利権はいたるところにある
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そのため、通常のエントリと文体が違っているが、わざわざ書き換えるほどのこともないのでそのまま。
以下はちょっとばかりご縁があった特定の方を念頭において書いてはいますが、先方がこの問題からは距離をおきたいとお考えのようですし、また同じようなパターンの意見はあちこちに見られるということもあって、具体的な宛て先はなし、としておきます。
被差別部落や在日韓国・朝鮮人へのあからさまな敵意に隠れた形にはなっていますが、ジェンダーフリー教育に代表される「男女共同参画社会」的なもの、あるいはフェミニズム的なものへの敵意もやはり根強いものがあります。2ちゃん的にいえば「フェミうぜえ」って気分ですね。
興味深いのは、こうした気分が少なからぬ女性にも共有されている、という現象です。本館でも取り上げたことのある荷宮和子氏などは怒りのあまり憤死しそうですが。
こうした現象(フェミニズムが女性の支持をえられていない、という)については近年、何人かの論者が論じていますからご興味がおありでしたらそちらを参照していただくとして、ここで私見を述べるなら、その要因の一つとして「フェミニズム(の主流派)が強い個人を養成する思想だった」ことが挙げられるのではないでしょうか。
一口にフェミニズムといっても、その内部には相当厳しい理論的・実践的対立があるわけですが、行政レベルで「男女共同参画社会」の実現が目指されるような場合には、おおむねリベラリズム的フェミニズムの主張に近い方向になるといってよいでしょう(資本主義体制をとる国家にとってはそれが一番違和感がないので)。そうした取り組みの大きな柱の一つが「女性の経済的自立」であるため、スローガン的に言えば「職場において、女も男並みに」といったかたちをとるわけです。
ところが、これって必ずしも女性の「幸せ」を保証するものではないわけです。「幸せを追求する平等な機会」を保証するのが目的であって、実際に幸せになるかどうかはまた別のはなし、なわけです。均等法第一世代に属する(しかも今より景気のいい時期に就職活動をした)女性は未来に希望をもっていたのではないかと思うのですが、「職場において、女も男並みに」は一朝一夕に実現するわけでなく、他方「家庭において、男も女並みに」はそれ以上に実現しない、おまけに労働環境が全般的に悪くなる…となれば、かつてのような「就職の機会さえ均等に与えられれば…」という希望はもちにくい。しかし「男女共同参画社会」という理念は、「自立」した女性像を描き出すわけで、これが女性にとっても「うざい」と映る理由は理解できなくはありません。
しかしながら、よくよく考えてみれば、これは(低レベルな人権擁護法反対論において頻出する)「差別利権」と変わらない構造です。たしかに女性の就職は男性より困難で、賃金も低い。その一方で「働いて一家を支えるべき」という社会的圧力は低く、合コンでは男が大目に払うのはあたりまえ。若い無職の男が実家でぶらぶらしていると「ニート」と呼ばれるが、若い無職の女が実家でぶらぶらしていると「家事手伝い」と呼ばれる。もし雇用その他における性差別がなくなってしまえば、こうした「利権」も失われてしまうおそれがあるわけです。「フェミうぜえ、男並みの賃金なんていらん、男が稼げ」というのは、反対論者によれば相当数存在するらしい「差別温存けっこう、わしらの飯の種」という利権屋とどこが違うのでしょうか?
とまあ、かなりとげとげしい書き方になってしまったような気もしますが、「差別がなくなったら損もするな…」という思考パターンこそ差別主義者の思う壺だ、ということです。
ひるがえって、「差別利権」を糾弾する側も、差別の温存によってまた利権をむさぼっているのだ、ということも指摘しておきましょう。同僚の女性より能力・実績において劣るのに、ただ男性であるというだけで彼女より高い給与をもらっている男は、すべて性差別による利権の享受者です。異性愛者であるがゆえに同性愛者より行動の自由を教授している(例えば宿泊拒否されたりするおそれがない)者も同様です。もちろん、国籍や門地を理由に採用を拒否されたことのない人間も同様です。利権はいたるところにあるのです。
追記:公平のために記しておくと、「ジェンダーフリー教育」に類する試みを拒否する思想的な根拠はあります。自由主義に立脚する近代国家は「家庭内で性的分業を行ってはならない」と命じることはできませんが、「性的分業を押しつけてはなりません」とか「性的分業は必然ではありません」と広報することはできる、と考える余地はあります。「ジェンダーフリー教育」もこうした一種のアファーマティヴ・アクションだと考えることができるでしょう。そしてアファーマティヴ・アクションによる差別への取り組みに対してバックラッシュが起きているのは日本だけの現象でもありません。
しかしながら、そうしたバックラッシュのすべてが例えばリバータリアニズムといった(その是非はともかくとして)一貫した態度から導かれているのか、それとも単に既得権益を守ろうとする動機から出ているのかを見極める必要があるでしょう。
Posted: Sat
- April 9, 2005 at 11:37 AM
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