『神は妄想である』を読みかけているのだが…


リチャード・ドーキンス、『神は妄想である 宗教との決別』、早川書房

邦訳は昨年5月に刊行されて、ネットでもぼちぼちと評判を読んではいたのだが、古書店で手に入れてそのままになっていたものを寝る前にふとんの中で少しずつ読んでいるのだが…
進化論に関心のある読者なら知っているように、「宗教」は故S・J・グールドとドーキンスというライバルの間で大きく見解が分かれていたトピックであり、ドーキンスにとっては極めて重要なテーマであるし、学説史ないし思想史的な観点から言っても進化論研究者がキリスト教をはじめとする宗教に強い関心をもつべき動機があるのは当然とも言える。だが、この本は日本においてどのような意味をもちどのように読まれるべきなのか? というのも日本では「無神論者」を自称したところで(ごく私的な人間関係においてならともかく)これといった不都合がないどころか、特定の宗教の熱心な信者であることの方が有徴であると言いうるほどだし、進化論に挑戦し科学教育に介入しようとする運動もほとんど影響力を持っていないからである。下手をすると、ちょうど欧米人が日本人による南京事件否定論批判を読むのに近い、「あちらさんも大変ですな」的傍観者として読んでしまうということになりかねない。
というわけで、日本においてこの本をアクチュアルなものとして読もうとするなら、例えば日本における天皇制を念頭におきつつ読むといったことが必要になるんじゃないかと思うのだが、ざっと調べてみた限りではそういう問題意識でもって本書を評しているケースはみあたらないようだ(もちろん、これが唯一の有意義な読み方だと言っているわけではないのだが)。

Posted: 木 - 2 月 21, 2008 at 09:07 午後          

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