有線の曲に思ったこと
先日昼食を食べにいった際に有線でシーナ・イーストンの「モダン・ガール」が流れてきて…
もう25年近くも前の曲である。いかにも80年代のポップスらしい腰の入っていない音つくりは別として、歌詞を聞いているとちょっとした感慨に耽ってしまった。
いま聞けばなんとも能天気な歌詞ではある。なにしろ「なんにでもなれる、自由な彼女」がなりたいのは「モダン・ガール」だというのだから。こうした素朴な近代賛美がもはやいかなる意味でも支持し得ないのは明白だとしても、これが「見果てぬ夢」ではなくごく身近な可能性として受けとめられ得た時期が日本にも確かにあったということ、だがそれがあっという間に終わってしまったということを考えさせられたからだ。雑誌メディアなどを中心に「負け犬」などと呼ばれている世代の女性がかつて手にしたと思った可能性、である。結婚に関する意識調査によれば「一人の男を中心に自分の世界をつくる」志向性は逆に高まってきているし、雇用環境は悪くなるばかりである。結局近代は「未完のプロジェクト」のまま流産してしまうのだろうか…。
Posted: 火 - 8 月 17, 2004 at 08:39 午後
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