そもそも教師にサヨクは多かったのか? そしてもし多かったのだとすると…
旧日本軍の戦争犯罪に関心をもってエントリ書いたりあちこちでコメントしたりしていると、「左傾教師が自虐史観を植えつけてきた」とか「言論界はサヨクだらけ」といったはなしをしょっちゅう聞かされるわけだけれども、中学校のときにさせられた軍事教練まがいの(もちろん、ずっとソフトだけど)行進やら、内務班からノウハウを継承したとしか思えない生徒管理の手法(連帯責任でビンタ、とかね)にいまだに怒りを覚えている者としては、「それ、どこの国のはなしですか?」と言いたくなるとはいえ、まあ全体として教員(小学校〜大学まで)の政治意識を日本人全体のそれと比較すれば、左派的というかリベラル寄りの傾向があるというのは嘘ではなかろう、とは思う。文部省(文部科学省)の「努力」を無視して「左傾教師が好き勝手をやってきた」と主張するのがおかしい、というだけで。
しかし教師の採用権限は小・中・高校なら教育委員会、国公立大学なら教授会、私立の学校なら理事会が握っているわけで、教授会はともかくそれ以外が「サヨクのスクツ」であるなどとは考えがたく、そうすると、「なんで教員には左派的ないしリベラル寄りの傾向があるのか?」が当然問題になる。イデオロギー的傾向性と能力のあいだに相関関係がないと仮定すれば、答えは職業選択における傾向性とイデオロギー的傾向性とのあいだに相関関係があるからだ、というものになろう。
別のいい方をすると、「教師はサヨクばっかりだと文句を言うなら—そしてそういう文句はもう随分長いこと言われているわけだが—なぜ右派・保守派は教員になろうとしないの?」ということ。本当に教員の政治的傾向が左派寄りなのだとすれば、それは右派寄りの人間が教職を忌避してきた結果だと考えてよいはずである。先日、当ブログで話題になった「教師はオイシイ職業か?」という問題に関して私が否定的な見解をもっているのも、一つにはそのためである(右寄りの人間には教職がちっともおいしい職業に思えないからこそ忌避してきたのではないか? ということ)。
Posted: 火 - 12 月 19, 2006 at 12:50 午前
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