「義務教育レベル」? そりゃ結構なはなしだ


頼まれもしないのに自ら恥をかく人々について

リーダーフレンドリーを目指した別館の方のアクセスもかなり落ち着いてきたし(ま、もともと多かったわけではないが)、ぼちぼちとではあるがデタラメ反対論への批判も効果を上げつつあるように思われるので、ぼちぼち元のペースとスタイルに戻してゆく予定。

で、下手な煽りを入れてきたけど無視してやったらよほど悔しかったらしく、「無視の方向で」などと負け惜しみを言っているブログがあるので、お望みとおりかまってやることにする。

但し、私は、法律等の専門家では無く、普通の善良な一市民なので、
目くらまし目的の複雑な長文には、対応しません。
市民視点の判りやすい文章にのみ、対応します。

へぇ。私だって法律の専門家じゃないが、ちゃんと法案を読めば「人権侵害の定義は別に曖昧じゃない」「人権委員会には無茶苦茶な強権などない」ってことはすぐにわかったけどな。
だいたい、私の考える「市民」は政治的な議論にあたって払えるかぎりの努力は払う者のことであって、産経抄(天声人語でもいいぞ)より長い文章を読まされると泣きごとを言う者のことではない。「市民視点」ってのは言論のベビーフードを要求する視点のことか?

専門外の分野には、深入りしないで、あくまで「一般市民の視点」で戦うこと。
「感情論」等と言う言葉で叩いてくる輩は、市民感覚に欠けています。
義務教育レベルの人が3分で理解出来るように平易な説明文を作ることも、官僚(的な人々)の義務なのです。

義務教育レベルの人間なら、法案さえ読めばただちに「人権委員会は身柄の拘束・証拠品の押収などできないこと」「人権委員会には、言論を差し止めたり禁止したりするいかなる権限もないこと」「人権委員と人権擁護委員の区別」くらいわかりそうなものだが。つまりその程度の努力は法務官僚もすでに法案作成の段階で行なっているわけだ。同じく、義務教育レベルの人間なら「100%安全な法律・公的機関の実例を挙げることができないのに、人権擁護法についてのみ100%の安全を保障するのは為にする反対論」だということはわかるはず。同じく、義務教育レベルの人間なら、てんこもり野郎およびそのエピゴーネンが差別的言辞を吐きまくっていることもわかるはず。要するに「義務教育レベル以下」の人間がわらわらと参加していたのが人権擁護法反対運動だった、ということなのか?(追記:この最後の一文をあげて「人格攻撃」だと称している論者がいるが、私が一貫して非難しているのはデタラメ反対論者の知的誠実性である。それも「人格」の一部だと言うならもうなんとでも言えという感じだが、とにかく私は誰かをただ「人権擁護法に反対している」ということだけを理由に批判したことも非難したこともない。)
デタラメを言うのは容易く、本当のことを言うのは必ずしも容易くない。これが納得できないおこちゃまに「市民視点」など語る資格はない。

先日、ジョークとしても笑えない私案がアップされていた「ブログ鷹森」。このエントリはなかなか笑えるのだがまああえて突っ込まないとして、こちらはひどすぎる。この問題に関してはいろんなところをみてきたが、これだけ冷静な筆致でこれだけデタラメが書かれたケースというのはそうそうないのではないか。誤解の場合にせよ歪曲の場合にせよそれなりのロジックがあって「ああここを誤解したんだな」とか「こういう意図で歪曲したんだな」とわかることが多いものだが、これに限ってはなにをどう考えたらこんなことが書けるのかが一読しただけでは理解できず、自分が「義務教育レベル」に達していないのかと一瞬不安になった(嘘)。
まあまじめに誤解ないし歪曲を解きほぐすのもばからしいほどなのだが、いちおうやっておこう。
「人擁法安全論破られる」と題する当該エントリで引用されている「解放新聞」の文章を、それぞれ文脈がわかりやすくなるよう引用し直しておこう。なお下線部は当該エントリにおいて引用されていなかった部分である。

