リベラルがそんなに悪いのか?


アメリカ大統領選挙の事後分析をめぐって。

昨日『ブラザーフッド』のDVDが届いたので早速見てみた。これも悪い映画ではないのだが、やはり『シルミド』の方がいい。『シルミド』で最も感動的なシーンの一つは、乗っ取ったバスの中で訓練生達が「人民の旗 赤い旗は…」という歌を歌うシーンなのだが、これって20代以下の日本人だとピンと来ない人の方が多いのかも…。少なくとも「赤旗」が共産党の機関紙だということを知ってないといけないし。DVDの字幕でも「人民」じゃなく「民衆」ってなってたくらいだから。

と、ここでこの話題をいったん中断し、アメリカ大統領選挙をめぐる各種報道について。イギリスの『デイリー・ミラー』がトップページで「59,054,087人もの人間がどうやったらこんなにアホになれるのか?」という見出しを付けたことは大いに話題になった。また投票直前の仏誌 L'Express は巻頭に次のような一コママンガを掲載している。

(テレビの中のブッシュ)「神が私に電話をかけてきて、お前は再選されると言ってくださった!」
(そのテレビを眺める、イスラム教徒の老人)「こいつにはぞっとするね」

イスラエルとロシアを除いた主要国で軒並みケリーへの支持が上回ったというだけのことはある。特に L'Express のマンガは、アメリカとフランスでの「政教分離」に対する態度の違いを浮き彫りにしていて興味深い。フランス人から見れば、アメリカはアメリカが戦うと称している「イスラム原理主義」勢力と同様に政教が未分化な国家だ、ということである。さて、すでにブッシュ再選の要因についてはいろいろな分析が出ているが、この分析自体かなり党派的な対立をはらんでいるようだ。ケリー支持者はなによりもキリスト教右派の狂信的道徳主義を要因としてあげるわけだが*、当然のようにこれに反発する分析もある。ここで注目したいのは、次のようなタイプの言説である(唐沢俊一氏の「裏モノ日記」11月4日分より)。すでにいくつものサイトで肯定的にも否定的にも引用されているものである。

 一番ヒドイと思ったのは、ケリー支持=都市部中心、ブッシュ支持=地方中心とい うデータを受けての、農村地帯批判が盛り上がっていること。無知な田舎の牛飼いや 農耕者には投票権などやらずに、教養ある都市圏の人間だけで大統領を選出し、世界 を動かしていこうということか。思わず苦笑する。教養人という人たちは、やはりホ ンネのところでは民主主義がお嫌いらしい。あんたがたのそういうホンネを敏感に感 じ取った人々が、唯一の自分たちの武器である一票を有効に使ったことによって、ケ リーは敗北を喫したのである。ブッシュに再選を果たさせたのは、マイケル・ムーア を先頭に、ブッシュを(その支持者を)バカバカバカと言い続けてきた(いや、言う ことの快感に酔っていた)反ブッシュの人々の、その態度なのだ。彼らが食べる小麦 も、大豆も、牛肉も、みんな地方の田舎者が作っている。それらを飽食しながら自分 たちを啓蒙しようとする奢った文化人たちへの、今回の選挙結果は痛烈な返礼だ。

