北九州市の生活保護行政で自殺者?



今朝の「スーパーモーニング」(ABC)で扱っていたので調べてみた。とりあえずみつかったのは『あかはた』の記事。共産党の市議がインタビューを受けていた(問題の男性が窓口を訪れるのにも同行したとのこと)のはそういうことか。

2007年9月5日(水)「しんぶん赤旗」
“働かんなら死ね”
生活保護行政 北九州市の自殺事件
「もう犠牲者出さないで」 声上げる遺族ら

 いったい北九州市の生活保護行政は何人の命を奪うのでしょうか。

 同市小倉北区で生活保護が打ち切られた男性(52)が七月十日、変わり果てた姿で発見された事件は、市民らによって福祉事務所長の告発にまで発展しています。

 ところが、その一カ月前の六月十日早朝、同じ区内で別の男性(61)が自ら命を絶っているのが発見されました。所持金はわずか千円。五日前には、生活保護の申請を拒否されていました。男性はケースワーカーから「働かんなら、死ね」といわれたと友人に話していました。
(後略)

マイケル・ムーアの『シッコ』を観ていてもっとも印象に残ったシーンの一つは、次のようなものだった。保険会社に勤めるある女性。ちょっと記憶があいまいになっているが保険加入申し込みの窓口業務といったところだったと思う。消費者は知らないが保険加入を拒否する条件の長いリストが存在しており、彼女には目の前で嬉しそうに申し込み手続きをする顧客の加入が拒否されることが分かってしまう(ケースがある)。それが大変な心の重荷になっていることを泣きながら語る、というシーンである。これと同じようなことが、北九州市の生活保護行政に関する報道をみる度に漠然と頭に浮かぶ。言うまでもないことだが、「上」にいる人々(北九州市であれ厚労省であれ)は「働かないなら死ね」などとは決して言わないし、「死者が出てもかまわないから申請させるな」とも言ったりはしない(ひょっとしてうっかり口にした人間はいるかもしれないけど、本来その必要はない)。「上」が命じるのはただ「適正」に処理せよということだ。しかし「上」が期待する「適正」の水準とは実のところ「これまでより少なく」ということであるから、結局は誰かの申請を拒否しなければ「適正」に処理したことにならないわけである。いってみれば「三光作戦」と同じことで、「上」が命じるのは共産党勢力の封じ込めであるけれども、現場としては「結果」を出すためには焼き、殺し、奪うしかないわけである。「焼くな、殺すな、犯すな」というお達しが出ていようが。略奪だって同じことで、参謀本部や軍司令部が「略奪せよ」と命じるはずはないし命じる必要もない。単に「食料は現地調達で」と命じるだけである。しかしいちいち合法的な徴発の手続きをとるだけの人的・財政的な裏づけがないところで「現地調達」を命じれば結果が「略奪」になるのは火を見るより明らか、ということなのである。中国戦線に従軍したある将校は次のように回想している。

軍司令官の三戒も「焼くな、姦すな、殺すな」であって「盗るな」とはいっていない。もし「盗るな」を実践したら第十一軍は軍司令官以下間違いなく干乾しになっているはずだ。

「申請書すら渡さないのはひどい」とか「(結果は同じだとしても)もっと別なものの言いようがあったのではないか」といった批判にはもちろん一理あるけれども、これらは結局のところ「生活保護関連支出を減らす」という目的のための手段であり、この目的が変わらない限り似たり寄ったりの手段がとられるのは避け難い。にこやかに、丁寧に申請を却下されたところで腹が満たされるわけではないのだ。奥まったオフィスで「適正に」と指示する人間はともかくとして、現場の公務員にとってこれが心理的な負担にならないはずはないと思う。自らの道徳感情が著しく瑕つけられているからこそ、表向きには“お役所的”な応答で防衛しているとしても。市民に死者を出す生活保護行政は、現場の公務員をも緩やかに殺している可能性がある。

Posted: 火 - 9 月 25, 2007 at 10:06 午前          

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