この期に及んでまだこんなことを言っているのか…
人権擁護法については言うべきことはもうすべて言い尽くしたという感じなのだが…
私はよく知らないのだが、それなりに世間で名が売れているという人物がよくもまあこれだけデタラメを書けるものだと感心してしまった。西村幸宏 酔夢ing
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「人権擁護法案でも報道は嘘をつく」「人権擁護法案でもBlogは嘘をつく」とした方が実態に即してるんじゃないの? 以下、順にデタラメぶりを指摘しておく。(…)すっかり消えていたのに、国会の会期延長のドサクサに紛れて、ひょっこり顔を見せ始めた。じつは、このドサクサに紛れて、というのがこの法案を何よりも象徴するものなのだ。(…)この法案は過去に国会に提出されたこともあり(会期切れのため廃案になっただけ)、一時は自民党の公約でもあり、そもそも政府が設置した「人権擁護推進審議会」の答申をうけて作成されたものだ。その法案を成立させようとするのがなぜ「ドサクサに紛れて」ということになるのか、さっぱりわからない。反対派こそ、郵政民営化とか拉致問題といったドサクサに紛れてこの法案を葬り去ろうとしていたのではないのか?それは、この法案が成立しないと人権侵害で困る人がいるのだろうか? この法案が成立すると誰が守られるのだろうか? この法案が成立すると誰が得をするのだろうか? ということに考えを巡らせればよく分かる。「この法案が成立しないと人権侵害で困る人がいるのだろうか?」と本気で問うつもりがあるのなら、最低限法務省が発表している「平成○○年中の「人権侵犯事件」の状況について(概要)」(16年ものはここ、15年のものはここ、14年のものはここ…)くらいには目を通しておくべきだと思うのだが、どうやら氏はその手間を省いたかあるいはこれらの資料を読んでも人権侵害救済の必要性についてなに一つ感じるところがなかったらしい。で、この法案が通ると「誰が得をするのだろうか?」という点については具体的にはなにも語っていないのだが、まあ部落解放同盟とか朝鮮総連とか民団…だと言いたいのであろう。しかし逆に考えて、例えば解放同盟はこの法案がポシャると損をするのだろうか? 解放同盟の活動の柱の一つである「糾弾」、人権擁護法反対派が憎んでやまない糾弾を日本社会がきっぱりと否定しきれなかったのはなぜかと言えば、差別問題の救済を効果的に行なう公的機関が存在しなかったからにほかならない。人権擁護法が通らなければ、法務省がなんと言おうと「それなら糾弾活動を続けるしかない」と主張する根拠ができたということになるであろう。これは部落解放同盟にとってそれほど「損なはなし」ではない。もひとつ言っておくと、人権擁護法を否定して差別問題を市民レベルで解決することを主張する人間が「糾弾」を頭から否定するのは欺瞞的ではないのか?逆に、この法案が成立すると誰が困るのか、ということが最も重要なことになる。それは、私を含めた一般国民や、メディア、言論人、アーティストなどの表現者なのである。え〜私も「一般国民」だし広い意味では「言論人」「表現者」ということになるわけだが、この法案が成立してもちっとも困りません。なぜって、私は「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」をするつもりも「特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動」をするつもりもないし、「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為」をするつもりもなければ「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為」をするつもりもなく、第42条3項が規定する「虐待」をするつもりもないからだ(もちろん、するつもりがないからといって実際に行なわないとは限らないわけだが)。この法案が通れば、削除されたメディア条項など関係なしに、強大な権力を持つ人権委員会と人権擁護委員が事実上の令状なしの捜査権を発動できる。もう言い飽きたんだけど、「削除されたメディア条項など関係なし」とか言うんだったらどんな法律でも同じことだし法律がなくても同じことですわな。人権委員会の権限が「強大」だと主張する人々が公安警察なんかの存在を容認できる理由がさっぱりわかりません。自民党と民主党の反対派は、まず人権の定義からやり直せと言っているのに、なぜ、それが理解できないのであろうか?理解できないんじゃなくて、あまりに低レベルな主張だから受け入れ難いだけです。それに、人権委員会の存在が三権分立を侵すのではないかという疑問にも触れないままだ。だったらまずは公正取引委員会が「三権分立」を侵していると主張してください。この手の主張をする人々は「三権分立」の「三」を絶対視しているというか「三」フェティシズムに陥っていてその本来の趣旨・目的を見失っているとしか思えない。要は権力のチェック&バランスが目的なのであって、その数は三であろうが四であろうが五であろうがかまわないのである。人権委員会は公権力による人権侵害をチェックする機関で(も)ある。だが人権委員会自体も任用の時点で行政(首相)および律法(両議員)によるチェックを受けるし、任命後の行動についても行政および司法によるチェックを受ける。人権委員会の任務が従来の分類における「行政」と「司法」の両方にまたがる性格を持つ、というだけで「三権分立に反する」とぬかすのは「三」権分立原理主義でしかない。A級戦犯を巡る報道に接すると、思考停止というより、反日プロパガンダに勤しんでいるという言葉がぴったりだ。人権擁護法の話題からは逸れるのだが、靖国問題に関連して書こうと思っていたことがあるのでついでに。「反日」ということばがお気に入りの雑誌『諸君』の今月号には在日中国人の声を聞け靖国参拝をやめる必要はありません呉麗麗(「大紀元時報」記者)相林(中国民主運動海外聯席会議副幹事長)張本真(「大紀元時報」記者)中国政府は靖国問題を政治的に利用しているだけ。譲歩すれば仲良くなれるなんて幻想だといった見出しが並んでいる。『諸君』的なフレーズを借りるとこれらの「在日中国人」は「反中」ということになるはずなのだが、「反日日本人」を自虐的と呼ぶ人々は「反中中国人」を自虐的と呼ぶどころか大歓迎しているようだ。この手の(日本を擁護する中国、韓国人の)言説が朝日・岩波系メディアにほとんど登場しないのはその通りで、これは党派的な選択であるのも事実である。しかしメディアが党派性を持つのは当たり前で、「公正中立」なメディアが存在すると思う方がどうかしているわけである。そして、朝日・岩波系メディアが「日本を擁護する中国、韓国人」に「反中」「反韓」というレッテルを貼らない(少なくとも頻出しない)分だけ、この点に限れば朝日・岩波系メディアが節度を保っていることは明白だ。右派メディアによる「反日」というレッテルが滑稽でしょうがないのは、このレッテルが「日本(人)の利益」の均質さを素朴に前提しているうえに、仮に「日本(人)」全体に共通する利益があったとしてもその利益には短期的利益、中期的利益、長期的利益…という位相の違いが存在する、ということを見事に失念しているからである。私に限らず「首相が靖国参拝したって少しもうれしくないどころか、不愉快である」という日本人は少なからず存在するのに、首相の靖国参拝に反対したら「反日」ってどういうこと? 私は首相が靖国参拝しても日本の国益に資するところはまったくないと思っているし、同じように考える日本人がやはり少なからずいるのに、首相の靖国参拝に反対したら「反日」ってどういうこと? わけわかりませ〜ん! 私(および少なからぬ日本人)に言わせれば、一文の得にもならず理念的にも正当化できない「首相の靖国参拝」に固執する人間こそ「反日」じゃないの? って感じ。「反日」ってカテゴリー自体が無意味だと思うからそう言わないだけでね。
Posted: 木 - 6 月 2, 2005 at 11:30 午後
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