古代史についてのニュース二題
私もリア厨の頃は人並みに邪馬台国論争の本を読んだりしたものですが、その後日本の古代史には関心をほとんど持ってなかったもので、どの程度の信憑性と射程をもつ記事なのかよくわかってないところもありますが。弥生の始まり、なぜ誤った? 東大研究室が検証asahi.com 2008年02月09日11時11分 弥生時代の始まりをめぐり、東京大考古学研究室の教員と学生たちが3年にわたり取り組んできた検証研究が報告書にまとまった。加速器質量分析法(AMS)の測定データが示した、弥生の起源は紀元前10世紀までさかのぼるとの見解を考古学的に検証すると同時に、長い間、考古学者たちが早くとも前5世紀ごろと考えてきた背景に迫ろうとの作業だ。「私たちはなぜ間違えていたのだろう」といった自問自答もかいま見える。
03年5月、弥生時代の始まりが約500年古くなると国立歴史民俗博物館の研究班が発表するのを聞きながら、東大の大貫静夫教授は納得ができたという。頭に浮かんだのは約40年前に北朝鮮で発表された報告書だった。「AMSが初めて指摘したのではない。なぜ気づかなかったかを明らかにしない限り次の研究は始められない」と感じた。(後略)週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像TOKYO
Web 2008年2月10日 実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。(…) 誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。 太子像が創作・捏造となると、誰が何のために、その源となった日本書紀とは何かが、古代社会解明の焦点になるのは必然。そのいずれにも重大な役割を果たしたのが持統天皇側近の藤原不比等というのが大山教授の説くところ。長屋王や唐留学帰りの僧・道慈が関与、多くの渡来人が動員されたというのです。(…) 日本書紀が展開した思想と論理は千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。憲法と皇室典範は「皇位は世襲」で「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定めています。 しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。後者のニュースについてですが、古代の人物になると「なにをもって“実在した”と言えるか」という問題はけっこう難しいです。ほとんどの聖書学者はナザレのイエスが「実在」の人物であることを疑ってないわけですが、イエスについて記憶され書き記されたことの多くは虚構であるわけで、「史実として認められるのは、用明天皇の実子または親族に厩戸(うまやど)王が実在し、斑鳩宮に居住して斑鳩寺(法隆寺)を建てたことぐらい」(記事の中略部分)ならある意味では「実在した」と言ってもよいように思いますが、まあ私の世代の人間が学校で習ったことがひっくり返ったことに変わりはありません。南京事件否定論者の発言をみていると中国の歴史研究がいかに政治に制約されているかを強調するケースが多く、それはそれで(程度はともかくとして)事実であるのですが、日本の歴史学がどれだけ「政治」から自由だったのか…を考えてみることも必要なのでしょう。なにしろ天皇陵の調査すら自由にはできないわけですから。
Posted: 日 - 2 月 10, 2008 at 10:04 午後
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