的外れな反対論の根本的な誤解と思われるものについて
人権擁護法反対論者のうち少なからぬ人々(善意の反対論者も含めて)が「これまではなんのおとがめもなかった行為が、人権擁護法によって取り締まられることになる」と勘違いしているのではないかと思われる*。もしそうだとすれば、おそらくこれが同法案に対するもっとも根源的な誤解ではないだろうか。人権擁護法が救済の対象とする人権侵害は、現行の法制度のもとでも司法ないし行政による救済の対象となるものがほとんどである。人権擁護推進審議会の答申に「参考資料」として付された「主な人権侵害類型と被害者の救済にかかわる制度等」を見ればそのことは明らかである。この参考資料は「問題類型」ごとに「具体的な人権侵害事象」をあげ、それに対する「被害者の救済にかかわる主な制度等」を「法規制」「司法的救済」「行政的救済」「NGO等による救済」にわけて挙げ、さらに「制度等の実効性に関する指摘等」を挙げている(この最後の項目が、人権擁護法の必要性の根拠となるわけである)。この「問題類型」は人権擁護法案のとり扱う類型と非常に良く対応しているので、一通り目を通してもらいたい(「メディアによる侵害」の部分は現状では必要ない)。一つを除いて、すべて法規制ないしは司法的救済が存在しているものばかりである。従来まったく公的な救済手段がなかったものとは「差別表現」という類型のうちの「特定人を対象としない集団誹謗的表現、差別助長表現(部落地名総鑑の出版・頒布、インターネット上の掲示等)(同和関係者、外国人、同性愛者等)」という事象だけである。このうち、「特定人を対象としない集団誹謗的表現」は結局人権擁護法による救済の対象とはならない予定であるから、人権擁護法によって新規に救済の対象となるのは「部落地名総鑑の出版・頒布」に代表されるような「差別助長表現」、法案の第3条第2項にあたるものだけだということになる。1
人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為2
人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為この条項はかなり特殊な行為類型を対象としているので、良識を備えた人間がふつうに行動しているかぎりでは絶対に該当する恐れがないのみならず、粗忽な人間が軽率に行動していてもまず該当する恐れがない。他方で、こうした行為の不当性は明白であるから、これを新たに救済の対象とすることによって失われる利益などないと断言しても過言ではなかろう。要するに、人権擁護法が救済の対象とする人権侵害を行なえば、現状でも刑事訴追されたり民事訴訟をおこされたりする可能性があるわけで、そうならないのは単に被害者が鷹揚だからか、諸般の事情で泣き寝入りしているからに他ならない。毎日新聞は5月3日付けで「特集:憲法 人権擁護法案・課題点検 「表現の自由」に懸念残す」という記事を掲載している。で、どのような「懸念」が残るのかというと…(以下の引用で下線部は引用者が付した) 《ケース1》 ある国会議員が「多くの日本人を拉致した北朝鮮は許せない」として、北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を非難する声明を出した。これに対し、関係者が「不当な差別だ」と人権委員会に申し出た。 北朝鮮による拉致問題に取り組んでいる国会議員の一部は、このような事態を想定し、「朝鮮総連関係者らによる人権侵害救済の申し出を受けて人権委員会が調査に乗り出せば、それだけで社会的制裁になり、政治家の言論が封じ込められる」と強い懸念を表明し、法案に反対している。 法務省は「救済の対象になるのは、犯罪行為や民法の不法行為に当たるものであって、政治家の通常の言論活動に対して救済手続きを開始することはない」と説明する。しかし、発言が特定の関係者への違法な名誉棄損であることが明白な場合などは、調査対象になるケースが出てくる可能性はあるとみられる。だからどうした? としか言いようがない。「違法な名誉毀損」であれば起訴されてもおかしくないんで、その場合には司法による捜査の対象となるわけだ。そんなものが人権委員会の調査対象になって何が問題なのか? さっぱりわからん。こんなこじつけめいた「懸念」しか表明できないこと自体、法案に大した問題がないことの証左であろう。 《ケース2》 銭湯の経営者が、出入り口の扉に「外国人は一切お断り」と書いた張り紙を出した。通報を受けた人権委員会は職権で調査を始めた。 従来は、実際に入浴を断られた外国人が民事訴訟を起こしたり、銭湯経営者に対して法務局が強制力のない「説示」をするなどの措置をとることしかできなかった。まずもってこれが「表現の自由」とどう関係しているのか? というツッコミはさておき、記事自体が認めているように従来も被害者自身が損害賠償請求の訴訟を起こすことは可能なわけだ。で、この法律ができればいきなり民事訴訟を起こすのではなく人権委員会に救済を申し立てるという選択肢が増えるわけで、結果的に訴訟を回避できる可能性だってあるわけだ。で、これを書いている途中に同じような事例を挙げているのをここでみつけた。「庶民」の視点なんだそうである。私なんかにすれば、庶民というのは人権侵害の加害者にも被害者にもなりうる存在なのだが、どうもケロヨンmk2氏の考える「庶民」は(不当にも)加害者にされることはあっても被害者になることなどないらしい。なんとも幸運な、あるいはなんとも楽天的な庶民だこと。また、市民が人権擁護法によって不当に加害者とされる可能性についてはさんざん詭弁を弄してまで言い立てたくせに、店で暴れもせず金もちゃんと払う(であろう)外国人までが一律に入店拒否を食らうことはなんとも思わないらしい。仮に「10人中9人の外国人が悪質な客なのだから残る1人が不当に入店拒否されてもしかたない」などという理屈で国の不作為が正当化されるなら、「勧告を受ける者10人のうち9人は間違いなく悪質な人権侵害をしているんだから、残る1人が不当に勧告を受け**
