なにを今さら…(w


2chうぉちでみかけた投稿

いかにも「ある、ある」ってな内容なので、ソースも示さずうろ覚えで書く。2chの人権擁護関連スレで反対派が「強引に言論弾圧法案通そうとしやがって、なにが“自由”だ、なにが“民主”だ」と自民党に怒ってたのをみて爆笑してしまった。んなこと、左翼はこの50年言い続けてきたぞ、って。
ネット上の反対派の大多数が自民党支持者ないしそれに近いイデオロギー傾向の持ち主ないし少なくとも「民主、共産、社民は支持しない」層であることは社会調査をするまでもなく自明だ。しかし社民党や共産党の支持者が「総理が任命し両院が承認する人権委員など信用できん」というならよく分かる話だが、自民支持者ないしそれに近い者がこんなことを言っているのをみると滑稽でしかたがない。まして与党議員が言うべき言葉ではない。
要するに、これまでは「黙っていても自民党が自分たちの利害を代表してくれる」と(場合によっては誤って)信じていた連中が、不意に自分たちに不利になる(とこれまた多分に間違って信じ込んだ)法案が出てきたんで慌てた、というわけだ。共産党の支持者とか90年代以降の社民党支持者は常にそういう気分を味わってきたのだよ。わかったかね、諸君。今後憲法21条改正案が話題になるようだと、オタ比率の高いネット界はよりいっそう混迷の度を深めるのではないかと思われ、目が離せない。

とはいえ“民主”と“自由”、特に後者については野党の方も自民と五十歩百歩。わいせつ表現規制なんかの問題になると民主党や社民党あたりの(女性)議員ががんばるのに象徴されるが、右も左も政府が「道徳」にパターナリスティックに干渉することには抵抗がなく、ただその道徳の「内容」が違うだけ。その挙げ句、人権擁護法に反対すると言いながらその理由が「私だったら差別されても政府には頼らないから、人権委員会などいらない」というものだったりするようなバカが出てくることになる。要するに、「自分がどのような選択肢を選好するか」の問題と、「社会がどのような選択肢を許容すべきか」の問題との区別がつかない奴。自由主義の原則を尊重するなら、「自分が選ぶ選択肢」「自分が選ばない選択肢」の他に、「自分としては選ばないが他人が選ぶのは許容する選択肢」を認めねばならない(他に、「自分としては選びたいが社会が許容しない選択肢は我慢する、というのもあるが)。「男女共同参画」絡みなんかでも「自分としては選ばないが他人が選ぶのは許容する選択肢」に思い至らない連中は多い。「私は女だけど、男に伍して働きたいなんて思わないからジェンダー・フリーなんていらん」とかいうやつね。あんた個人がどう生きようが勝手だが、ジェンダー・フリーというのは「男である」とか「女である」というだけで特定の生き方を強制されないということに過ぎないんであって、自分が男に依りかかって生きたいからといって他人にまでそれを強要するなよ。もっともリベラルはリベラルで自分が好む選択肢を強要するようなことをうっかり言ったりするので足下をすくわれている、という面は確かにある*。左は左でパターナリズムを克服できてないから。

* 先日紹介したクロッサンのことばじゃないが、対抗言説としては罪がなくても社会の中で一定の影響力を持つようになれば自ずと語り方も変えねばならない、ということだろう。

Posted: 土 - 5 月 21, 2005 at 10:21 午後          

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