最近のニュースから


朝日新聞の「オリンピック報道検証」
プロ野球スト
『華氏911』をめぐって

9月17日付けの朝日新聞朝刊に、「イラク大量破壊兵器報道検証」という特集記事が掲載された。主としてアメリカのメディアがイラク戦争報道をどのように検証しているかを紹介したものだ。まともなニュースソースをもっている人間にとってはどれも「今ごろなにを…」という感じの内容であり、今回とりあげようとするのはこれではない。同じ日のやはり朝刊に「新聞の五輪報道を考える」というタイトルで、「朝日新聞紙面審議会」の内容が報告されている。そのなかに「五輪報道ばかりで他の重大な事件(沖縄での米軍ヘリ墜落など)の報道がおろそかになっていた」という趣旨の反省が述べられている。一見殊勝なようだが、「イラク大量破壊兵器報道検証」と比較すると逆に日本のメディアの抱える問題点が鮮明になる。オリンピックが終わってすぐの段階でそのような反省ができるのなら、なぜ五輪期間中にまっとうな報道ができなかったのか。過去の例を考えれば紙面が「五輪一辺倒」になる事はある程度予想できたはずである。さらに、大量破壊兵器に較べるならたかがオリンピックである。反省すべきは「五輪期間が終わればすぐに反省できてしまうようなふるまいをなぜするのか?」であろう。
要するにオリンピックのようなイベントにとってマスメディアは当事者であるがゆえに、バランスを欠いた報道しかできないというのが真相なのだが、やはり同じ日の紙面には「マイライフ クリントン回想録」の連載8回目が掲載されている。ところがクリントンの回想録は朝日新聞社から出版されているのである! 自社から出版した本の紹介記事を、ほぼ紙面1面を使って紹介しているわけで、「広告料分、購読費を返せ!」と言いたくなる。報道メディアがさまざまなイベントをしかけ、それをあたかもニュースのように「報道」することに対して、あまりにも節操がなさ過ぎる。

さてプロ野球の再編問題はひとまず讀賣・西武・オリックス連合の敗北というかたちで決着したが、まだまだ油断はできそうにない。スト決行後の報道で、讀賣とオリックスの突出ぶりが浮き彫りになったためさすがに突っ張りきれなかったとみえる。それにしても改めて考えておかねばならないのは、日本社会に蔓延している「反ストライキ感情」である。今回に限っては世論が選手会側を支持したものの、当初経営者側がタカをくくっていた背景にはこの「反ストライキ感情」があると考えることができる。プロ野球選手会の法的地位の問題はひとまずおくとして、今回のストライキは賃上げを目的としたものではない。中・長期的な雇用の確保とプロ野球というエンターティンメント産業全体のあり方が争点になっていたわけである。このような、選手側にとって極めて控えめな要求であるにもかかわらず、世論の反発を懸念しつつストをうたねばならなかったわけで、「たかが選手」発言がなければどうなっていたことやら。資本家がストライキを批判するのはもっともと言えばもっともである。しかし日本社会の大半を占める被雇用者(およびその家族)の間にも「反ストライキ感情」があるというのはなんとも困ったはなしだ。いまさら「プロレタリアートとしての階級意識を」などというつもりはないが、「あの職場で起こっていることは、次に私の職場で起こるかもしれない」という想像力さえあれば、「ストは迷惑だ」などという発想は出てこないはずである。

『サイゾー』で連載中の宮台真司・宮崎哲弥の対談が10月号で『華氏911』を扱っている。宮台真司の論旨は「ビデオニュース・ドットコム」でのそれとほぼ同じなのだが、両者を合わせて要約するなら「1)アメリカの有権者に向けたメッセージである、そして2)アメリカそのものの「悪」ではなくブッシュの「悪」に的を絞っている」という2点で限界をもつ、というのである。しかしながら、ムーアはどちらの点についてもこの映画がそのような限定された文脈においてみられるべき映画であることを繰り返し明言しているのであって、宮台真司のような批判はムーアをというより、観客をバカにしすぎている嫌いがある。「バカがこの映画を観て考え違いをすると困る」というのが彼の批判の趣旨だからだ。たしかに上記2)について言えば、マイケル・ムーアが「本来あるべきアメリカ」の姿に対して楽観的すぎるという批判は可能だろう(他の映画や著書での記述もあわせて)。しかし最低限、『華氏911』が民主党ないしケリー候補支持を意味するものではないことは本人によって繰り返し明らかにされているのである。

Posted: 日 - 9 月 26, 2004 at 03:12 午後          

Comments



©