まず確認しておきたいのは、ブッシュ支持者の多くがいまだに「9.11」テロにフセインが関与していたと思っていたり、イラクで大量破壊兵器が見つかったと思っていることをふまえるなら、ブッシュ支持者が「バカ」と呼ばれるのはやむを得まい、ということである(戦略として「バカ」と呼ぶのがどうかはまた別のはなしだが)。だって、こういう手合いをバカと呼ばないなら、「バカ」という言葉の使い道はないもの。他方で、州ごとの平均IQとブッシュ支持率との間の相関関係を一覧表にするような手口については、下劣なものとして私は断固反対する。IQのような、これまでさんざん差別の手段として用いられてきた指標をもちだしてブッシュ支持者を誹謗するのは不当である。有権者として当然知っておくべき情報を知らない、という点で非難すれば十分なのだ。
さて、上で引用したような、アンチ・リベラルな論評を私は「訳知り顔の欺瞞」だと考える。なぜならこのコメントは、「地方の田舎者」を動員したブッシュのブレーン(カール・ローブに代表される)たちが、ケリー支持の「教養人」に負けず劣らずその「地方の田舎者」をバカにしているという事実を無視しているからだ。共和党の選挙キャンペーンは「地方の田舎者」が無知で無教養であることを前提し、それを利用していたではないか! それに、ブッシュに投票した地域の零細な農場主や牧場主をさんざん痛めつけているのは、共和党に大量の献金をする巨大食料産業ではないか。ケリー支持の「教養人」は「田舎者」の無知にいらだち、それを嘲笑しただろう。そのなかに、品位を欠いた表現があったことも事実だろう。だが、少なくとも彼らはその無知を利用することはなかったのである。
どの国家においても「右」と「左」の対立軸は単純ではないが、とりあえず国家による富の再配分に消極的か積極的か、という対立が理念型としては考えられる。これがなにを意味するかといえば、「左」ないし「リベラル」の側は有権者に対して「自分がいま享受している豊かさを諸々のマイノリティー(国内の貧困層であったり、未来の世代であったり、第三世界であったり)のためにある程度断念する」ことを要求するわけである(まあ、民主党はもはやそのような要求を突きつけるガッツを失っている、という声もあるが)。したがって、「左」「リベラル」は本質的に「啓蒙」的なアプローチをとらざるを得ない。なぜなら、もしリベラルな勢力が巧妙に立ち回って支持層をひろげるとすれば、それは「○○という目的のためにちょっと損をしてください」という要求を覆い隠し、あたかも失うものはなにもないかのように嘘をつくことになるからである。したがって、ケリー支持者が「啓蒙的」な態度をとったとすれば、それは自己の主張に忠実だったということであり、戦略としての評価は別として倫理的に断罪されるようなことではない。これに対して唐沢氏のコメントは、「都会人」が「田舎者」から投票権を奪いたいのが本音だと嘲笑する一方で、アメリカの「田舎者」に自らの選択が持つグローバルな影響力を自覚させないまま投票させる、共和党の「都会人」の戦略を免罪してしまっているのである。

ここではなしは冒頭の『シルミド』のシーンに戻る。徹底的な愛国&反共教育を受けてきたはずの隊員達が、自らの心情を「赤旗」の歌に託したのはなぜか? もちろん理論的にいえば共産主義の限界はもはや明白であるし、現実の共産主義国家が彼らの「心情」を実際に汲みとってくれる政治体制でなかったことも明らかである。だが構造的に社会の底辺に沈むことを余儀なくされた者たちにとって、彼らの心情を表現するシンボルが左翼的なそれでしかあり得なかったというのもまた、歴史的な事実であろう。西側先進工業諸国の左翼勢力に目を転じるなら、労組の「専従」に代表されるように労使の妥協から私利を得た連中がいたことは否定のしようがないし、また理論的な研鑽を怠り時代遅れになった政党があることも事実である。しかしながら、イラクにおける日本人人質事件や今回のアメリカ大統領選挙に際して露呈したような「反左翼」「反リベラル」感情の背景として、「強者と一体化することにより弱者への共感を放棄する」人間の増加があることもまた明らかではないだろうか。平均所得より少ない収入しかないにもかかわらずブッシュを支持する人々の非合理性よりも、「平均以上の所得と教養を持ちながら、素直にブッシュを支持するのではなく、リベラルの支持者を嘲笑する」人間のシニシズムの方が遥かに深刻だ…。

* 今朝の『朝日新聞』朝刊によればもう少し自体は複雑で、民主党はブッシュ政権へのキリスト教右派の影響力を押さえるために、「ブッシュの勝因=福音派」説を否定しているらしい。ただ、支持者達の分析が「福音派」に注目していることは確かだろう。

もう一点、唐沢氏の議論が無視しているのは、実はジョンソン以降、政治的には東西両海岸は南部・中西部に負けっぱなしということ。マイケル・ムーアの昔のテレビシリーズで「なんだ、結局南部は戦争に勝ってたじゃん」というネタがあったが、ジョンソン以降の大統領は全て南部に地盤がある政治家ばかりである。このあたりの敗北感というか怨念も勘定に入れなければフェアではあるまい。
以前にレヴューしたジョージ・レイコフの分析は現在のアメリカの政治情勢を理解するうえで極めて示唆に富むように思われる。つまり、共和党と民主党の対立は対称的なものではない、ということである。共和党が政治・道徳・宗教の一体性を主張して政治に道徳的、宗教的アジェンダを持ち込むのに対して、民主党はそのアジェンダの前提となる政治・道徳・宗教の癒合をこそ問題にしているわけで、好まずしてメタレベルの議論をさせられることになるわけだ。究極的には近代国家の原理を受け入れるかどうかという対立になっているわけで、なんとも分の悪い戦いを民主党は強いられているのである。

Posted: 火 - 11 月 9, 2004 at 01:44 午前          

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