素朴な疑問?
別館で書いた「南京事件を否定しようとして拉致問題への国際的な協力を拒絶する人」というエントリとクロスするはなし。ホロコースト否定論と南京事件否定論の類似性について書いたエントリにこんなコメントがきたわけです。大体ユダヤ人でもない、それも当時の人間からすれば孫の代の日本人が積極的にホロコーストをあったと信じるというのがどれほど奇怪な事か。何か義理でもあるのだろうか。しかも素朴な疑問をする人間をも人非人呼ばわりする。これってどう考えてもおかしい。正直ホロコーストがあったかどうかなんてのは私には正直どうでもいい。だからそれが仮に本当であったとしても、何の義理もないユダヤやそのシンパから信じろと強制されたくもない。そして、正直どうでもいいが、600万なんていくら何でも嘘じゃないのという素朴な疑問がある事も事実である。本当に起こった事というのは、何も一次資料を読めとか言わなくてもちょっと聞けばありそうかそうでないか分かるものである。ホロコーストや南京虐殺にはこれがない。聞けば聞く程胡散臭さが増す。で、こういうことを書く人間が、同時に「素朴な正義感」から光市母子殺害事件の弁護団を罵倒し橋下弁護士を応援する…というのは容易に想像可能な光景です。ま、「b8631d」という捨てハンの人物(スパムよけで入力を要求される文字列からとったんでしょう、きっと)がどうであるかなんてことはどうでもいいですけど。ちなみに南京事件否定論者が多く集う「チャンネル桜」の掲示板にも「橋下弁護士を応援しましょう!!」というスレがたっていて、ここでは「健次郎」というハンドルの方が“高校レベルの公民教育をうけた人間なら当然知っていてしかるべきこと”を啓蒙すべく頑張っておられます。陰ながら応援しておりますので。さて、一方で私人が犯した犯罪に関して「遺族感情に配慮して弁護方針を立てよ」と要求する人々が、他方では国家犯罪、戦争犯罪(こちらにはそれこそ桁違いの被害者遺族がいる)について「素朴な疑問」を公言する権利を主張しているわけです。合理的な疑いを差し挟む余地があるのならそりゃどんどん語ってもらってかまわないわけですが、「素朴な疑問」という名の先入見でもって大虐殺を否定するのは遺族感情を傷付けることにはならんのですか? 南京事件否定論がどれほど「荒唐無稽」な詭弁を使用しているかについては、いろいろ具体的に指摘してきたつもりですが。光市事件の被告はいままさに死刑になるかどうかの瀬戸際にいるわけですが、ホロコーストや南京大虐殺についてはそのような立場に立たされている人間はいないわけで*、その意味ではホロコーストや南京大虐殺については「遺族感情」を傷つけてでも弁護すべき人間なんていないわけです。*
厳密にいえば、ホロコーストに関しては今後誰かが訴追される可能性がないとは言えないが、経過した時間を考えるとまずそういうことはなかろうと推定できる。小倉秀夫さんの「黙って引っ込んでいるべき素人」というエントリ、およびその前後に書かれた光市事件関連エントリが問題にしていることの一つも、この「素朴な疑問」のそれこそ素朴な居直りは許されない、ということではないだろうか。「顧客が、Whatだけでは満足できず、Whyを要求するようになったからだ」などという分析が、少なくとも光市母子殺害事件の弁護団バッシングにあてはまらないことはほとんど自明であろう。裁判官でも検察官でもない市民は、この事件に関心をもつ「義理」などないのである。頼まれもしないのに関心をもつのであれば、「素朴な疑問」ではなく「素人ではあってもいい歳をした大人」であれば当然調べるべきこと・考えるべきことは押さえたうえで発言すべきなのであり、相談料払ったわけでもない被告弁護団や小倉弁護士に高校の公民教育程度のことがらを解説せよなどというのは「一体なに様のつもり?」な要求と言わざるを得ない。
Posted: 火 - 9 月 25, 2007 at 10:43 午前
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