「痛切さ」を欠く「仕方なかった」言説



家族を殺人事件で亡くしたばかりのひとがあなたの身近にいたとして、あなたはその遺族に「仕方なかった」のだとか「運命」だったのだ、と言うことができるだろうか? ましてや、犯人自身が「仕方なかった」「運命だった」と述べたとしたら、仮にそれが事件から60年後だったとして、あなたはどう思うだろうか。

今度はまったく逆のケースを考えてみよう。すなわち、あなたが誰かを殺害したとして、一体どのような場合に「仕方なかった」という言い訳が通用するだろうか。あなたが道を歩いていると突然ナイフをもった暴漢が襲いかかってきた。あなたは身を護ろうとして相手ともみ合ううちに勢い余って相手を刺し殺してしまう。あるいは、あなたは警察官であって、人質を取った犯人が激昂し今にも人質を殺害しようとしている時に上司から射殺命令をうけ、引き金を引く。このような場合にほとんどの人は「仕方なかった」のだ、と言ってくれるだろう。他方で、あなたが金を借りた相手から返済を迫られ、にもかかわらず返済することができないので殺してしまった時に「仕方なかった」のだ、という言い訳は通用するだろうか? さらには盗みに入った家で家人に目撃され、口封じのために殺してしまった時に「運命」だったという言い訳が通用するだろうか? 私が前のエントリで問題にした「痛切さ」の有無が「仕方なかった」と言いうるかどうかを分けることは明白だろう。

ところが、戦争が話題になると途端に「仕方なかった」の敷居を低くしてしまう人々がいる。戦闘中の兵士の被害や戦闘に伴う民間人の被害だけでなく、なんら軍事的意義をもたない民間人の殺害ですら「仕方ない」「運命だ」と主張する人々がいる。こうした人々は大抵“現実主義者”をもって任じているわけだが、 『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)によれば皮肉にも戦場の兵士にとって「仕方ない」の敷居はそれほど低くない *。だからこそ少なからぬ兵士が自分自身を危険に晒してでも「敵」を殺すことを避けようとするのである。
* だからこそ人を殺してしまった元兵士は「仕方なかった」と考えようとするわけだが、殺人という「罪責」を敢えて抱えて生きることを選ぶ元兵士も存在する。野田正彰、『戦争と罪責』(岩波書店)などを参照。また、大量虐殺が行なわれるようなケースにおいては、それを心理的に容易にするなんらかのメカニズムがはたらいていると推定することができる。

軍事的に意味を持つ戦闘での死者のみならず、不合理極まる作戦で死んだ日本軍の死者、戦略を欠く戦争指導のために餓死した日本軍の兵士、日本軍が殺害した捕虜・民間人、敗戦は避けられないのにずるずると戦争を引き延ばしたために死ぬことになった日本の民間人…などまで含めて「仕方なかった」と言いうるような「痛切さ」がいったいどこにあるというのだろうか。「仕方なかった」論者が得意げに持ち出してくる「歴史的経緯」なるものは、朝鮮半島や満州を「日本の生命線」とする認識(当時においてすら批判もあった認識)を疑うことなく前提としたものばかりである。大日本帝国は沖縄戦などの例外を除いてほとんど国外で戦っていたのだということを思い出す必要があろう。

身近な者の死を受容するやり方はさまざまであり、「神の計画」の一部として「仕方なかった」としてみたりより積極的な意義をその死に見いだそうとすることは、決してまれではない。たとえどれほど欺瞞に満ちた受容のしかたであっても、それが遺族の内面の問題にとどまる限りは、政治的には許容されねばならない(倫理的観点からは当然問題化されうるが)。しかし戦争における死者の多くは「殺された」者であると同時に「殺した」者(ないし間接的に殺人に加担した者)でもあるのだから、海を隔てたあちら側にも「身近な者の死を受容する」物語が存在していることを知っておく義務があろう(この義務は別に日本に固有のものではない)。はやいはなしが、靖国神社の「大東亜戦争」認識はアメリカや中国において人々が「身近な者の死」を受容するために紡いでいる物語を毀損する* 。それだけではなく、日本においても少なからぬ人々が「愚かな軍部の犠牲になった」という物語を紡いでいるわけだが、「動員する側/動員される側」の違いなど分からないと言ってあらゆる死をひとくくりに「仕方がない」としてしまう人々がいる。成人の8割近くが死刑制度に賛成しているこの社会において、なぜこれほどまでに「殺した」ことへの寛容さがみられるのか。
* じゃあなぜアメリカは中国ほどには日本の「歴史認識」に注文を付けないのか…といえば、1)民間人の被害がほとんどなかった、2)緒戦をのぞいて軍事的に日本を圧倒して勝った、3)いま現在も日本の首根っこを押さえており、「大東亜戦争=聖戦」論者などさして気に留める必要がない、4)日本の戦争責任の追及を中途半端に終わらせたのが主としてアメリカの意思であったことを承知している、などいくつもの要因を考えることができよう。それでも、「対日・対独戦争は自由と民主主義のための戦いであった」という物語を毀損されるのがアメリカにとっても基本的に受けいれられないことであるのは、ちょうど10年前に起きたスミソニアン博物館での原爆展示をめぐる論争を参照すれば直ちに分かる。



Posted: 日 - 11月 20, 2005 at 11:21 午前          

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