もう一つの「教科書問題」


星亮一、『よみなおし戊辰戦争—幕末の東西対立』、ちくま新書
—— 、『平太の戊辰戦争 少年兵が見た会津藩の落日』、角川選書

古書店で見つけたのでセットで購入。同じ著者による『会津戦争全史』についてはこちら
『よみなおし…』の基本的な発想は『会津戦争全史』とほぼ同じなのだが、現代における奥羽越の人々の心情がより丁寧に描かれているという印象。会津若松の郷土史家宮崎一三八氏が92年に書いた(『新潮45』掲載の「会津人の書く戊辰戦争」)記事の引用から、孫引きしておこう。

 若松城下に襲いかかった薩摩、長州、土佐、肥前の西軍は土佐兵を先頭に城下の各町に殺到し、抵抗する会津兵はもとより、武士、町人百姓、老若男女の別なく、町のなかにいた者は見境なく斬られ、打ち殺され、あるいは砲弾の破片に当たって死んだ。
 若松の町人たちにとっては、この朝突然の出来事で、篠つくような雨のなかを燃え上がる炎の人家を脱して、われ先に逃げた。赤子を背負った女が路上に倒れ、赤子は声をからして泣き叫んだが、母は動かなかった。群衆は銃弾に追われるように逃げ、悲鳴をあげて走りつづけた。
 また武家の屋敷では、婦人たちが戦う夫や父や兄弟らの足手まといにならぬよう、存分の働きを祈って、前から用意した白装束に着がえ、集団自決をした。腕のなかで笑う子に泣いて刃を向けなければならない母親もいた。屋敷のなかは煙が充満し、火の手が迫った。そこにまた砲弾が炸裂した。至るところで阿鼻叫喚、修羅場はたちまちこの世の地獄となった。攻める者は血を見ると、怪鬼のように快感を覚えて、人影を見れば、撃ちまくった。
 この日の地獄の展開は、一瞬にして十万余人の生命を奪った広島、長崎の原爆の惨劇に及ばなかっただろうか。
(19-20ページ)

ここには記されていないが性暴力、掠奪、人肉食、埋葬禁止といった残虐行為が薩長軍によっておこなわれたことは本書と『会津戦争全史』に詳しい。
さて「教科書問題」というのは、著者が現行の歴史教科書における戊辰戦争の記述を読んでショックを受けたことを指している。この戦いは「新政府」と「反政府」の戦いとして記述され、「新政府はただちに慶喜を朝敵とみなして」と、「朝敵」なる表現が用いられていたからである。これでは勝者の歴史に他ならないではないか、というのである。鳥羽伏見の戦い直後の段階で「新政府」はあったのか? 奥羽列藩同盟も独自の政権構想をもっており、戦いの帰趨によってはこちらが「新政府」になっていたかもしれないのに…ということなのであろう。私は4人の祖父母から「ご維新のときうちのご先祖は…」なんてはなしを一度も聞いたことがない、要するに明治維新期にこれといった役割を果たさなかった地方の人間の末裔であって郷土愛的思い入れはどちらの側にももちえないわけだけれども、薩長が優れた理念によって「新政府」の中核を占めたわけでは必ずしもないこと、限られた数の人間の決断のちょっとした違いで「この国のかたち」が大きく変わっていたかもしれないこと、欧米列強の介入のしかた次第では「軍閥」が割拠する国(というより地域)になっていたかもしれないこと、そして「歴史教科書問題」は国内にも存在すること…を考えてみることには大きな意味があるだろう。

なお『平太の戊辰戦争』は、後に会津藩の「抗戦」という決断に批判的な見解をもつに到った元少年兵の視点から戊辰戦争を描いている、という点で他の二冊とはまた違った意義をもっている。

Posted: 水 - 3 月 28, 2007 at 10:47 午後          

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