『枢密院議長の日記』


佐野眞一、『枢密院議員の日記』、講談社現代新書

久留米藩の漢学者を父として1853年に生まれ、新政府で東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部部長、李王世子(李氏朝鮮最後の皇太子)顧問、枢密院議長などを歴任し官僚として「位人臣をきわめる」を地でいった人物、倉富勇三郎の長大な日記(著者によれば「二十六年分の日記をすべて翻刻すれば、おそらく分厚い本にして五十冊は超える」「正直言って、これほど浩瀚な日記を書き続けた人物が、本当に仕事をするひまがあったのだろうかと、訝られるほど」の)、しかも従来何人もが解読に挑戦しては挫折した「ミミズがのたくったよう」な文字の日記のうち、大正10~11年の2年分、および重要な事件の前後を解読した成果を紹介した本。日記のギネス級のヴォリュームにふさわしく、新書で430ページ(解説や年譜、索引を含む)という通常の2、3冊分の厚さ。昨年の秋に刊行されてすぐに買ったのだが、他の要件をこなす合間合間に読んでいたら読了するのに半年近くかかってしまった。

倉富日記が「奇書」ならば本書は「メタ奇書」とでも呼ぶべきか。著者が度々「死ぬほど退屈」と評するほど公私にわたる日常の些事が延々と書き連ねられているなかに、ごくまれに「歴史観を覆すような貴重な証言」が登場し、その史料価値には別館で度々貴重なご助言をいただいている京都大学の永井和教授も注目してその成果を『青年君主昭和天皇と元老西園寺』(京都大学学術出版会)などで明らかにしている(ここでその一部を閲覧できるが、日記の翻刻そのものは閲覧にIDとパスワードが必要で一般公開はされていない)ほど。だが本書は宮中某重大事件、ロンドン海軍条約や日韓併合など日本の近代史における重大事件についての記録のみならず、日記の退屈さそれ自体から滲み出す倉富の人物像を実に魅力的に描き出している。退屈さにとことん耐えることで到達しうる楽しみ、とでもいおうか。読者はその忍耐をほとんど免除されたうえで楽しみだけを得られるのだから(ただし、真の楽しみは退屈さに耐えぬいた者だけに与えられるのだろうが)読んで損はない。

Posted: 金 - 4 月 11, 2008 at 12:26 午前          

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