負け猫の遠吠えがニャオーンと聞こえる夜
孤高氏にケツを拭け、と言われたにもかかわらずしばらくケツにウンコつけたまま歩き回ってたんだから、トラックバック送るくらいの仁義は切っておいてよかったんじゃないですかね。で、感想ですが、とりあえずあなたの「脳内サヨクシミュレーター」はまだβ版と称するのもおこがましい段階で到底納品には耐えないから、納入業者(よしりんのこと、ね)に突っ返した方がいいと思います。少なくとも、野良猫氏の自称「脳内サヨクシミュレーター(Ver.0.81a)」によれば、私はサヨクではないことが判明いたしました。やったねパパ、明日から僕も愛国者だ!「東京裁判史観」を主張してきた人達が「裁判内容自体で議論するのはまずい」ということで、第11条の問題にスライドさせたもののようだ。(慰安婦問題の時、スターリン政権のような『人狩り強制連行』を述べていたはずなのに、いつしか『強制性の有無』に話がすり替わっていた時と同様)。「東京裁判史観」を「主張」してきた人間がいるというのならぜひ実例を示してもらいたいものだが(笑)、のっけから妄想爆発。「スターリン政権のような」ってどういう意味よ? どうせなら「南京で虐殺なんてなかったと述べていたはずなのに、いつしか「合法的な便衣兵の処刑だった」に話がすり替わっていた時と同様」とすればよかったのに。あなたの得意分野でしょ?かつては漠然とした「日本悪玉論」が流布されていたものだが、それが「ゴー宣」などをきっかけにして読者からの再検討が始まるようになり歴史を知らないにもほどがありますね。この人の脳内では「大東亜戦争肯定論」は小林よしのりとともに始まるらしい(笑) 右翼が怒るよ! そこで「南京事件」のような個別ケースを出してきて「これなら日本の悪を認めざるを得まい」と目論んでみたが、それも当時の史料がネット上で広く知られるようになると素直には受け入れられなくなってくる。「当時の資料」というのは、「俘虜○○名処分」などと書かれた日本軍の戦闘詳報とか陣中日誌のことですよね? そんな事情からか、最近は「東京裁判に多くの落ち度があった事は事実だが、日本に多くの裁判によるメリットがあった事も否定できない」というようにトーンダウンしている傾向も見られる。「東京裁判に多くの落ち度があった事は事実だが、日本に多くの裁判によるメリットがあった事も否定できない」なんて、戦犯裁判の最中からあった見方ですが! 歴史を知らないにもほどがある。 現在発売中のSAPIO(9/27号)に掲載されている「ゴー宣・暫」について論争めいたものになっている。そう。論争「めいたもの」にしかならない理由は…。極東軍事裁判の検察側の主張と正当性を日本政府が受け入れた……と考えたい側は「裁判」と訳し、裁判に同意したのではなく判決の結果のみを受け入れたとする側は「諸判決」と訳している。へぇ。私は「裁判」でも「諸判決」でも、どっちでも構わないと思ってますけどね。 これに関しては、法律用語と一般用語の違い・翻訳などで説が分かれているようだ。自分なりに考えてみた限りでは「数々の裁判結果」と呼ぶのが近いかもしれないと思う。わあぉ! 「裁判結果」の「結果」の部分が重要ですからね、みなさん。注目してくださいね! そこで、復興と独立を急ぐ日本はそうした諸条件を飲んだ上で、連合国側の出した条件をクリアーする形で戦犯の釈放にこぎつけるという選択肢を選んだ。 これは圧倒的な国民の支持の元に実行されていて、今回の「ゴー宣・暫」にも載っているように「歴史解釈権」を取り戻すべく、当時の政治家と国民が奮闘していたことがよく解る。ふむふむ。「そうした諸条件を飲んだ上で」が「圧倒的な国民の支持の元〔ママ〕に」実行されたわけね。 また、この第11条では「裁判を受諾し……」と記されていますが、その当時の外務省職員が「判決(the
judgements)が裁判(trial)」と誤訳したと言う話もある。「判決(the
judgements)が裁判(trial)」? 意味不明です…。また、戦犯の名誉回復も果たしている以上、敢えて廃棄したりする必要性も感じていない。みましたかみなさん? さりげなく「名誉回復も果たしている」を潜り込ませるこの手法! いつどこで「名誉回復」がなされたのか? と尋ねるのは気の毒なので…どんどんやってあげましょう。 このように、日本側は戦勝国側から戦犯の刑の執行を続ける義務を課せられはしたが、「東京裁判史観」のような特定の歴史観を受け入れる義務などは課せられてはいない。この問題に関して私がはてな別館で書いたエントリは、残念ながら野良猫氏の目にはとまらなかったようです。条約というのはそもそも国家間の権利義務関係を定めるものであって、「歴史観」のような、そもそも国家(少なくとも思想信条の自由が保障された近代国家)が所有するとは想定されないなにものかについて規定するものではありません。 その結果、靖国神社に合祀できない理由はどこにも無くなり、現在に至っています。あ〜、現在の憲法の下では、宗教法人としての靖国神社が誰を祀ろうがそれは私的領域の問題ですから、もともと「靖国神社に合祀できる理由」とか「合祀できない理由」なるものは靖国神社が勝手に考えればいいことですね。私が知る限り、「靖国神社はA級戦犯を合祀できない」と主張している人間はいません。合祀するのはおかしい、と主張している人間ならいますが。というわけで、「合祀できない理由はどこにも無くなり」という一節はまったく無意味です。現在の日本国憲法の下では、「A級戦犯を合祀できない理由」などというものは、靖国神社の私的な都合を別とすれば金輪際存在したことがなかったからです。