『『ブレードランナー』論序説』購入


加藤幹郎、『『ブレードランナー』論序説 — 映画学特別講義』、筑摩書房

夕食のための買い物に行ってついでに寄った書店でたまたまみつけた新刊。なにを隠そう、といっても隠す必要などないのだが、これまで読んだ映画論のなかでもっとも啓発されたのがこの著者の『映画ジャンル論』であった。ハリウッド映画を「ジャンル」を参照軸として分析することにより、作家主義にも外在主義にも陥らない批評を可能にするのが「ジャンル批評」である。なんといっても体系性と柔軟性、明晰さと生産性をともに備えた批評枠組みであるのが魅力である。また、あくまで映画そのものに内在する一方、映画生産と映画受容をともに規定する(そして生産および受容の実践によって変革されもする)「ジャンル」を参照軸とすることにより、映画をとりまくさまざまな文脈へと開かれた批評をも可能にする。基本的には「ジャンル」が明確に存在する古典ハリウッド映画を分析対象とするが、それ以外の映画についても「ジャンルからの逸脱」「ジャンルとの無縁さ」というかたちでなにごとかを語ることを可能にしてくれるだろう。
さて、『映画ジャンル論』でも『ブレードランナー』についてはかなりの紙数が割かれていた。著者のブレラン論の特徴は、この作品を「フィルム・ノワール」というジャンルに定位させて論じている点である。そのため、オリジナル劇場版&完全版とディレクターズ・カット版との最大の違いであるデッカードのヴォイスオーヴァー(「フィルム・ノワール」というジャンルを特徴づける、主人公による独白)の有無をめぐり、著者は完全版に軍配を上げるのである。
この新著でもその観点は維持されている。そのうえで、シークエンスごとの詳細な分析が施されている。興味深いのは、Web上にあふれているブレラン論をこき下ろしているところ。いわば『オタク学入門』で岡田斗司夫がブレランについて開陳したようなタイプの映画論、映画についての膨大な事実を集積しながらその実映画から限りなく離れてゆくような映画論への宣戦布告と言ってよいだろう。
『ブレードランナー』に関する限り、私は著者の見解に全面的に賛同するものではなく、以前に小さなメーリングリストでその旨論じたこともあるのだが、その辺りも含めて読了後にまた改めて論じることにしたい。

些末な突っ込みを一つ。53頁に「蒸気機関車に代表される内燃機関」という表現があるが、蒸気機関は外燃機関である。

Posted: 日 - 10 月 3, 2004 at 01:44 午前          

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