遅ればせながら「人権擁護法案反対フラッシュ」について
「人権擁護法案反対同盟」のフラッシュについておよび外国人参政権、性教育へのバックラッシュについて
この件についてはタイミングを逸してしまってこれまで言及してこなかったのですが、若隠居さんから「今からでも遅くないですよ」とおっしゃっていただいたこともあり、「人権擁護法案反対フラッシュ 間違いのまとめ」と論点が重ならないよう、ちょっと別の角度から述べておきたいと思います。また、BBさんが作成されたフラッシュのテキスト起こしも参照させていただきましたので、ここでお礼申し上げます。私がここで問題にしようと思うのは、人権擁護法案問題に限らず2chを中心にネット上でしばしば見かける、人権団体への反感を反映した次の部分です。人権委員は無給で、普通の人はなかなか就任してくれません。今ですら人権を口実にした強引な行動が目立つ、人権擁護団体が委員会の力を好きなように使う危険があります。このフラッシュにはありませんが、「人権利権」云々といった批判も念頭においております。さて、いまの日本は非常に豊かで平和な社会であり、またそこそこ自由で平等な社会でもありますから、日常生活を送るなかで「人権侵害をこうむった」と意識することのない人々がたくさんいても不思議ではありませんし、「人権問題」に特に関心を持たない人々がいても無理ないことなのかもしれません。しかしこれは、例えば人権擁護法が「人種等」としてあげているカテゴリー、すなわち「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向」に関してマジョリティーの側に属していればこそのはなしで、黙っていては自らの権利を守ることのできない人々が存在しているというのも厳然たる事実です。マジョリティーに属する側が自発的にマイノリティーの権利擁護のための施策をとるのならともかく、人間だれしも自分の利害を第一に考える以上それは期待できません。水平社に始まる部落解放運動がなかったら部落差別の現状はどうなっていたでしょうか? 障害者団体やその支援者の運動がなかったら(いまでさえ十分に達成されているとは言えない)公共施設や公共交通機関のバリア・フリー化はどの程度進んでいたでしょうか? なにしろ2004年になっても、日本を代表する鉄道会社であるJR東海が電動車椅子での乗車を拒否する、といった事件が起こっているのが我々の住む日本なのです。したがって、マイノリティーの側に属する人々が自らの権利を守るために運動するのは当然のことです。しかしマジョリティーの側にとっても、本来諸権利は寝て待てばよいものではありません。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて」(97条)、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12条)のです。この「不断の努力」のなかには、例えば、あえて無給の人権擁護委員をひきうけるといったことも含まれるわけです。もし日常生活においてこれら諸権利を「不断の努力」によって保持する必要性を感じないとすれば、それは先人の努力と(マジョリティーに属するという)幸運のおかげにほかなりません。自分がそのような幸運に恵まれたからといって、自らの権利のために努力する人々を非難するのはお門違いではないでしょうか。2chの法学板に、上で私が言わんとしたことを的確に代弁してくれている投稿がありました。一度このブログでも取り上げましたが、もう一度引用しておきます。286
名前:
猫
◆u0ZYnEjMF6
Mail:
sage
投稿日:
05/05/06(金)
01:20:20
ID:
DjJvVdhW
(前略)
人権擁護法が悪用される可能性があるか、といえば当然あるだろう。
人権擁護委員の不祥事がある可能性があるかないかで言えば当然あるだろう。
しかし、そんなものはどんな法律にもある事だ‐そして擁護法のみが特段悪用される可能性の提示は今のところない‐。
そういう濫用の可能性を封じるために例えば行政裁判制度で訴える人間なり
市民オンブズマンなんかがいるわけだろ。
そういう人間をプロ市民だの左翼だのいって来たのはどの連中だよ、と。
どの面下げて、「濫用の可能性」だよ、馬鹿か。
