意外な反響
気まぐれで当ウェッブログへの言及を検索してみると…
サイバースペースの片隅でひっそり書き貯めるのをポリシーとしている(笑)当ウェッブログだが、気まぐれにブログタイトルやURLに含まれる単語をキーワードとして検索してみると、わずかながらロッキード裁判関係のエントリ以外のものをご覧頂いて、言及してくださっている方もおられるようだ。まず目立つのはサル学研究関連のサイト。"Ape"
や "Monkey"
といった単語を含むサイトを自動的に収集した結果、ここがリストアップされてしまったらしい(海外のものも含む)。まことに申し訳ない次第である。ロッキード裁判関係とサル学関係を除けば一番人気は『安全神話のパラドックス』、『封印作品の謎』で、都合2件もヒットした! 他には新保守主義関連の文献をまとめてレビューしたHTMLコンテンツ、イラク人質事件(改訂版)…「自己責任論」について、現実主義という名のシニシズム、が各1件というところ。『封印作品の謎』のレビューに言及していただいたサイトの一つは、なんとこの本の著者本人が(別の記事についてだが)コメントしていて、びっくり。ただし私のレビューが著者本人の目に触れたかどうかはわからない。さて、せっかくなので上記コンテンツにつき、書き漏らしたこと&あえて書かなかったことを補足しておきたい。まずは『封印作品の謎』をとりあげる際に言及した刑法39条について。「犯罪を犯す恐れのある頭のおかしなやつは予防拘禁してしまえ」と「心神喪失だろうがなんだろうが、悪いことしたやつは処罰せよ」とを同時に主張するような論外のものを別とすれば、39条を廃止すべしという議論にも一定の説得力はある。実務面では39条が「筋の悪い」事件を不起訴処分にしてしまうための口実として用いられている可能性があるし、精神鑑定の精度にもかなりの限界がある。また精神障害者の人権を守るためにも、彼らを「責任の主体」として認めることが必要だ、という主張は無視できない(39条は生命倫理におけるいわゆる「パーソン論」の肯定につながる…)。ただ、私としては39条それ自体は残し、運用面で改善を図る(安易な適用を避ける)のが妥当なところではないか、と考えている。極限的な事例としてどう考えても責任能力がないといわざるを得ないケースは十分考えられるからで、「責任の主体」の外延をむやみにひろげれば(論理学が教えるように)その内包が貧しくなってしまうのではないか、と思うからだ。もっとも、捜査段階での簡易鑑定で不起訴にしてしまうのではなく、原則として起訴し、あくまで裁判において39条に該当するケースかどうかが判断されるべきであろう。次に山形浩生を批判した「現実主義という名のシニシズム」について。私が「リアリティを欠いた理念先行型の議論が無力であるだけでなくしばしば有害であるのは間違いないが、同時に理念を欠いた現実追認の議論はけっして無力になることがないだけにかえってたちが悪い」と書いたのに対して「山形が理念を欠いているとは思えないなぁ」との突っ込みが入っているのだが、先の一文に続けて「形式的にみて山形の議論に妥当性があるとしても」と書いておいたように、私の批判の焦点は山形浩生が、宮台・宮崎が語っていないことについて二人を批判している点、なのである。最後に「イラク人質事件(改訂版)…「自己責任論」について」の後半の論点について。西側先進国における政治的な左右の対立軸については、アメリカ大統領選とのからみでいくつか考えていることがあるので、稿を改めて書いてみることにしたい。
Posted: 水 - 12 月 8, 2004 at 06:37 午後
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