物と考えれば(少なくとも部分的にはそう言ってよいと思えるのですが)十数万年、あるいは数十万年、あるいはそれ以上の時間をかけてできたものということになります。まあ「積み上げてきた」というよりは「積み上がってきた」と言うべきでしょうが。また、思想史のはなしに限定したとしても、トリアージの10倍くらいの歴史があるかもしれませんよ。あなたたちのうちの誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹を失ってしまったとしたら、九十九匹を荒野に打ち棄てて、失われてしまったその〔一匹〕が見つかるまで、それを求めて歩いて行かないだろうか。(ルカ:15.4)もうひとつ。2008年05月25日
sor_a
「「かわいそう」だってなにごとかをなにがしかは「解決」する」(id:Apeman氏)の「なにごと」と「なにがしか」が知りたい.そこが分からなくて無茶苦茶悩んでるんでhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080524/p6それならブクマコメントではなくここのコメント欄で言ってもらった方が…。だって、ブクマコメントにトラックバックは送れませんからね。
Posted: 土 - 5 月 24, 2008 at 11:34 午前
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