素晴らしすぎる「パブリック」概念
このエントリのコメント欄でほっけさんから教えていただいた2chミステリー板のスレ。旧日本軍の戦争犯罪を率直に認めたら保阪正康だろうが秦郁彦だろうがかたっぱしから左翼認定するような連中は、左翼からみればもうギャグでしかないんで、むしろ保守を自認する人々こそなんか手を打つべきでしょう。それにしてもひどいなぁ…と思うのはこういうやつ。18
名前: 名無しのオプ
Mail: 投稿日: 06/02/25(土) 21:50:15
ID: uCrBmQIl
>>16別に京極夏彦氏個人のイデオロギーにまで口を挟む気はないが、作品中で無批判に左翼思想を垂れ流すというのは如何なものかと言ってる。本宮ひろしの「国が燃える」がどうなったか知っているか?(後略)22
名前: 名無しのオプ
Mail: sage 投稿日: 06/02/25(土) 23:09:34
ID: N3PhE7Lc
あったか、無かったか、みたいな話をすると際限なくなるから言及しないけど確かに京極のインタビューとか見てると左な印象は強いね。個人の信条は自由だが決着ついていないような歴史についてどちらかに偏りが感じられるような発言をパブリックな場でするのは頂けない。「本宮ひろしの「国が燃える」がどうなったか知っているか?」ってのは脅迫ですか? ファンとして京極夏彦の身を案じるというのなら「如何なものか」という評価はおかしいしな。「決着ついていないような歴史」って、アカデミックな水準では(あった/なかったという争点についていえば)とうに決着ついてるんだけど、まあそこは大目に見るとしよう。しかし「どちらかに偏りが感じられるような発言をパブリックな場でするのは頂けない」んだとすると、南京事件否定論の本を出している面々も「頂けない」ってことになるよな? だいたい決着がついていない歴史認識問題を「パブリックな場」で議論しなかったら一体どこでするの? 「パブリックな場」というのはみなお上品に取り澄ましてセンシティヴな話題には触れないように努力すべき場なのか? 社交界と公共圏をごっちゃにしてるよ! 作家の政治的発言(南京事件があったかなかったか、なんてのは本来政治的な問題じゃないんだけどな)が気に入らないんではなく、人気作家が(ひょっとした自分も好きな作家が)気に入らないこと言ったのが癪に障るだけのくせに、偽装するにしたって理屈がお粗末すぎる。「戦後民主主義教育」なんてちっとも定着してなかったという証拠ですな。これに対して、ちっとは頭を使ったな、というのがこういう例。24
名前: 名無しのオプ
Mail: 投稿日: 06/02/25(土) 23:54:55
ID: uCrBmQIl
大体、彼の好きな妖怪伝承云々の研究なんてものは、大和族に対する蝦夷、漢族に対する苗族、男根主義に対する母系主義みたいに、“敗者、弱者”から見た歴史観を鑑みてこそ初めて理解できるものであるのに、こと先の大戦に限って中国米国という勝者の正史史観のみに媚びて敗者、弱者たる日本の立場なり、当時の心情なりを無視している彼の作風は、正直いって民間伝承のなんたるかを理解していない蛮行に思えてならない。てゆーか、あれを「明治以来の悪しき前例」と一刀両断に斬って捨てる冷徹さは、京極夏彦自身が、京極堂シリーズを読んだことがないことを示しているとしか俺には思えない。なんなんだろう、あの独善主義は。詭弁を弄するなら、せめてこれくらいの水準には達していてもらいたいもんだ!
Posted: 金 - 10 月 20, 2006 at 08:09 午前
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