法廷で遺体写真公開?



「見せる法廷」遺体写真も 裁判員制度へ福岡地検が試行
asahi.com 2008年05月01日03時03分

 福岡地裁で30日に開かれた殺人事件の初公判で、検察側が事件直後の現場や遺体、致命傷になった傷口などの証拠写真を、プロジェクターで法廷に大写しにした。来春始まる裁判員制度を見据えた「見せる法廷」の取り組み。制度開始に向け、さらに証拠の示し方などを検討するという。
(…)
 検察側は傍聴席に向けたモニターに、大量に出血して倒れた男性の遺体や首の傷口、血痕の写真などを次々に映写。犯行状況を詳しく再現した。論告では、現場状況を「血の海」と表現し、「残忍極まりない犯行」として懲役14年を求刑した。
(…)
 福岡地検は「裁判員は事実認定だけでなく、量刑判断も担う。起訴状の『刃物で切りつけた』との文言だけでは伝わらない悲惨な実態を伝えようとした。今後も、どの証拠をどの程度まで示すか検討を重ねたい」と話している。

 法廷取材を続ける作家の佐木隆三さんは「裁判員に強い印象を残す点で検察側には有効な手法だろう。厳罰化への懸念など、裁判員への影響を考え、証拠として写真を示すことに慎重な意見もあるが、裁判官と裁判員は対等な立場で評議すべきだ。見るに堪えないものも見ることが、裁くことの重みだ」と話した。

「見るに堪えないものも見ることが、裁くことの重みだ」という佐木隆三のコメントについて言えば「ごもっとも」なのだが…。
法医学については一般向けの啓蒙書を数冊読んだことがある程度なので、あくまで素人の素朴な疑問の域は出ないという前提でのはなしだが、犯行現場の陰惨な印象と犯行それ自体の残虐さとが必ずしも一致しない、ということはあるんじゃないだろうか? この事件の場合「血の海」と表現された犯行現場の陰惨さを写真で強調したものと思われるが、例えば大量出血を招かないような殺害方法を冷静に選択して実行した場合の方がむしろ残虐性(ないし悪質さ)は高い、と考えられないだろうか? もちろん、捜査や裁判に関わる専門家はそんなことは百も承知なのだろうが、安易に「わかりやすさ」を追及してゆくことがかえって裁判員をミスリードするおそれはないのだろうか? 弁護側が適切な弁護活動を展開すれば問題にならない? しかし、裁判員制度の導入にともなう刑事訴訟法の改正時に日弁連が主張していた、検察官手持ち証拠の「事前全面開示」は採用されなかった。検察の「証拠隠し」が弁護活動の障害になっていることはしばしば指摘されてきたことである。また、こんなケースもあった。

偽札事件の警官メモ「ない」、検察が開示命令に従わず
 
  取り調べの際、警察官が備忘録として記録した取り調べメモの証拠開示が問題となった刑事裁判で、メモの開示命令が最高裁で確定したにもかかわらず、検察側が「メモは存在せず、開示には応じられない」と弁護側に回答していたことが分かった。

読売新聞、08年1月23日。YOMIURI ONLINE にはすでに存在しないので、現在別件で有名になっている今枝仁弁護士のブログから孫引き。取り調べ過程の録画についても言えることだが、強制的な手段で捜査を行なえる検察側が、証拠の収集という点で弁護側を圧倒しているのは当たり前である。また有罪の立証を迫られる立場にある検察に、そうした証拠を収集するための強制性をもつ手段が与えられるのも当然ではある。しかしながら、国家権力を発動して収集した証拠のうち検察に都合の悪いものは「出せません」「ありません」ですんでしまうようでは公正な裁判は望めない。いくつかの冤罪事件はそのことを明らかにしてきたはずである。



Posted: 木 - 5 月 1, 2008 at 07:28 午前          

Comments



©