もっとも、東条英機元首相に言わせれば「合祀できない」ということになるのかも知れませんが…。 ここでのポイントは、当時の保守政権が民意を無視して戦犯を釈放したり、名誉回復をした訳ではないという事。そして、連合国側が提示した条件をきちんとクリアーして彼らの承認の元に釈放にこぎつけたという事。ここでのポイントは、条約の解釈を変更するには国内の民意を尊重するだけでは十分でないこと、名誉回復はそもそも実現していないこと、そして連合国が同意したのは服役中の戦犯の赦免(のみ)である、ということです。 そして、法的な刑務を終えられた元戦犯にとっては、法的な意味でのABCという戦犯上の区別はこの時点で消滅しているというところです。その「リベラル」な態度をぜひ刑事犯罪における元服役囚についても貫いてくれるとうれしいですね。 さらには、日本が国連に加盟を承認された第11回国連総会には、日本代表として出席して演説まで行っています。もちろん「彼らは元戦犯なのに閣僚になるとは」というような批判などはされませんでした。そもそも重光葵のケースは特殊すぎて一般化できないのですが、いまの日本では実刑判決が確定し服役した人間も、刑期満了から10年経てば被選挙権を回復して国会議員に(そして閣僚にも)なることが法的には可能です。だからといって「かつて有罪判決を受け、服役した」事実が消えてなくなるわけではないんですけどね。 中国共産党はサンフランシスコ平和条約に調印していないし、韓国・北朝鮮ともに戦争当事国でもないのだから、日本側に何かを主張する資格などはありません。このあたりは「何かを主張する法的な資格」と「何かを主張する道義的な資格」とを混同しているわけですね。別のいい方をすると、何かを主張するのに特段の「資格」はいりません。その主張が受け入れられるにはそれなりの「資格」が必要でしょうが。ただし、日中国交回復によって日本は中華人民共和国を正統政府として認めたわけですから、中国に関する限り法的な意味に限定しても「何かを主張する資格などありません」と日本政府が主張できるかどうか、大いに疑問ですね。 この条文によって連合国側が得るメリットはほとんど無い。あるとすれば、植民地支配に打撃を与えた日本人への復讐心くらいだろう。ふうん。メリットがないならそもそも要求しないはずですが? 中華民国とアメリカは日本のせいで植民地を失いましたか? イギリスやオランダについてはそうした動機があった可能性を否定しませんけどね。 おそらくは、「加害者と被害者」という関係が固定化されてしまっていて、再検証や論理の再構築をしない人が居るらしい。おそらくは、「俺たちは悪くない、俺たちこそが被害者だ」という関係が固定化されてしまって…と言ってもいいのですが、それ以前に「日本は戦争に負けた」という異論の余地のない事実を受けいれようとしないひと、そしてそうした現実の否認に基づいて法解釈まで枉げようとする人がいるらしいです。 昔は「裁判・諸判決」といった区分など意識しなくても、東京裁判が戦勝国側の政治的な都合で押しつけられていた事を誰もが知っていたから「裁判を受諾した」という表現でも議論などにはならなかった。これはケッサクです! 戦後間もなくの日本人のせいにしようというわけですか! 当時の日本が戦犯を「赦免」としたのは、サンフランシスコ第11条に沿った形で連合国の承認をとって実現したからで、政治的にも法的にもここで決着はついている。「赦免」に関して法的には決着がついている、ということに異議を唱えている人間は私が知る限りいませんが? 「赦免」を勝手に「名誉回復」にしてしまっている人間なら知ってますが。 つまり、日本側は「諸判決」を受け入れつつも再独立と戦犯の名誉回復をはたし、対する連合国側は「裁判」を認めさせる事で、戦勝国側の「建前」を守らせて政治的な「手打ち」とした。惜しい! 「名誉回復」のところを「赦免」と直せば、ほとんど私が書いてもおかしくない文章です。日本政府と連合国のあいだに「解釈」の違いがあるとは思いませんけどね。 そうした政治上の流れを無視して「法律的には戦犯は罪人には違いない」とする主張には、あまり意味がないと思います。もともと、政治的な都合が優先されて始まった裁判について、法律論だけで判断しようというのに無理があるからです。ふむ。「A級戦犯」というのが政治的な評価なのだとすると、いくら「法的には解決済み」と主張しても意味がないと思います。その政治的評価が国際社会で覆らない限り。政治家の仕事は直面する諸問題を自国が有利になるように解決する事であって、本人の思想などは本来あまり関係が無い。彼らが持っている価値観や知識が選択肢に影響を与える事もあるだろうが、それをあからさまにする必要などはどこにもないはずだ。つまり、「(国家の)選択肢に影響を与える事もある」個々の政治家の「思想」について有権者は情報を与えられる必要はない、と! 有権者は候補者の家柄や顔で選んで投票すればいいということですかな?「歴史解釈権」は独立国が持つ権利であるから「東京裁判史観」に捕らわれず、東京裁判の問題点なども盛り込んだ日本史の教科書なども広めていく。「歴史解釈権」などという耳慣れない「権利」を振りかざすプロ市民的手法がなかなか微笑ましいですなぁ。しかもその権利の主体が個人ではなく「独立国」とは! え〜、独立国が歴史解釈権を持つ、という主張の根拠はなになんでしょうか?
Posted: 火 - 9 月 19, 2006 at 12:18 午前
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