「人権で食ってる連中がいる」などという批判を時折耳にします。もちろん、「人権」もまた利権のネタになりうるのはその通りです。しかし、いまの日本には億万長者が130万人以上いるそうですが、そのなかに「プロ市民」はどれくらいいるのでしょうか? 金儲けをしたいのなら他にもっと割のいい方法はあるわけです。私が野球や映画を観たり酒飲んだりする時間とお金を費やして「人権」に関わる運動を行なう人々がいる。そのなかにはけっして裕福とは言えない生活のなかから時間と資金をやりくりしている人々もたくさんいるわけです。別に彼らを「崇高な理念のために自分を顧みず努力する人々」と美化する必要はなく、「自分の自己愛のためにやっている」と意地悪な見方をしたってかまいません。肝心なのは私が(そしてあなた方が)していない努力をしている人々がいる、ということだからです。そうした努力が報われるのは別に不思議なことでもアプリオリに不当なことでもなく、マジョリティーの立場にあぐらをかいている方が悪いのです。
ついでにいっておけば、法案では「人権」の定義が曖昧だなどという批判がありますが、フランス人権宣言から数えたとしてもすでに200年以上の歴史がある理念であり、日本に「輸入」されてからでも150年近くたっていて教科書にだって載っている事柄なのですから、もうちょっとしっかりした理解が定着していてもよさそうなもんです。
はなしを戻しますが、人権擁護法をきっかけに憲法が定める自由・権利は「不断の努力」によって保持されねばならないのだということを意識する人々が増えた、というのはそれ自体としてはいいことだと思います。残念ながら、私の目から見ればその努力があさっての方向に向かってしまっているわけではありますが。例えば人権擁護法の濫用を懸念する根拠として挙がってくるのが私的団体の活動例ばかりだというのもその一つです。3条委員会である人権委員会の「暴走」を懸念するならまずは行政や司法の「暴走」がきちんと抑制されてきたかどうかを振り返るのがスジというものです。人権委員会に対して影響力を行使しようとする私的団体が気に入らないのなら、それに対抗する運動を起こせばいいだけのことです。「暴走している私的団体」があるから人権擁護法に反対、というのは「私は自分の権利擁護のためになんの努力もしないので、他の人間が自分の権利を守るために運動する機会もつぶす」と主張しているようなものです(なお、弁護士会などの「暴走」とされているものも極めて党派的な評価であり、別の人間からは極めて真っ当な行動だと評価されるという点も忘れてはなりません)。自分のことを「法律を適用される客体」としてばかりではなく、「法律を活用する主体」としても考えてみてはいかがでしょうか。それこそが主権者意識というものでしょう。
以下、フラッシュの内容からは逸れますが関連する話題について。「主権者」意識といえばこの法案はしばしば外国人(地方)参政権を求める運動と絡めて批判されています。私は外国人参政権については「なにがなんでも実現されねばならない事柄とはいえないが、実現してもかまわない」もの、特に地方参政権については、地方自治の強化という観点から積極的に考えてもよい(国籍より、その地方自治体に住んでいるということを重視する、という意味で)と考えています。では、外国人に参政権を認めると「日本が乗っ取られる」という意見についてはどうでしょうか? これもまた、これまで述べてきたような「主権者意識」「権利保持のための努力の放棄」だと思います。現在の日本の定住外国人の人口比(と各種選挙の投票率)を考えれば、「雨が降ってるから選挙いくのやめるか」「デートだから選挙いかない」「二日酔いなので選挙いかない」などと考える人々のうちのごく一部が考えを改めるだけでも、新たに選挙権を獲得する定住外国人の影響力を相殺するには十分なのです。繰り返します。自分が権利擁護のために努力したくないからといって、他人が努力する機会をつぶさないでください。
人権擁護法絡みでやはりときどきとりあげられるのが、いわゆる「過激な」性教育というやつです。まあひとことで印象をいえば、ネット上で「無修正」の画像がばんばん閲覧できる時代になにをいまさらナイーブなことを言ってるのか…という感じですが。「性」という現実からあなた方が目をそらしたいというのであればそれには反対しませんが、その結果、避妊をしてくれという愛人に対して「女というものは、堕せば堕すほどセックスがよくなるもんだ」(山拓@文春)などと言う子どもが育ってしまったらどう責任を取るおつもりなんですかね。まあ教諭というのは数が多いですから、なかにはエキセントリックなことをやる人もいるでしょう。しかし東京都が介入する事態になった「性器付き人形」を使った性教育は養護学校で行なわれていたものです。特に知的障害者の場合、性的搾取の対象になりやすいことを考えれば、「おしべとめしべ」なんてレベルじゃなくて具体的な知識がなければ児童が自分の身を守ることが難しくなる…というのは容易に想像できるんですが。かといって人権擁護法にも反対…となるとだれが彼らを性的搾取から守ってくれるんでしょうかね。
Posted: 土 - 6 月 11, 2005 at 10:17 午前
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