てもしかたない」となるわな。*
もちろん、以下で述べる点をきちんとふまえたうえで反対している人が存在することはいうまでもない。**
不当に勧告を受けるケースというのは、「言動の事実関係の認定が間違っている」、すなわち言ってもいないことを言ったとされるケースと、「言動の不当性の認定が間違っている」、すなわち不当な差別的言動でない者がそう認定されるケース、に分かれるだろう。さらに後者は「どう考えても不当な差別的言動でない」ケースと「不当な差別的言動かどうか微妙」なケースにわけることができる。まず「どう考えても不当な差別的言動でない」ものが勧告の対象となる可能性は事実上まったくない。現在の人権擁護機関が出している勧告の数の少なさから推し量れば、勧告にまで至るケースは相当希少である。そんな中に「どう考えても不当な差別的言動でない」ものが入り込むはずがない。また「微妙なケース」についても、勧告にまで至る事例が少なければまずあり得ないと言えるし、そもそも「微妙」である以上勧告の不当さも「微妙」であるわけだ。むしろ問題になるのは「言ったか言わないか」で両当事者の言い分が分かれる場合だろうが、そうした場合には人権委員会の判断もかなり慎重なものとなるはずで(後に裁判で事実認定が覆されたら赤っ恥をかくわけだから)、冤罪で有罪判決をもらう可能性以上に心配する必要はないと思う。__________________________________________以下は上でリンクをはったブログで行なった私のコメントへの
o'clock氏のコメント、への返答。
>あなた入店拒否された方には「同胞が悪いんだから割り切れ」と要求してるじゃないか、と反論できるわけですがね。これに対しては人権擁護法案賛成派の方が良く言われる「メリットとリスクの比率」で反論しましょうまずもって、「外国人お断り」の貼り紙の類いは、このエントリでも指摘しているように、人権擁護法ができるまでもなく「不法行為」とされていたことをまず指摘しておきます。同様のケースで入店を断られた側が訴訟を起こし、勝訴した判例があります。というわけで、人権擁護法の妥当性とは基本的に関係のないケースです(いずれにせよ店側の措置の正当性は認められないケースなので)。また、「メリットとリスク」というかたちで比較考量の対象となるものとならないものがある、という点も指摘しておかねばなりません。例えば、拷問はたとえどれほどメリット(真犯人の究明、という)があろうとも許されない、というのが近代国家の基本的なルールです。同様に、「差別は許されない」というのも比較考量を許さない、基本的な理念なのです。他方、刑事裁判を行うことには常に「冤罪」というリスク(これが「差別」ではないことに留意してください)が伴いますが、そのリスクが最小限に抑えられているかぎり刑事裁判を通じて正義を実現するというメリットとの比較でこのリスクは甘受される、というのがあらゆる近代国家の(というよりあらゆる社会の)現実です。したがって、問題のケースに関するかぎり、「差別を許さない」ことのメリットが「予想される店側の損害を予防する」メリットより上回るというのが近代社会の一致した判断です。警察という『強大な権利を持った組織』が「十分に救済できない」ケースを警察以下の権利しか持たない人権委員会が「救済」できるとは考えません警察と人権委員会では「権限」だけでなく「管轄」も異なるので、こういう単純な比較は成り立ちません。また、人権委員会は権限が弱いが故に、より柔軟かつ迅速な措置がとれるという側面もあるのです。・「馴染みの客以外からはデポジットを取る」「張り紙」を差別とするなら、これも差別になるんじゃないですか?なりません。お得意様を優遇するというのは広く認められた商習慣です。お得意様へのサービス(なじみでない客へのネガティヴなサービス)は、お得意様が店の利益に大きく寄与しているという合理的な根拠があるので、差別にはなりません。そしてこの二つの案はどっちも事後方法じゃないですかデポジットをとるというのは「事前」の措置ですよ。デポジットをとらないまでも商品と代金をひとつひとつ引き換えにするという方法もあります。「損害があった場合の保障」はされていますが「損害が出ない為の保障が」ありません一般論として、「損害がでない為の保障がない」のはあらゆるビジネスにつきものです。例えば書店で中学生の万引きが多いからといって、「中学生お断り」の貼り紙を出した書店のはなしなど聞いたことがありますか? なぜ外国人がからむ場合だけ一律に「お断り」の貼り紙がでるのか…ということもお考えになってはいかがでしょうか。
Posted: 木 - 5 月 5, 2005 at 09:26 午後
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