 第2の争点は、「人権委員会委員・人権擁護委員の選考基準に国籍条項を設定」すべきだという問題である。われわれは、人権が国籍の如何にかかわらず、すべての人に認められているという観点から、国籍条項に固執する必要はないと考える。しかも、人権委員会の委員の選出にあたっては、「両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」ということになっており、不適当な人が選出されるかもしれないという議論は、両議院と内閣総理大臣にたいする「予めの不信任」を意味するものである。また、人権擁護委員にいたっては、権力的な権限は一切もっていないことは一目瞭然であり、むしろ歴史的・社会的な事由や国際化の状況を考えた時に、定住外国人たちのなかから選出される人権擁護委員がいることは共生社会実現のためにもきわめて有益であり、国籍条項などを設ける必要性は微塵もない。2000年12月の人権擁護推進審議会の第2次答申である「人権擁護委員制度の改革について」も、同様の観点から国籍条項の撤廃を指摘してきたところであり、国際人権潮流や日本の人権発展の歴史への逆流は断じて許されないものである。

これは自民党内の反対論について論評したものである(http://www.bll.gr.jp/news2005/news20050404.html

《2.実効性の確保に関する課題》
1. 実効性確保への担保は、生活圏域での人権侵害が日常的であることから、地方における人権委員会機能の発揮が重要であり、「迅速性」・「簡便性」・「安心性」が求められます。従来の政府・与党案では、法務局所在地の8ブロックに地方事務所(総勢200人強)を設置して対応することを骨格にしています。

2. しかし、この政府案は、従来の法務省人権擁護体制を「看板替え」するだけのものであり、この体制では「迅速性」・「簡便性」・「安心性」が確保できないことは、「答申」でも認めているように実証済みです。

3. したがって、都道府県ごとに「地方人権委員会」を設置することが必要です。既に、鳥取県や大阪府・福岡県でも条例による「地方人権委員会」設置の方向を具体化しようとしており、現実的な方向となってきています。

こちらは政府案たる人権擁護法を批判し、部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会としての要望を述べた部分である(http://blhrri.org/topics/topics_0115.html

さて読者におかれては、この二つの文章からいかにして

「人権擁護委員にいたっては、権力的な権限は一切もっていないことは一目瞭然」と言いながら「条例による「地方人権委員会」の設置を具体化し、現実的な方向となっている」と自己矛盾した言動をしている。もはや疑念でも可能性でもなんでもない、彼らは彼ら自身の言葉ではっきりと明言しており、仮に、地方人権委員会の設置が100億歩譲って正当だと仮定しても、人権擁護委員権限ないから安全論は完全に破られた。

という結論が導きうるのか、ご理解できたであろうか? まずこの結論は、「人権擁護委員に国籍条項は必要ない」という議論の文脈と、「救済の実効性の為には政府案の“法務局所在地の8ブロックに地方事務所”ではなく“地方人権委員会”が必要」という議論(つまり人権委員会の地方分権論)の文脈とを無造作に一緒くたにしてしまっている。だがなにより致命的なのは、二つ目の引用部分で中央実行委員会は「人権擁護委員の権限強化」など微塵も要求していない、ということが理解できていない点にある。引用部分を読めばわかるように、中央実行委員会が主張しているのはこういうことだ。

生活圏域での人権侵害が日常的なのであるから、(中央にのみ人権委員会をおいて)地方には全国8カ所の地方事務所を置くのではなく、地方人権委員会を設置すべき

これだけである。人権擁護委員の権限についてなどまったく言及されていない。ちなみに「条例による「地方人権委員会」」云々は地方分権的な組織が実効性確保の為に有効であることの根拠として言われているに過ぎず、地方自治体が条例でつくる機関と人権擁護法に基づいて(地方に)作られる組織とが別ものであることもまた、言うまでもないことである(ひょっとしてそこまで誤解していた?)

悪いことは言わない。恥をかくのはあなたなのだから、さっさと撤回されるがよかろう。

Posted: 土 - 5 月 7, 2005 at 03:41 午後          

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