まあなんというか…(追記あり)
例の件の落ち穂拾いというか後始末
ここ↓
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060310
での私のコメントが意味不明に見えるのは、愛・蔵太氏がエントリタイトルを変更したからです。スクリーンショット保存しとけばよかったな。
さて私としては、何かを「ネタ」として選ぶという行為自体の政治性を自覚してもらうか、あるいはギャラリーの大半に納得してもらえるようなかたちでその政治性を示すことができればよいと思っていたのだが、それどころじゃない“成果”が挙がってしまった。まさか自分がこれまでやって来た、これからもやってゆくであろうことを全否定するようなことを言い出すとは思わなかった。なんというかもう、「醜態」ということばしか思いつかない。「愛・蔵太の気ままな日記」の読者は、それを書いているのが愛・蔵太氏であることさえ知っていればそこに掲載されている情報が「正確」かどうかを自明のものとして知ることができるし、もしそこでとりあげられている出来事の当事者と愛・蔵田氏が「接点」を持っていることが明確になっていない場合には(私が知る限り氏は古沢由紀子記者ともSWCともレスター・テニー氏とも笹幸恵氏とも『文藝春秋』とも北田暁大氏とも「接点」を持っていないようであるが)その情報が正確なわけはない、と心得ておかねばならないわけですな。これから彼が書くエントリがどれくらい彼自身の掲げる基準を観たしているのか、みなさんも気が向いたらチェックしてみてあげてください。
追記
仮説:ひょっとしたら愛・蔵太氏はすでに『文藝春秋』の笹幸恵論文を読んでいるのではないだろうか。彼がここしばらく置かれていた状況においてもっとも望ましい結論とは、笹論文とテニー氏との抗議の間に重大な齟齬を発見し、「ほらみろ、やっぱり誤訳に基づく抗議だったじゃないか」と宣言できることだったはずである。国会図書館にでも行かなければ閲覧できない資料ならともかく、『文藝春秋』のほんの数号前のバックナンバーに掲載された記事である。合理的な精神の持ち主ならとりあえず傷口を広げないようにしておいてその間に『文藝春秋』05年12月号を探すだろう。だがそれを入手してもテニー氏らの抗議になんら瑕をみつけられなかったとしたら…。
仮説の確証:彼にとっては「オレは中立」ってスタンスを偽装することが決定的に重要であることは理論的に予測できたが、あの荒れっぷり(『ホテル・ルワンダ』がらみでゲスもいいところのエントリアップしているし)をみると相当程度確証できたようだ。
Posted: 日 - 3 月 5, 2006 at 06:47 午後
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