本&DVDいろいろ
「1枚買うと1枚ただ」もので『マスク・オブ・ゾロ』と『アイデンティティ』
『すばらしき愚民社会』、『生首に聞いてみろ』『『ブレードランナー』論序説』『シー・ユー・ネクスト・サタデイ』読了
DVDを2枚買って夕食時にとりあえず『マスク・オブ・ゾロ』を観る。何度も映像化されているキャラクターだが、個人的に記憶に残っているのはアラン・ドロンの『怪傑ゾロ』(テレビの洋画劇場で。世代の問題ですな)。「仮面のヒーロー」にとって代替わりというネタはぴったりはまるのだが、先代アンソニー・ホプキンス(バットマンのような秘密基地あり)の重みと差別化するためか、バンデラスのキャラをかなりコミカルにしているため、「兄の敵討ち」というもう一つのテーマが浮いてしまった感あり。それ以外は大きな不満はない。リアル不二子ちゃんことキャサリン・ゼタ・ジョーンズもいい感じ。
小谷野敦、『すばらしき愚民社会』、新潮社
ほぼ同年代のこの著者、「好きではないのだが気になってちょくちょく新刊を買ってしまう」書き手の一人。この本では「新近代主義者」を名乗るだけあって天皇制についてはっきりした立場をとっている点や、フェミニズムを一切合切批判するのではなくあくまで個別の論者ごとに評価する(上野千鶴子は批判するが、斎藤美奈子は留保付きながら評価している)点は良いのだが、あくまで「シナ」という呼称を使うメンタリティは許しがたい。呼称というのは歴史的来歴の問題ではなく他者とのコミュニケーションの問題である。要するに現実の中国をコミュニケーションの相手として承認しないということなのだろう。
法月綸太郎、『生首に聞いてみろ』、角川書店
夕食用に捌いたスルメイカの頭を塩焼きにしてビールのあてにしつつ読んでいたのだが、イカを噛み締めたとたんに汁が噴出して本をイカ臭くしてしまった…。
さて、他人事ながら「食っていけるのか?」と心配になる執筆ペースの法月綸太郎の新作(といっても、かなり前に連載されていたもの)。彫刻における「インサイド・キャスティング」という制作方法に内在する困難が事件のカギとなっているところはいかにも法月作品らしい。旧作を読み直すべく、引っぱりだして来た。
柳下毅一郎、『シー・ユー・ネクスト・サタデイ』、ぴあ
『ぴあ』の連載をまとめたものということで、映画1本につき1頁、262本分のレビュー。当然、観ていない映画も少なくないので飛ばし飛ばし読んでいたためずいぶん時間がかかった。レビューとしては「つかみ」の部分で終わっているわけだが、これは扱っている映画の数が多いのが値打ちの本であろう。
加藤幹郎、『『ブレードランナー』論序説』、筑摩書房
必要に応じて『完全版』のビデオと『ディレクターズカット版』のDVDを参照しつつ…ということでやはり時間がかかった。「買った」と「読んだ」の区別もつかない「読解力」の持ち主がコメント欄で知的早漏現象を起こしていたが、そのまま晒しておくことにする。この本についてはいずれ改めて書くつもりだが、とりあえず1点、「デッカードはレプリカントか?」という問題について。
「デッカード=レプリカント説」がリドリー・スコットお気に入りのアイデアであることはポール・M・サモンの『メイキング・オブ・ブレードランナー』でも明らかにされているが、これがリドリー・スコットのダメな部分を象徴していることは間違いなかろう。しかし著者が脚注で「デッカードをレプリカントとみなしうる証拠は、この映画的テクストの(いかなる版にも)どこにも存在しない」としているのは(227頁)、やや勇み足であろう。レイチェルとともに自宅にいるデッカードの目が赤く光るシーンは「デッカード=レプリカント」説の証拠として解釈されうるし、実際そう意図されていたからである。スコットの意図はともかくとして、人間の目が赤く光るのはストロボを使った写真の場合のように、暗いところにいるため瞳孔が開いている目に強い光が当たった時のごく短い一瞬だけであるから、赤く光り続ける目がデッカードの尋常ならざる正体について仄めかしていることは作者の意図を参照せずとも推理可能である。
もっとも、もしレプリカントが「赤く光る目」によって識別可能なのだとすれば、VKテストという(この映画の基本設定に関わる)アイデアが無意味になってしまう。したがって、「赤く光る目」によってデッカードの正体を仄めかすというスコットのアイデアは間違いであった、と言うことができるだろう。
Posted: 木 - 10 月 14, 2004 at 01:00 午前
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