料理漫画あれこれ


なにを今さらという感じだが『美味しんぼ』をまとめて読んだので…。

いわゆる料理漫画は相当な数があるのでもちろんそのごく一部しか読んではいないのだが、見事に類型化されていることが分かった。基本的には1)蘊蓄系、2)レシピ系、3)ネタ系の3つに分類することができる。1)は『美味しんぼ』が典型であるが、食に関する蘊蓄を語る手段として漫画という形式を使っているもの。3)は『ミスター味っ子』を、2)は『クッキング・パパ』をそれぞれ典型とする。3)の場合漫画において主人公が直面する「対決」や「課題」として料理が選ばれているに過ぎず、料理を別のもの(例えばスポーツ)に置き換えてもほぼ同じストーリーを組み立てることができる。『大使閣下の料理人』、『鉄鍋のジャン』などもこれに属する。1)と2)の違いは微妙なようで実際に読めばすぐ分かる。
数の面では3)のタイプが圧倒的に多いのだが、まあそれは当然だろう。1)や2)のタイプは漫画として面白くするのが難しいからだ。どちらも漫画が目的ではなく手段であるから無理もないのだが。実際、『美味しんぼ』と『クッキング・パパ』の漫画としてのつまらなさは(そしてにもかかわらず両者とも異例の長期連載を続けているという事実は)驚異的である。どちらも「ー隣の空き地に囲いができたってねぇーへぇ」レベルの下らないネームが毎週のように展開される。料理からみでなければ即刻打ち切り間違いなしである。
他方で、3)のタイプにも弱点がある。料理にからんでしょっちゅう「対決」「勝負」「試練」といったストーリー上の山場が訪れるのはいうまでもなく極めて不自然な設定であるから、どうしても無理が出てくる。その典型が『ミスター味っ子』であろう。料理そのものも、それに対する味皇さまのリアクションも「荒唐無稽」を光速で通り越してしまう。この点でいえば『大使閣下の…』はうまい設定をしたと言える。大使公邸の料理人を主人公にすれば料理を「外交」という山場をつくりやすい文脈と絡ませることができ、荒唐無稽のインフレーションを押さえることができるからである。ただ、この漫画そのものは時事的な話題への媚び方が露骨であること、絵に色気がないことが欠点である。
現時点で一押しなのは料理SM漫画こと『沈夫人の料理人』である。美味しいものに目がなくわがままな奥様と嗜虐心をそそる料理人という組み合わせは実にうまい。料理が毎回のように主人公にとっての「試練」になることを無理なく実現できるし、漫画としての面白さを確保するためのヒネリもあるからだ。とりあげられる料理が古典的な中華料理ばかりという点も新味となっている。
漫画の面白さを連載期間で割って「週間面白度」を産出したとすると間違いなくトップ5にはいると思われる『美味しんぼ』と『クッキングパパ』だが、後者は毎週きっちりレシピと作り方の紹介があり、漫画部分はその前ふりにすぎないと思えばまだ理解できないでもない。しかし『美味しんぼ』のほうは当初いかにも雁屋哲らしいキャラクター設定で漫画としての面白さもそこそこあっただけに、現在の凋落ぶりは痛々しい。すでに2ちゃんねるなどでさんざんネタにされているように、「笑わせる」のではなく「失笑を買う」というのが実情だ。これまたよくいわれていることだが、やはり連載の長期化にともなって目先を変えようとしたため、海原雄山のキャラクターを変化させてしまったのが原因であろう。連載開始時、主人公山岡は「反権威」という雁屋哲漫画定番の特徴を与えられており、これこそがストーリーを動かす原理になっていたわけだ。これに対して「権威」を象徴するキャラクターとして導入されたのが海原雄山であり、両者は親子という関係と料理に対する態度の違いという二つの局面で対立しあうことになる。だが、単に料理に関して対立するだけでなく死んだ母親をめぐる確執があるが故に、海原雄山は連載のごく初期にしてすでに「ラスボス」たることを運命づけられてしまう。料理に関してどれほど強力なキャラクターを出してこようが、二つの局面で対立関係にある海原雄山以上にストーリーを動かすことのできる敵役にはなり得ないからである。漫画史に残る名物キャラクターとなった海原雄山だが、そのあまりにも早い登場(ないし予想外の長期連載)のために初期設定からの逸脱を余儀なくされてしまう。当初はたびたび山岡に足下をすくわれ、いかにも漫画の敵役らしく脇の甘さと器の小ささを発揮していたにもかかわらず、「究極」と「至高」の対決が始まる頃からじょじょに雄山の神格化が始まる。主人公を輝かせるためには敵が手強くなくてはならないという「対決」漫画の原理ゆえに、連載が長期におよぶ漫画では「敵のインフレーション」がおこるのだが(その典型が『ドラゴンボール』)、連載のごく初期にラスボスが登場してしまったために雄山のキャラクターそのものがインフレーションをおこしてしまっているのだ。これにともない、山岡の母(雄山の妻)の死の原因にしても「雄山にいびり殺された」という山岡の認識が否定されていくということになる。しかしながら両者の間の確執はこの漫画の根幹に関わる設定だったはずである。この設定の前提が否定されるにつれ、雄山の器の大きさが際立つと同時に山岡の意固地ぶりが印象づけられることになってしまう。もはや対立すべき理由をなくしてしまっているにも関わらず、初期設定であるがゆえに確執を解消することができない。それゆえ、もはや山岡と雄山の二つの局面における対立は新たなストーリー展開をまったくもたらすことができず、マンネリとなった「全国味巡り」とワンパターンの単発エピソードが交互に繰り返されることになる。
食に関する問題提起がキャラクターの魅力もあってなまじ評判となり、連載が長期化してしまったがゆえにストーリー的には抜き差しならないところに来てしまった、というところであろう。『美味しんぼ』ウォッチャーがよく言うように、このまま『味巡り』が全都道府県をまわるまで連載が続くのか、それとも半ばにして打ち切られるのか、原作者か作画者のどちらかが死ぬまで続くのか…。もはや完全に終わり時を見失ってしまっている。主人公とボスキャラの対立によってストーリーを動かすのであれば、結末のつけ方は3通りしかない。主人公が勝つか(王道パターン)、主人公が負けるか(『男組』パターン)、和解するか、である。対立の原動力である母(妻)の死をめぐる確執が骨抜きになってしまった以上、もはやこの対立にはリアリティがなく、どちらかが勝つという結末はつけがたいし、骨抜きになった確執を延々引っぱっがゆえに「和解」という結末も「なにを今更」感を与える。ネガティブな意味で、行末が見逃せない漫画である。

Posted: 月 - 7 月 12, 2004 at 10:07 午後          

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