ホワイトカラー・エグゼンプションについての雑感


および教育基本法改正(自称)問題について反省

教育基本法問題についてはほとんどなにもできない(ブログでエントリを書くことすらできない)うちに改正(自称)案が成立してしまった。個人のリソースには限界があるとはいえ、タウン・ミーティングのやらせ、必修単位履修不足問題、イジメによる自殺問題(これは特にいま現在問題が深刻化しているというより、たまたまマスコミが飛びついただけである可能性が高いと思うが)と、さらに議論を重ねるべき理由となる問題が立て続けに話題になった以上こうも簡単に今国会で成立してしまうとは…と見通しが甘かったという悔いはある。しかし、自分の無為を正当化するためでも、改正(自称)反対のために運動していた人々に冷水を浴びせるためでもないが、あえて言ってみよう。(旧)教育基本法の理念は決して達成されたことはなかったし、自民党にその理念を達成するつもりなどなかったことは明白なのだから、改正(自称)によってそうそうすぐに変化が現れるということはないんじゃないか、と。どうしても自衛隊の位置づけが焦点になってしまいがちな憲法改正問題と比較すると、教育基本法をめぐる論争の方が改正(自称)派の人間観・国家観が露骨に現われていて、むしろ争点は明白になった、と。だからといって楽観できるわけではもちろんないのだけれど。

他方、法改正があればすぐにでも多くの人の生活に影響が出るんじゃないか、と思われるのがホワイトカラー・エグゼンプション。現時点では経済同友会が推進派の経団連とは一線を画す主張をしていて(例えばここを参照)まだ望みがないわけではないけれども。労働者の自律性を前提とした制度を、他の条件はそのままで日本に導入すれば、結果は「過労死が発生しても会社が責任をとらなくてすむ」だけ、ということにならないだろうか。なにせ教育基本法改正(自称)は、「自律的な個人」を嫌う人間がこの社会では多数派であるらしいことを明らかにしたばかりなのである。それとも、多くの命を踏み台にして日本社会にも自律性を尊重する土壌が備わるのだろうか。

旧日本軍は工業力不足、兵站軽視の体質、硬直した作戦パターンのために多くの兵士を無駄死にさせた。勝てないのは「必勝の信念が足りない」からだと言いいつつ兵士を死なせた指揮官に(あるいは軍に)足りなかったのがなにだったか、こそが問われねばならないはずである。

Posted: 月 - 12 月 18, 2006 at 10:42 午前          

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